統合失調症」の「発症のきっかけ」になる、実は多くの人が当たり前に求める「3つのもの」
1/20(金) 7:02配信
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ADHD・ASDの人たちが「病」であるならば、そうでない定型発達の人にも実は「健常」でない側面があるのではないか。
【写真】ADHDでもASDでもない「定型発達」も行き過ぎれば「病」だといえるワケ
そして、「健常発達」の人が人生の中で求めるものは、例えば統合失調症の人が志向し、それをきっかけに発症するようなものとなんら変わりはないのではないか──。
精神科医の兼本浩祐氏はそう考え、統合失調症を発症したある英語教師の事例について分析している。『普通という異常 健常発達という病』から再編集・抜粋して紹介する。
「生活臨床」――生活破綻のきっかけ
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対人希求性(人を求める気持ち)が健常発達の心性にどう重要なのか、そのところをもう少し明確にするために、「生活臨床」という名前で呼ばれていた精神科のムーブメントのことに触れたいと思います。
「生活臨床」というムーブメントは、具体的にこの対人希求性が実生活の中でどのような形をとるのかに集中的に焦点を当てているからです。
少しばかり乱暴で通俗的なまとめ方をしますが、
生活臨床というのは、「色、金、名誉」のいずれかのキーワードに、統合失調症の発病のきっかけがあるという認識のもとおこなわれた運動です。
「色、金、名誉」といったきっかけが生活の破綻をもたらすので、そうならないように生活環境を患者さんの周りの人たちと医療関係者がいっしょになって整えることが大事だというものです。心ある精神科医の先生とともに地域の保健師さんとかが随分がんばって指導に奔走されたと聞いています。
「色、金、名誉」に「体」を付け加える場合もあるようですが、『生活臨床の基本』という本のなかで伊勢田堯 ( いせだたかし ) 先生がこのキーワードを「指向する課題」という用語で説明されています。伊勢田先生とは一度ごいっしょさせていただきましたが、ほんとうに感じの良い、丁寧な臨床をされている方という印象でした。
実践としての生活臨床では、対象者の生活破綻のきっかけとなる「色、金、名誉」に関わる何かを奪われるか、あるいはそれを獲得する見込みが失われる状況が、破綻前に前駆していると想定されていて、これが診たての中心となります。
生活臨床は、当事者が大事に思っているものが、色なのか、金なのか、名誉なのかを、家族を含めたみんなではっきりと共有し、それを獲得ないしは守ることを、医療者を含めたみんなで応援し、当事者の求めるものに寄り添うことをめざしていたと、とりあえず講演やご本の記載からサマリーしてみます。
伊勢田先生のご本に紹介されている高校教師の事例をごく簡単に紹介して、このムーブメントの実際をみておきましょう。以降の事例に登場する( )内の下線部分は生活臨床的介入となります。
「出世」を強く求めた英語教師
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若くして両親を亡くし、長兄夫妻に養育されたある40代の英語教師は、「親がいないんだから勉強で身を立てなければだめだ」と言われて育ちました。幸い成績は優秀で、東大と思しき大学の入学をめざすほどで、東京で受験のための下宿生活を開始します。
しかし、受験に立て続けに2回失敗したことを契機に、「下宿先の近所の人が悪口を言っている」「電車に乗ると人がじろじろ見る」などといった被害関係妄想が出現。実家に連れ戻されたものの幻覚妄想状態による激しい興奮がおさまらず、最初の入院となりました。
薬物療法で症状はとりあえずは軽快し、周囲の説得で地元の国立大学に見事入学を果たして退院しますが、持ち前の気位の高さと遮二無二突き進もうという姿勢から、周囲との軋轢が絶えず、無理なスケジュールを詰め込んでは、生活破綻をくりかえし、大学在学中は二度の入退院を経験しています。
その後、何とか卒業を果たし、山間部の分校に就職が決まるのですが、本人は都会の学校に就職するのを希望していたため落胆。しかし、校長から「五年くらいしたら転勤になる。実績を挙げて平野部に戻れ」と励まされ、下宿して通勤となりました(勤務地が遠方で実家も安息の場ではないことから、働きかけの方針として、電話連絡をいつでもとれる体制と、休みを利用した休息入院が保証されます)。
