散日拾遺

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たちばな日記 002 のど自慢の伴奏者

2013-08-05 11:49:43 | 日記
2013年8月5日(月)

標題の「たちばな日記」は6月中旬から放ってあった。
どういうつもりで始めたんだか、自分でも分からなくなってしまった。
何でこんなタイトル、つけたんだっけ?

そうか、そうだ。
そうだった。

患者さんたちが臨床について、また人間について教えてくれる。
事の性質上そのままでは書けないが、書き残しておかないのは損失だと思ったのだった。
そして最近は、書いておかないとすぐに忘れる。
あるいは、書いたそばからすぐ忘れる。
フクロウが笑う。

仕事の合間に、ちょっとだけ書いておこう。

*****

Yさん、としておく。
60代にかかろうという女性だが、ずっと若く見える。
彼女が子どもの頃、なりたいと思ったものが二つあった。

ひとつは、動物園や水族館の飼育係、これは分かりやすい。
もうひとつが、のど自慢の伴奏者だった。
NHKで日曜の昼前にやっている、あの「素人のど自慢」の伴奏者である。

Yさんが少し照れながら、目を輝かせて語る。
のど自慢の出場者は一様にものすごく緊張している。そして素人である。
プロのステージでは起きえないことが、しばしば起きる。
音を外し、途中で止まり、メロディーを間違え、立ち往生する。

けれども、何が起きようとも伴奏者は必ず対応する。
対応するという意味は、
決して歌い手に恥をかかせない、ということだ。

「決して恥をかかせない」という言葉を、Yさんは何度も繰り返した。

何が起きても、どんな時でも、ちゃんとフォローして、決して出場者に恥をかかせないんです。
私はいつも、すごいなあと思って見ていて、そうして自分もいつかあんな伴奏者になりたいなあって・・・

そんなふうに「のど自慢」を見る人があるのだ。

Yさんは、飼育係にならなかった。
今は一羽のウサギをこよなく愛し、彼女といたわり合いながら暮らしている。

Yさんはピアノを習ったが、のど自慢の伴奏者にならなかった。
けれどもピアノの修行は後に思わぬ実を結び、今は教会の内外で歌う人々の伴奏をしている。

「祈ったことは何一つ叶わなかったが、すべて聞き入れられた」という例の祈りが、いまYさんの実感となっている。

Yさんの病気?
軽い強迫症状とだけ書いておこう。

ソノコトが、彼女の人生において何か本質的な意味をもつと思うか、とフクロウ氏。
さあ、どうだかね。それは見方にも依ることで。
そんなことより、Yさんが海の風景を好むことを特筆しておきたいじゃないか?

冬のさなかに不意の休日を恵まれたとき、Yさんは僕の出まかせを信用して葛西臨海公園に出かけた。
その前夜、たまたま首都圏にまとまった雪が降り、葛西の海岸は銀色を装ってYさんを迎えた。
珍しいぐらい人が少なく、ペンギンたちが故郷に帰ったように胸を張ったという。

初夏の休日には、横浜に出かけた。
僕らには迷惑なばかりの渋谷駅の改装も、Yさんには最寄りから一本で横浜の海に逢いに行けるという、望外の恩恵をもたらした。

海のもたらす回復力を、フクロウさん、あんたはどう見るのか?
「母」だろうかね?

ホ、ホ、ホ

*****

アルコールの問題が、僕らの社会において深刻だ。
いずれあらためて書く。

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