2013年8月5日(月)
そうそう、これは早く書いておきたかったのだ。
一桁、二桁、三桁、四桁
何て読む?
ひとけた、ふたけた、みけた、よけた
当然と信じて疑いもしなかったが、長男が小学校へ上がって、ということはもう15年ほど前のある日、タマゲた。
いちけた、にけた、さんけた、よんけた
「ちょっと待った!」
たぶん血相変えて彼を制したことだろう。
美しくないし、日本語の伝統に反していると、コンコンと諭そうとして、
「でも先生が・・・」
そう、先生方が皆このように言ってらっしゃると知り、二度びっくり。
当時、目黒区立N小学校の担任団には僕より年輩の先生方がまだ多かったから、世代やシツケの問題ではあり得ない。しかも皆一斉にそう言っておられるということは、明らかに上からの指示の結果そう変更されたのだ。
美しくないよ、これ。
浴衣を左前に着るような興ざめ、受け入れがたい。
頭を冷やして論理化してみる。
この種の美意識というのは教わって身につくものだから、初めから「いちけた・・・」で教わって育てば違和感も起きないのだろう。その程度のことなら、あるいはどちらでも良いのかもしれない。
(決して「どちらでも良い」ことではないと直感は告げるが、ここは敢えて百歩譲っておく。)
しかし、どちらでも良いことであるなら、なぜわざわざ変えなければならないのか?
特に変える理由のないものは、変えないのが正しい。
それが健全な保守主義というもので、日本の「保守政党」の国土と文化の破壊路線は、健全な保守主義を常に裏切ってきた。
勘ぐりたくはないが、これって悪しき官僚主義の弊害ではないのかな。
自分の在職中に何かしら「これをやった」とアピールできるものを残したいと、エライさんの誰かが考えて。
「いち、に、さん」の系列と「ひとつ、ふたつ、みっつ」の系列、これが混在しているのはよろしくない、みっともない、混乱のもとである。今後は「いち、に、さん」で統一することを初等教育の現場で徹底のことと指示。
これをもって「教育の質の向上」に関する業績と主張する誰かが、いる/いたのではないかしらん?
「特に変える理由のないこと」とさしあたり言ってみたが、
変えることの実害もあるのだ。
子どもたちが「にけた」というのが、僕には「みけた」と紛らわしく、その都度確認せねばならない。
「ふたけたのこと?」
「そう、にけた」
「おうちでは、『ふたけた』と言おうね」
以来、息子たちはダブル・スタンダードの中を往復させられ、さぞ迷惑であったことだろうが、こういことを官の横暴に任せておいてはいけない。
文化は常に細部に宿るんだからね。
少しだけ補足するなら、「いち、に」系列(音読み系列)と「ひとつ、ふたつ」系列(訓読み系列)の混在というか共存は、漢字かな交じり文化の本質を端的に反映するもので、これを止めろというのは日本語の構造そのものを万葉集に遡ってやり変えろというに等しい。考えのない欧米かぶれか、スパイでもなければ、そんなことは主張しないものだ。
ちなみに、韓国朝鮮語にも同じ構造がある。
「イル、イ、サム、サ」の系列と「ハナ、トゥル、セ、ネ」の系列だ。
韓国は表記の面では漢字を捨ててハングルで一本化する方向へ動き、やや揺れ戻しがあって現在に至っているらしいが、この種の問題はどうなんだろう。
漢字という文化上のスーパー・ウェポンを受け入れ、これをどう生かすかを日韓で競っているようなものだ。訓読み系列を捨てようなんて、ハングリアンが聞いたら驚き呆れるだろうよ。
*****
もっと呆れる話がある。
イヌ、という動物がいますよね。
その生物分類上の位置づけを御存じですか?
動物界 脊椎動物門 哺乳綱 食肉目 イヌ科
すらすら出てくるのは、オジサン世代の証明。
今はですね、食肉目ではなく、ネコ目というのだ。
いつの間にか、そう変わったらしい。
ネコ目 イヌ科
信じられますか?
かつて食肉目と呼ばれたすべての動物、イヌもクマもイタチもスカンクもハイエナも、海の部でアシカもアザラシも、今や全部「ネコ目」なのだ。
ということは・・・そうです。
偶蹄目はウシ目、奇蹄目はウマ目、齧歯目はネズミ目、以下同様。
従って、
ウシ目 ブタ科
ウマ目 サイ科
笑っちゃうネジレ関係が、そこかしこに生じている。
食肉目、偶蹄目など、言葉が固いようだが、名がみごとに体を表す漢字の素晴らしさで、言葉を知れば思想が分かるという高度の合理性があった。
昆虫でも何でも同じ、「ハエやアブは双翅類」と教われば、「なるほど、ハネが4枚じゃなくて2枚なのか」とすぐに分かる。
いっぽう新方式では、ウシ目のウシ目たる所以が何なのか、なぜブタがウシに括られるのか、かえって訳が分からない。
ついでに言えば、たとえば双翅類は欧州語では diptera、つまり di-(双)+ ptera(羽、翼)で、ラテン語の意味に従って名が体を表す式になっている。先人たちは近代化にあたり、表意文字である漢字の特性を生かして欧州の蓄積を速やかに取り込んだ。それ自体、貴重な歴史遺産ともいえる。
それもこれも全部捨てて「ネコ目 イヌ科」、これがいったい進歩ですか?
これって一種のマッチポンプだよね。
マッチポンプの陰には、たいがい矮小な功名心が隠れている。
日常生活の中で、しっかり防衛するしかない。
今日も頑張ろう!
