答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「俺は、案外、俺のために生きているわけではないのかもしれない」(平川克美)

2018年04月15日 | 読む(たまに)観る

少しばかり本を買い込みすぎて反省しきりのところへ、ミシマ社から平川克美さんの新刊が出ていることを知り、少しばかり躊躇したあと、「買えよ、当然だろうが」と別のわたしに促されたのをいいことに購入。「本体1800円+税」という金額に少しばかり懐が痛みつつ、本の実物が届いてみると、無性に読みたい。

ということで、次はコレでその次はアレと自分のなかで決めていた順番などそっちのけして『21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学』(平川克美)を読み始める。

東京からの客人が「モネの庭」へと来るのを待つ上午である。

 

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学
平川克美
ミシマ社

 

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ところで、グレーバーが指摘しているように、人間生活のすべてを自己利益の追求として説明しうるとする考え方は、人類史的な時間の中ではずいぶん新しい考え方なのです。

経済学の基本であり、政治学においても広く認知されている「合理的選択理論」、つまり、人間とはあらゆる場面で、最少のコストで、最大の効用を求める利己的な存在であるという考え方も新しい理論であり、政治の分野でこの理論が強調されたのは1950年代以降、経済分野においては、もっと新しいかもしれません。(略)

しかし、わたしの経験から導かれた結論は、そうしたものとはおよそかけ離れたものだったのです。

それは簡単に言えば、こんなことです。

俺は、案外、俺のために生きているわけではないのかもしれない

「誰もが、自分が大事だと思っている」と思っているかもしれませんが、このこと自体が、ホッブズ以来の資本主義的な社会が生みだした、人類史的にみれば比較的新しい、偏見なのかもしれないと、疑ってみる必要があると思ったのです。

(P.48~49)

 

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「うん、この本、当たり」

そう独りごちて本を閉じ、日曜朝のグッドチョイスに気をよくして、いざ「モネの庭」へ。

 

 

 

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