答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

〈私的〉建設DX〈考〉その7 〜 コペ転

2024年06月18日 | 〈私的〉建設DX〈考〉

DXへと至る3つのプロセス

前回は、「ケータイからスマホへ」を例にとってデジタイゼーションあるいはデジタライゼーションからDXへと昇華する形態として、メタモルフォーゼを挙げました。メタモルフォーゼ(変態)を遂げてトランスフォーメーション(変形)へと至る、というのもおかしな話ですが、とにかくその進化と有り様は、まさにメタモルフォーゼと表現するのがふさわしいと感じたからです。

では、メタモルフォーゼだけがデジタル化を起点としてDXへとステップアップする形態なのでしょうか?
いくつかの例をつらつら考えてみるに、どうもそうではないようです。いや、むしろそのパターンは希少なのかもしれません。なぜならば、メタモルフォーゼを遂げるためには、さまざまな偶然や因果が関係し合う必要があるからです。つまり、自らの意思や行動のみでそうなることは、ほとんどないといってもよい。という意味では、DXを目指すためには、異なるアプローチを考え、そして採用する必要があるのではないでしょうか。

そのパターンは、先述したようにいくつか考えられます。
たとえば斜め上を行く発想であったり、また、異なる切り口からのアプローチであったり、あるいはパラダイムをシフトすること、いやいやどうしてそれらはすべて、口で言うほど簡単ではないにしても、自分が属する組織の在りようによっては実現させることが可能です。
ここからはそれを、「コペルニクス的展開」によるものと「ラテラル思考」によるもの、のふたつに集約して論を展開することとします。

つまり、DXへと至るプロセスには、メタモルフォーゼ、コペルニクス的転回、そしてラテラル思考の3つがあるという仮説です。メタモルフォーゼについては前回で触れたので、この稿はコペルニクス的転回について述べてみます。


「コペ転」の理由(わけ)

コペルニクス的転回。
16世紀ポーランドの科学者コペルニクスが、それまで皆が信じて疑わなかった地動説(地球中心)に代わり、太陽が宇宙の中心に位置し、地球を含むすべての惑星がその周りを回っているというモデルを提唱し、既存の価値観をひっくり返した(ちなみにその理論が公になったのは彼の死後だったのですが)ことから、現代では、既存のパラダイムや視点が根本的に変わることをあらわす言葉として使われています。

余談です。
とはいえそれはあくまで一般的にであり、ぼくにとってのコペルニクス的転回は「コペ転」という省略形として脳裏に刻まれています。
青春漫画の金字塔『博多っ子純情』の主人公は郷六平。1976年の連載開始時、彼の年齢は14歳なので昭和37年生まれ(とは限らないのですが)ぼくより5つ下です(ということにしときましょう)。
舞台は70年代後半(たぶん)の福岡。博多山笠という祭りを軸に、祭りと祭りのあいだの季節に、登場人物それぞれの日常が重なり合って物語が進んでいくそのなかで、「コペ転」とは、「物事の見方が180度変わること」という本来の意味をきちんと踏襲し、六平や彼の友人たちのなかでは童貞からの卒業、すなわち「初体験」を意味する暗号として頻繁に登場する言葉でした。
爾来、ぼくのアタマのなかにコペルニクス的転回は、コペ転という省略形とともに、これまたその本来的意味をきちんと理解したものとして棲みついてきました。
あゝコペ転。
今回、DXへと至るアプローチの一形態として、真っ先にその言葉が浮かんだのもむべなるかな、でしょう。
 

Amazonのコペルニクス的転回的画期性

閑話休題。
今回ぼくが、コペルニクス的転回を経てDXへと至った例として挙げようとするのはGAFAMの一角、あのAmazonです。
Amazonが、1994年にオンライン書店として創業したのは、ひょっとしたら、今となってはあまり知られていないのかもしれません。事ほど左様に、現在では多種多様な商品を取り扱う世界最大のEコマースプラットフォームとなったAmazonが、AWSというウェブサービスを始めたのは2006年でした。
これがクラウドコンピューティングの嚆矢となり、GoogleやMicrosoftなどもそれにつづき、企業は自社でサーバーを運用したり、専門サービスを請け負う会社のサーバーを借りる必要がなくなり、コストを削減しつつ柔軟なITリソースを利用できるようになりました。

いつでもどこでも、インターネットにつながりさえしていれば、クラウド上で自分のデータを作成し、またそれにアクセスできるという現代の常識は、「自社でサーバーを持つ必要なんてないじゃないのか」という斬新な発想から生まれ、これにより、ITインフラの考え方が根本から変わり、企業のビジネスモデル全体に大きな影響を与えたのです。

また、Amazonのコペルニクス的転回的画期性(ややこしい言い回しですが気に入ったのでそのままにします)をあらわしているのは、なんといっても2005年にはじまったAmazonプライムでしょう。
Amazonプライムは、年会費を支払うことで多様な特典を享受できるサブスクリプションサービスを導入しました。プライム会員になれば、無料配送の制限がなくなり、それまでには考えもつかないような「超素早い配送」という恩恵を受けるので、潜在顧客の購入頻度が増します。それによってこのモデルは、オンラインショッピングの一回限りの取引を、継続的なサービス提供へとシフトさせましたーーー実際ここに、まんまとそれに乗せられ、今も継続中の田舎者がいますーーー。

Amazonプライムは、そうやって顧客体験を変えたのみならず、単一のプラットフォームで多くのサービスを提供するエコシステムを構築しました。これにより、プライム会員になれば、ショッピング、エンターテインメント、読書などを一つのサブスクリプションで楽しむことができるため、他のプラットフォームを利用する必要がなくなり、Amazonのエコシステム内に留まる確率が高くなります。つまり、顧客はAmazonのプラットフォーム内でほとんどのニーズを満たすことができるようになりました。

というか、できるようになったというよりさせられるようになったという方が適切かもしれません。繰り返しますが、実際ここに、まんまとそれにはめられ、今も継続中の田舎者がいます。ところがこれ、不便なところに住んでいればいるほどありがたいシステムではあります。
もちろん、物事にはすべて光と陰があり、当然のこととして、Amazonモデルが生み出した闇もあります。これだけ大きな変革ともなるとそれは尚さらなのですが、ここはそれを論じる場ではありません。

さて、かつてのぼくが想像もできなかったこの「今」という未来は、ユートピアへ向かうものか、それともディストピアなのか。ともあれ、「コペ転の巻」はこれにて終了といたします。


コメント
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