そうそう、これは早く書いておきたかったのだ。
一桁、二桁、三桁、四桁
何て読む?
ひとけた、ふたけた、みけた、よけた
当然と信じて疑いもしなかったが、長男が小学校へ上がって、ということはもう15年ほど前のある日、タマゲた。
いちけた、にけた、さんけた、よんけた
「ちょっと待った!」
たぶん血相変えて彼を制したことだろう。
美しくないし、日本語の伝統に反していると、コンコンと諭そうとして、
「でも先生が・・・」
そう、先生方が皆このように言ってらっしゃると知り、二度びっくり。
当時、目黒区立N小学校の担任団には僕より年輩の先生方がまだ多かったから、世代やシツケの問題ではあり得ない。しかも皆一斉にそう言っておられるということは、明らかに上からの指示の結果そう変更されたのだ。
美しくないよ、これ。
浴衣を左前に着るような興ざめ、受け入れがたい。
頭を冷やして論理化してみる。
この種の美意識というのは教わって身につくものだから、初めから「いちけた・・・」で教わって育てば違和感も起きないのだろう。その程度のことなら、あるいはどちらでも良いのかもしれない。
(決して「どちらでも良い」ことではないと直感は告げるが、ここは敢えて百歩譲っておく。)
しかし、どちらでも良いことであるなら、なぜわざわざ変えなければならないのか?
特に変える理由のないものは、変えないのが正しい。
それが健全な保守主義というもので、日本の「保守政党」の国土と文化の破壊路線は、健全な保守主義を常に裏切ってきた。
勘ぐりたくはないが、これって悪しき官僚主義の弊害ではないのかな。
自分の在職中に何かしら「これをやった」とアピールできるものを残したいと、エライさんの誰かが考えて。
「いち、に、さん」の系列と「ひとつ、ふたつ、みっつ」の系列、これが混在しているのはよろしくない、みっともない、混乱のもとである。今後は「いち、に、さん」で統一することを初等教育の現場で徹底のことと指示。
これをもって「教育の質の向上」に関する業績と主張する誰かが、いる/いたのではないかしらん?
「特に変える理由のないこと」とさしあたり言ってみたが、
変えることの実害もあるのだ。
子どもたちが「にけた」というのが、僕には「みけた」と紛らわしく、その都度確認せねばならない。
「ふたけたのこと?」
「そう、にけた」
「おうちでは、『ふたけた』と言おうね」
以来、息子たちはダブル・スタンダードの中を往復させられ、さぞ迷惑であったことだろうが、こういことを官の横暴に任せておいてはいけない。
文化は常に細部に宿るんだからね。
少しだけ補足するなら、「いち、に」系列(音読み系列)と「ひとつ、ふたつ」系列(訓読み系列)の混在というか共存は、漢字かな交じり文化の本質を端的に反映するもので、これを止めろというのは日本語の構造そのものを万葉集に遡ってやり変えろというに等しい。考えのない欧米かぶれか、スパイでもなければ、そんなことは主張しないものだ。
ちなみに、韓国朝鮮語にも同じ構造がある。
「イル、イ、サム、サ」の系列と「ハナ、トゥル、セ、ネ」の系列だ。
韓国は表記の面では漢字を捨ててハングルで一本化する方向へ動き、やや揺れ戻しがあって現在に至っているらしいが、この種の問題はどうなんだろう。
漢字という文化上のスーパー・ウェポンを受け入れ、これをどう生かすかを日韓で競っているようなものだ。訓読み系列を捨てようなんて、ハングリアンが聞いたら驚き呆れるだろうよ。
*****
もっと呆れる話がある。
イヌ、という動物がいますよね。
その生物分類上の位置づけを御存じですか?
動物界 脊椎動物門 哺乳綱 食肉目 イヌ科
すらすら出てくるのは、オジサン世代の証明。
今はですね、食肉目ではなく、ネコ目というのだ。
いつの間にか、そう変わったらしい。
ネコ目 イヌ科
信じられますか?
かつて食肉目と呼ばれたすべての動物、イヌもクマもイタチもスカンクもハイエナも、海の部でアシカもアザラシも、今や全部「ネコ目」なのだ。
ということは・・・そうです。
偶蹄目はウシ目、奇蹄目はウマ目、齧歯目はネズミ目、以下同様。
従って、
ウシ目 ブタ科
ウマ目 サイ科
笑っちゃうネジレ関係が、そこかしこに生じている。
食肉目、偶蹄目など、言葉が固いようだが、名がみごとに体を表す漢字の素晴らしさで、言葉を知れば思想が分かるという高度の合理性があった。
昆虫でも何でも同じ、「ハエやアブは双翅類」と教われば、「なるほど、ハネが4枚じゃなくて2枚なのか」とすぐに分かる。
いっぽう新方式では、ウシ目のウシ目たる所以が何なのか、なぜブタがウシに括られるのか、かえって訳が分からない。
ついでに言えば、たとえば双翅類は欧州語では diptera、つまり di-(双)+ ptera(羽、翼)で、ラテン語の意味に従って名が体を表す式になっている。先人たちは近代化にあたり、表意文字である漢字の特性を生かして欧州の蓄積を速やかに取り込んだ。それ自体、貴重な歴史遺産ともいえる。
それもこれも全部捨てて「ネコ目 イヌ科」、これがいったい進歩ですか?
これって一種のマッチポンプだよね。
マッチポンプの陰には、たいがい矮小な功名心が隠れている。
日常生活の中で、しっかり防衛するしかない。
今日も頑張ろう!
素人の感覚では説明されてもピンときませぬ・・・