例年に無い、不順な冬も終わり、桜もすっかり散り、いよいよお祭りの季節の到来です。(それまでも、各地で色々と冬祭りなどの行事が有りましたが)
お祭りは庶民のものです。大きく分けて、春祭りと秋祭りが有りますが、春祭りは、神様にこれからの豊作を祈願し、秋祭りは、五穀豊穣を感謝するお祭りです。(京都の葵祭り 、祇園祭は例外ですが。)地方に、数えきれないほどの、祇園※※祭りというお祭りが有りますが、全て、京都の祇園祭が起源です。(正式には、祇園御霊会といいますが)
来月の5月15日に行列のある「葵祭」の詳細(起源から行列の説明を細かく記載しています)は一昨年の5月17日の小生のブログを参照下さい。何しろ、平安遷都以前の「飛鳥時代」に起こりをなしたお祭りですから。日本最古のお祭りです。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120517
また7月から始まる「祇園祭」。今年から以前先祭り(下祭り)後祭り (地元の方は誇りを持って、上祭りと言っていますが)が分かれ、二度楽しむことが出来るようです。「天明の大火で焼失した、大船鉾の復活も多いに楽しみです。これからも、天明の大火や蛤御門の変で焼失した「鉾」や「山」が復活いしていくでしょう。
詳細を書くときりが無いので、祇園祭の一カ月にわたる行事は一昨年に、私のブログで一月にかけて、詳細に記載しています、お暇ならご覧下さい。祇園祭の一カ月わたる記事はhttp://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/07/274_8fe3.html
詳細に記載しています。もしも、お暇・お暇・お暇ならご覧l下さい。一応、祇園祭の詳細が分かるかな?
少し、7月の「祇園祭」には早いですが、昔の祇園祭巡行風景を紹介します。
戦後、間もなくの巡行です。四条通りを巡行する「函谷鉾」(かんこくほこ)。今は、ビルばかりで鉾はあまり大きく見えませんが、この当時は、物凄く大きく見えたものです。
四条通りを巡行する「月鉾」民家が小さく見えますネ。
昭和35~36年頃の新町通りを巡行する、「船鉾」
今は、すっかり観光化されて、役員さん達も、袴に裃(かみしも)のかたぐるしい正装で巡行していますが、当時は気楽な姿で巡行、それが本来の庶民のお祭りでしょう。
今年は楽しみです、「大船鉾」の巡行、おおいに血が騒ぎますネ。