散日拾遺

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出典さまざま、初出いろいろ

2023-09-27 07:59:50 | 読書メモ
2023年9月27日(水)

 「事実は小説より(も)奇なり」 Truth is stranger than fiction. 
 出典がバイロンとは知らなかった。『ドン・ジュアン』だそうだが、書名で検索するとモリエールの同名の作品が先に出てきて、バイロンは古書ばかりである。大部の作品らしく、いずれも絶版。商売にならないのであろう。
 「事実は…」の言葉にマーク・トウェインのつけた注釈を、半年前の毎日新聞『余録』が紹介している。その文脈が面白い。記者も勉強するものだ。

 英詩人バイロンの詩が出典とされる「事実は小説より奇なり」のことわざに、米作家マーク・トウェインが皮肉屋らしい言葉を付け足している。「小説は実現可能性にこだわらざるをえないが、事実はそうでないからだ」
 時に「まるでマンガ」のドラマが見られるのがスポーツの世界である。米フロリダで行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝ラウンドでは小説なら都合が良すぎると言われかねない展開が続いた……

***

 「けれども、証拠が存在しないことは、存在しないことの証拠ではない。」
カール・セーガン『エデンの恐竜』P.7
 これは英語に戻した方がわかりやすい。

  Absence of proof is not proof of absence.

 かな。
 誰かの引用かと検索してみたら、他ならぬカール・セーガンの言葉として紹介するサイトがあった。

  Absence of Evidence is not Evidence of Absence.

 しかしこれはセーガンが最初ではなく、明らかに伝統的な格言と思われる。「消極的事実の証明」というウィキペディアの項目が、少々逸れるが教育的である。
 こういう言い回しは英語に限るという気がするが、なぜだろうか?これに配するに、日本語なら「好きな人に好きな人がいたんです」という表現を挙げてみたい。冗談ではなく、それぞれの特徴と特長をよく表している。何を省略できるかというシステムの違いである。

 最初と言えば、「エジプトはナイルの賜物」という有名な言葉はヘロドトスが初出ではないらしい。
 「今日ギリシア人が通航しているエジプトの地域は、いわば(ナイル)河の賜物ともいうべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。」
ヘロドトス『歴史』巻2-5
 「この句は古来有名であるが、これはヘロドトスの先輩であるヘカタイオスがすでにそのエジプト史に使用した句であるという。」
 松平千秋氏による岩波文庫の解説

 誰が最初かは本質的な問題ではない。「愛の反対は憎しみではなく無関心」の初出はマザーテレサではなく、アウシュヴィッツのサバイバーであるエリ・ヴィーゼルだという。双方を記憶しておきたいのである。

 ナイル川などに関するヘロドトスの記述が非常に面白いが、今はここまで。これから出かけて京都へ日帰り、ちょうど4年ぶりの京都府庁舎である。

Ω

 

 

 

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