答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

エイジフリー

2018年04月24日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

わたしの友人である自動車メーカーの経営者は、エイジフリー・バリアフリーカンパニーを目指して、実行しています。練達の職人には、指導者、指南役として、定年を過ぎても会社に残って後進を指導する役割が与えられます。もちろん、本人が退職したいと願い出れば、それは自由なのですが、働きたい意思があるならば、年齢は問わない。自動化された現代の製造システムの中では使われない技術であっても、古い職人の技術の中にあったモノづくりのための、感性や、思想を、直接目で見させ、肌で触れさせる指南役です。そうした、現場感覚を研ぎ澄ます中から、新しい時代に転換可能な技術が生まれてくると信じているからです。(『21世紀の楕円幻想論、P.116~117、太字宮内)

 

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学
平川克美
ミシマ社

 

「土木」というわたしたちの仕事においても、これからますますこのような考え方とその実践が必要になってくるのではないだろうか、と思いつつ『21世紀の楕円幻想論』の一節を読む。

もちろん、ただただ働きつづけていればよいというものではなく、パサーとしての「伝える」側には「伝ようという意思」と「伝える技術」が必要なのだし、一方のレシーバー、「伝えられる」側には、そのパスの本質を読み取る感性とそれを受けて次へ活かすのだという強い意欲が求められる。しかし、その両方の邂逅は希少である。そのための環境を整備するという意識を経営者が持ち、その実践がないところでは、実現は容易ではない。


多くの建設業経営者は、若年労働者不足の代替手段として致しかたなく高齢者の雇用をつづけている(ようにわたしにの目には映る)。その気持を代弁すると、「若くてイキのいいやつが入ってくれば、いつまでもこんなロートルたちを使わなくてもいいのだが・・・」てなもんではないだろうか。

必要な人材として企業に残ってもらう。その「必要」とは、員数合わせのための「必要」ではなく、経験と智恵、感性と思想などを次代に受け渡すための「必要」である。そのための意識づけとモティベーションアップを、技術者や技能者個人に要求するだけでなく、老兵がただの老兵で終わらぬようにきちんとした方向性を指し示すのは経営者の責務だ。そしてそれは、その高齢者たちのためばかりではなく、あとへつづく若者たちのためでもある。

技術や技能や感性や思想という先人から受けた「贈与」を返す相手としての先人は、組織内にはすでに存在しない。「返礼」しなければならないという意識があれば、その返礼先として次世代を選択するしかないのだ。その「贈与と返礼のサイクル」の中にその身があるのだという意識づけと、そのために自分自身が何をなすべきかを自分の頭で考え、自分の身体を使って動くという方法を、老兵たちが自分自身で採用するべきだ。しかし、、、生き方、死に方、生き場所、死に場所、、、自らそれを見つけられる人はそれほど多くはない。その現実を踏まえると、全国に数多存在する高齢技能者高齢技術者にそれを与え、次代のために「奉公」してもらう場を設けることができる立場と、それを実行しなければならない役割を誰が担うかは自ずと決まってくるのではないだろうか。

バカとハサミは使いよう。

使う側の力量や能力によって人材が人材たり得るのもまた事実。

「ないものねだり」より「あるものさがし」。

そんな視点を持つこともたいせつなのではないだろうか。

 

 

と、ここまで書き、投稿をするために頭から読み返してみると、あらあら、いつもよりなんだか少し言葉が硬い。それに、選ぶ言葉もヒラカワ的になっているような・・・・・・

ま、いいか。

ボリボリとアタマを掻きつつアップロード。



 


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