天佑堂鍼灸院日記

楽しい体のプロデュース
刺すハリ治療から刺さないハリ治療へ

クリシュナムルティを読む1

2006年07月08日 17時12分50秒 | 精神世界
クリシュナムルティの本を人に貸すと難しいといわれることが良くある。
そこで大変恐れ多いことではありますが自分なりの解釈を述べてみたいと思います。
クリシュナムルティの愛読者にとってはつまらないものになると思いますので
あまり読んでいただきたくないというのが本当のところです。

「過去をすっかりぬぐい去った感情と知性で知覚すること、これは知覚の奇跡です。
否定がもっとも積極的な行為なのです。」 自己の変容 めるくまーる社刊 松本恵一訳

ここにクリシュナムルティ(以後Kと呼びます)のいわんとするところは集約されているように
おもいます。彼の著作のいずれを読もうと言いたいことはただ一つであると。
我々が例えば、人を見る時、そこには過去の経験からくる知識あるいは思いでそういったものから
人を見ます。過去にその人が悪態を自分についた人だとします。


で私がその人を見る時過去に悪態をついた嫌な奴だとして、その人を見ます。
「こいつは嫌な奴だ」という私の見方は過去の経験からその人を見ているわけです。
現在のその人をあきらかに見ていません。
それは過去の出来事からの解釈であってありのままの事実でも真実でもないのです。
ひょっとしたら、今ここにいるその人は全く過去と変わっているかもしれないのです。
その人に悪態をつかれたことのない人がその人をみても嫌な気分にはならない。
ところが過去に悪態をつかれた経験のある私は嫌な気分になる。
ここで私を不快にさせるものは過去の記憶なのです。
私がもし過去の経験や知識からその人を見ないなら、その人は例え1000回今までに顔を合わせたことのある人でも、今日この場にいるその人であって、ある意味今日始めてあった人と同じように新鮮であるはずです。そしてなんの不快感もないはずです。
しかし私はそのようにできないのでその人の顔をみた瞬間に嫌な気分になったりするわけです。
もし私が過去から全く切り離してその人を見るならここで私は爽快な気分でいられるわけです。

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