職場では尊大で配慮に欠ける態度からしばしばトラブルになり、それが契機で被害関係念慮が出現(「無理をして再発したら出世の見込みはなくなる」とアドバイスするなど、生活破綻につながりかねない動きに対しては、これを抑える働きかけがおこなわれます)。そうした助力もあって、山間部での勤務の間、八回の休息入院を含む短期の入退院をくりかえしながらも、職場での役割遂行には著しい支障をきたさずにすみ、職務を全うすることができました。
そうこうして何とか持ちこたえているうちに、この英語教師には二つの転機が訪れます。
その転機とは、何度かのお見合いの失敗の後に、「太っ腹で如才ない」得難い配偶者を得たことと、兄と慕うある会社の経営者が若くして劇症肝炎で急死したため、「出世しても死んだらおしまいだ」と、「生き方をマイホーム主義に変え」、それまでとは打って変わった態度をみせるようになったことです。
彼の急所ともいえる管理職への昇進の野心と距離を取るようになったことで、同僚や上司とのトラブルは目に見えて減り、その後、10年以上にわたって安定状態が続き、投薬もごく少量となって、時に応じた生活相談程度で面談も推移したと書いてあります。
聞き取れなかった英国人教師の英語
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しかし、日本語が話せない若い英国人女性の教師が、本場の英語を生徒たちに聞かせるという趣旨で副教員として赴任して同僚となることで、事態は急激に破綻へと向かってしまいます。
この英国人教師の英語を、彼は聞き取ることができず、ひどく困惑したのですが、それを認めるのは彼のプライドから耐え難く、「早口で喋るのでわからない」「田舎の英語だからわからない」と相手を非難。それに対して英国人教師は、「あなたの勉強が足りないだけだ」と言い返し、
それに対して英国人教師は、「あなたの勉強が足りないだけだ」と言い返し、さらにそれに対して「助手のくせに」と高飛車な態度に出たため事態は収拾がつかなくなっていきます。
次第に、早朝から起きて英会話のカセットを聞き出すなど、生活の枠組みも揺らぎだし、不眠、疲労困憊となって、ついに「ソ連と北朝鮮が攻め込んでくる。危ないから外に出るな」と妻に土下座して訴え、木刀を持って庭に飛び出す、校庭で山に向かって旗を振るなどの異常行動が出現、緊急入院となりました(この事例は実際には当時はその概念がなかったASDを背景とした心因反応ではないかという解釈もありうるとは思います)。
当事者を支える「つっかい棒」
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精神科医は診断をおこなうために、「色、金、名誉」では理解できない部分に焦点を当てます。 ですから、当事者の話のなかから世間一般の常識からすればどうしてそんなことをするのかが「わからない」部分をできるだけ鋭敏に感じて、それを探り当てることで診断をするわけです。これが精神科医の往路になります。 しかし、ご家族や友人は、可能な限り「わかる」ことに注意を向け、「わからない」ことの前には可能であれば立ち止まらずに通り過ぎようとする傾向があります。 それは時に当事者の生活破綻の原因になる重荷にもなりえますが、「わかる」べき部分をわかって寄り添うことで、当事者を支える大きな力になることも少なからずあります。これは復路になります。 生活臨床とは、この復路を体系的に展開したものだとも考えられるかもしれません。先ほど、紹介させていただいた英語教師の方にとっての急所、あるいは生活臨床的に表現するのであれば「指向する課題」は、「名誉」であったことは間違いないでしょう。 生活臨床の実践は、「そんな世俗的な欲に囚われているから調子を崩すんだ」「そんな欲から解放されれば発病に至る急所もなくなるよ」と言って、できるだけそこから当事者を遠ざけることをめざすのではありません。
むしろ、当事者が囚われている「色、金、名誉」を、当事者を支えるもっとも太いこの世におけるつっかい棒だと考え、みんなでこのつっかい棒が倒れてしまわないように、あるいはそのつっかい棒がちょっと実人生の規格に合わない場合には、似たような別のつっかい棒への方向転換も含め、いっしょに支えようというものです。
以下はリンクで、