なぜ超進学校「渋幕」「渋渋」学園長は生徒に「真似」を勧めるのか?「歴史」を学べば、AIが越えられない創造力の壁も乗り越えられる(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース
(出典:『伝説の校長講話――渋幕・渋渋は何を大切にしているのか』より)
「共学トップ」の超進学校・「渋幕」(渋谷教育学園幕張中学高校)と「渋渋」(同渋谷中学高校)。渋幕創設からわずか十数年で千葉県でトップの進学校に躍進させた田村哲夫氏は現在、同理事長・学園長を務めるかたわら、中1から高3までの生徒に向けた「校長講話」を半世紀近く続けており、その内容は現代社会に生きる幅広い年代の視野も広げてくれる。中学3年生に向けて行った、創造力を培うための講話の内容とは――。
【写真】講話を行う田村哲夫氏「時間はかかっても頑張って〈やりぬく力〉の大切さ」
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◆モーツァルトもまねをした
きょうの中心の話に移ります。なぜ学ぶのか。模倣という言葉は、あまりいい意味では使われないのですが、決められた形を学ぶことで、そもそも学ぶという言葉は「まねぶ」からきたと言われています。
決められた公式や定型をまねすることから、学ぶことが始まったというわけですね。数学で言えば決められた公式、国語で言えば言葉の意味や定型を知る。模倣がまねぶことの出発点。最初から新しいことを考えつくなどということは、誰もできないのです。
天才作曲家のモーツァルトも、若い頃には、先輩の素晴らしい曲を繰り返し聴いてまねした曲を残しています。模倣を繰り返す中から、ある年にピアノ協奏曲第23番という曲を突然つくるんですね。それまでの曲とは懸け離れた素晴らしい精神性のある音楽で、次回の講話で実際にお聴かせします。それ以降は、さすが天才という曲が連続してつくられたのです。
彼は若くして、その最盛期に亡くなってしまいます。 モーツァルトの素晴らしい曲の数々は、創造力でつくられたものです。英語で、模倣をイミテーション(imitation)、創造をクリエーション(creation)と言います。学ぶがまねぶから来ているのは、まねすることから始まるからなんです。この構図を少し説明します。
人間の能力が認知能力と非認知能力に分かれるということは聞いたことがありますか? AIと言われる人工知能は、過去に人間が行ったことを蓄積した膨大なデータを駆使して共通項を出します。これが認知能力で、多くの人の経験を活用し、失敗しないようなやり方を見つけ出すことです。
ところがAIがまねをしながら積み重ねていくやり方は、今のところ、非認知能力の代表である創造力の壁を越えられていません。創造まで飛躍できない。ここに大きな壁があるんですね。実は人間には、壁を越える力があるのです。だから模倣という方法で、他の人のしていることを一生懸命頭に詰め込んでいるわけですね。
◆自分で鍛える非認知能力
まずは非認知能力がどんな能力か。君たちが学校を出て社会で活躍する時にとても大事な能力になります。認知能力は模倣が基本で、すべて教えられます。数学的思考力、それから言語能力、この二つが学校で教える時間割の最終目標になります。非認知能力の特徴は、教えられないということです。たとえば自己認識をするには、君たち一人一人がアイデンティティを見いだすことが必要ですが、お父さん、お母さんにもそれを教えることはできません。
自分で分かろうと努力しなければならないのです。忍耐心や自制心も自分で意識して鍛える必要があります。
アメリカで、子どもがマシュマロを前にして、食べるのを我慢できるかどうか観察した実験が行われましたが、その後を調査すると、我慢していた子は我慢できなかった子に比べて社会的に成長していたそうです。
ポイントは、「心の持ちよう」と言われています。辛いことがあっても、みんなも頑張っているとか、いろいろな理屈をつけて心の持ちようを変えていくと、自制心、忍耐心が育っていくのです。 他の非認知能力としては、時間はかかっても頑張って「やりぬく力」の大切さが強調されています。今から4年も先の大学入試に向けて目標を設定して頑張るのは、やりぬく力になりますね。
◆創造が「神わざ」から「人間のわざ」へ
中3の学年テーマは、創造力です。「創」には傷つけるという意味があります。たとえば刀創(とうそう)という言葉を知っているかな。刀でついた傷のことです。創造というのは、何かを傷つけて、それまでになかったようなものを創り出す仕事だと考えられますね。中世のヨーロッパでは、まねをすることは人間のわざ、創造は神のわざ、と言われていました。
キリスト教などの本を読むと出てくる創造主とは、神様のことです。この言葉からも分かるように、かつては創造を人間の仕事とは思っていなかったんですね。
ところが、ある時期から創造は人間がすることだ、しかもかなり大事なことだとみんなが思うようになります。21世紀の社会に生きる君たちは創造する力がとても大事だ、と年中耳にするでしょう? 非認知能力の代表である創造力を伸ばすのに一番分かりやすい方法が、歴史を学ぶことなんですね。今の時代の現象を理解し、こうすればいいというヒントが分かる。歴史には、謎解きのカギが山のようにあるんです。それでは、創造力を一つのキーワードにして、それを身につけるために人々は歴史上どんなことをしたのか、話をしてみたいと思います。
【スクリーンに書物の画像】
これは、『論語』という本です。今から2500年ぐらい前、中国に孔子という人がいました。孔子は「天」という存在がすべての人をコントロールしていて、天の命令の代表的なものが「仁」と考えていました。仁という漢字は二人の人と書くでしょう。人間一人一人が相対して話し合い、社会をつくっていく中で生きる道を見つけるのだという考え方です。
◆『論語』の解説書を日本にもたらした、遣隋使・遣唐使
孔子は生きている間に一切本を書かなかったのですが、お弟子さんが師の言葉を覚えていて、本にして残してくれたんですね。その代表が『論語』で、いいことがたくさん書いてあって、ああ人間はこう考えて生きればいいんだということが読むとよくわかります。
ただし内容は難しく、2500年もたっているので解説書も膨大な数に上っています。代表的なものが三つあって、その一つが『論語疏(そ)』です。解説書のことを「疏(そ)」といいます。 この『論語疏』は今から1200~1300年前、日本人が中国で買って持ってきたものが現存しています。実は中国ではこうした本は、数百年に一度は起きる革命などの争いで散逸してしまい、残っていないそうです。ところが日本に『論語疏』が保存されていたんですね。 こうした書物を中国から持ってきたのが、きょう取り上げる遣唐使、遣隋使です。作家の井上靖が『天平の甍(いらか)』という本に書いていますが、当時の唐、中国は世界で最も進んだ国で、首都長安、今の西安には世界中の人が行き交っていました。進んだ文化に魅力を感じて、日本から優秀な僧侶を遣隋使、遣唐使として中国に派遣したのは、7~9世紀の200年間余りです。資料にあるのは、平城京ができて1300年を記念して造られた船の写真です。 遣唐使を派遣した船を再現したのですが、嵐がきたらひっくり返りそうですね。
実際に、派遣された人のうち無事帰った人は半分いたかどうかで、海に投げ出されたり、慣れない気候で病気になったり。それでも希望者が殺到し、必死の思いで最先端の文化を学んで帰ってきたのです。これを進取の気性というのでしょう。中2でやりましたね。新しいことに取り組もうという精神で、その進取の気性が創造力につながるのです。
※本稿は、『伝説の校長講話――渋幕・渋渋は何を大切にしているのか』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
田村哲夫,古沢由紀子