最近よく耳にするようになった「老後の住み替え」。FPの長野郁子さんによれば、住み替えには「自己実現型」と「現実型」の二種類があるという。「自己実現型」の典型である、共働きで子供のいないAさん夫妻は、定年後、自宅マンションを売ってN県に引っ越した。趣味の山歩きをして楽しく過ごしていたが、そこで思わぬ事態に見舞われる。
【写真】自宅を売って1000万円で「美しい農村」に引っ越し、夫婦は崩壊した
妻からの相談
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転居から3年が経った頃、夫のAさんが脳梗塞で救急搬送された。幸い軽かったので後遺症もなく1月ほどの入院で自宅に帰ることができた。 この時点で私に妻のNさんからFP相談があった。
「私はペーパードライバーで運転はもっぱら夫だった。今回の入院時は仕方ないから、地元タクシーを使って病院がよいや買い物をした。雪かきもやり切れないので管理事務所にお金を払ってお願いした。その支出を考えると、もし再発したらと考えるとここでの生活はやっていけないと思う。どうしたらよいか?」 という相談だった。
幸い、妻の退職金と自宅を売ったお金があったので私は撤退を勧めた。夫は回復したこともあり年齢的にも70歳前「オレはまだまだ大丈夫」と言ったが、妻の説得で渋々了承した。結局、こだわった家は築数年しか経っていないのに半値にしかならなかった。
そして入院した総合病院のあるN県の県庁所在地に妻の退職金で小さな中古の家を買って住むことになった。今後、介護施設に入居することになったとしても便利な一軒家なら売却してもいいし、貸してもいい。買い物は徒歩圏、病院にもバスで通える。旧宅から見えた山並みが少し遠くなったけど見えるそうだ。
やっと手に入れた大事なモノを手放すのはとてもつらいことだったと思う。でも、脳梗塞を再発しなくてもいずれ車の運転はできなくなる。移動も家の管理(雪下ろし、草刈りなど)も人に頼めばお金がかかる。貯金を取り崩して生活を支えても、その家は終のすみかにはならなかっただろう。早めの撤退で経済的な傷も浅くて済んだ。
この例は大事な退職金を減らし、FP的には失敗例なのだが、私には何故かそうは思えない。引っ越しが済んだ後、夫は妻に「気が済んだ」と言ったそうだ。損しても数年であったがやりたいことができて良かったという事だろう。
私の父は旅行好き、写真好きであちこちに行って写真を撮っていた。最晩年、老人ホームの自室が父の世界の全てになってからも、この旅先での写真を飽きもせず眺めながら、楽しかった思い出を何度も語った。
旅行も住み替えもそのこと自体より、その後の長い人生でやりたかった事ができた満足感や何度も語る楽しい思い出こそが、人生にとって値打ちがあると思う。私が自己実現型の住み替えを一概に否定しない理由はこの点にある。ただ、くれぐれも撤退準備を忘れないで欲しい。
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