散日拾遺

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本当の愛、教養小説/五穀の起源

2014-07-25 06:45:28 | 日記
2014年7月25日(金)

> 私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。

 ・・・失礼しました。漱石に「良い女性像が出てくるか」などと書いたりして。
 もちろん「女性像」は男性が形づくるものだから、そこで問われるのはどちらにせよ男性のあり方なのだけれど。
 「無意識の偽善」などという時の漱石は、男性の視線のもとでの女性のふるまいを執拗なまでに厳しく観察していて、これがまた女性のふるまいを通してそれを生み出す男性側の視線の歪みを描き出す形になる。
 今朝の第68回、冒頭では「奥さん」の矛盾した心情を憎んでいた「先生」が、末尾ではその矛盾のどちらもが真実なのだと悟って「奥さんを悪く思う気持ちがなくなった」と書かれている。短時日に「先生」は、人間的に一段の成長を遂げた。
 こういう文章のありようを、ドイツ人が Bildungsroman と呼んだのではないかと思う。通常は「教養小説」と訳される言葉である。誤訳とはいえないまでも誤解を招くもので、「(人間)形成小説」とか「成長小説」とか言いたいような一面がある。形成された結果としての「教養」ではなく、それが形成されるプロセス ~ Gebildet ではなく Bildung ~ がテーマだからだ。そうでないと、ヘッセの位置づけなど訳が分からなくなる。

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 台湾航空機が墜落し、アルジェリア上空でも旅客機が消息を絶った。どうしちゃったんだ、今年の空は?

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 千字文83の李注が面白いので、転記しておく。

 昔、帝コク(すごい漢字で、さすがに出てこない。「學」の冠の下に「告」と書く)の妃の姜源(キョウゲン)は、外出の際に長さ六尺もある男の足跡を見つけ、自分の足で踏んでみると親指の大きさにも足りなかった。するとたちまち妊娠したのを感じ、やがて一人の子を産んだ。
 父親のないことを恥じて道端に捨て、牛や羊に踏み殺させようとしたが、牛も羊もその子を見ると避けて通り過ぎた。山の谷に捨てて虎や狼に食べさせようとしたが、大きな虎が現れて乳を飲ませて養った。氷の上に捨てて凍死させようとしたが、鳳凰が舞い降りて子を翼で覆った。
 姜源は子をひきとって養い、棄(キ、捨て子)と名づけた。棄は長じて后稷(コウショク)となり、五穀を植えること、春夏秋冬のその生長を知ること、秋には刈り入れて蔵に蓄えることを教えた。堯はその功を知り、社稷の廟を建てて厚く祭らせた。

 出生の縁起は例によって『詩経』に見えるとある。
 姜源の狂言だろうって?どうかな~・・・

 五穀の起源、本朝では『古事記』の下記の下りにある。

 (スサノオノミコト)食物を大気津比賣(オオゲツヒメ ~ 阿波の別名でもある)に乞ひき。大気津比賣は鼻口また尻より、種々の様々の味物を取り出し、種々作り具えて進(たてまつ)る時に、スサノオノミコトそのしわざを立ち伺ひて、汚して奉進(たてまつ)るとおもひて、すなはちその大気津比賣を殺しき。
 故、殺さえし神の身に生(な)れるものは、頭にカイコ生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき。
 故、ここに神産巣日の御祖命(カミムスヒノミオヤノミコト)、これを取らしめて種と成しき。

 おおらかなものだ。例によって短慮粗暴なスサノオだが、母体の死を媒介に子種が世に出て栄えること、深い含蓄をもっている。スサノオはその号砲を撃つ役回りとも見える。一種の父親機能である。

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