散日拾遺

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字幕のアッパレ、交「換」神経

2020-08-05 06:47:39 | 日記
2020年8月5日(水)
 いつも字幕のアラ探しばかりして申し訳ないので、たまには「アッパレ」話を。
 映画『心の旅路 Random Harvest』の中で、ジョンとポーラ夫妻に待望の赤ん坊が生まれる場面がある。戦間期イギリスの田舎のことで、家庭に看護師が泊まり込み医者が往診するスタイルだが、これは『アンナ・カレーニナ』の19世紀ロシア貴族家庭でも同じだった。
 年配の牛乳屋がいつものように朝の配達にやってくる。経験のないジョンが陣痛について尋ねると、牛乳屋の返事は「女房よりも俺がたいへんだった」というのである。夫人の陣痛にあわせて牛乳屋は神経痛で七転八倒、特に二人目の時はひどかった、そして言ったことが、
 「医者に訊いたら、交神経痛だってよ。」
 「うまいっ」と膝を叩いて笑った。朱字(字幕では傍点)のところ、「交神経」の間違いであることは言うまでもない。もちろん、わざと間違えているのである。再生を止めて聞き直したら、原語は "synthetic nerve" のようである。"sympathetic nerve" の間違いというわけで、音と意味を同時に掬い、これは字幕翻訳者なかなかのファインプレイである。

 (副)交感神経系を (para)sympathetic nerve system と呼ぶのは周知の通りだが、ここに "sympathy" の語のはめ込まれていることがずっと気になっていた。(副)共感神経系と訳しても良かったわけである。
 自律神経系の第一の機能は内分泌系と並んで個体の恒常性を保つことであり、医学部教育でも終始一貫、個体の健康維持と病理の観点から扱われる。しかし、その同じ自律神経系が個体間の相互作用に開かれており、生理レベルでのコミュニケーションに資すること大であるのは、アクビの伝染を考えればわかるとおり。医学では副次的なエピソードかも知れないが、社会的動物としての人間について考える際にはむしろ主要なテーマとなる。命名者はそれをよく知っていた。
 教養課程の英語で読んだ人類学教科書に、産婦の分娩の間じゅう産屋の外で夫が苦しみ悶えるエピソードが紹介され、当時はいわゆる未開の部族特有の呪術的な現象と思っていた。しかし夫婦間に一心同体の連動が本当にあるなら、妻の出産にあわせて夫も痛みを感じるのは人としてむしろ自然なことかもしれない。それを実体的に支えるのは、自律神経系の sympathetic なコミュニケーション特性である。
 都市文明によって自然から乖離した現代人よりも、「未開」の人々の間にこの特性がよく保存されるのは当然として、20世紀初頭のイギリス人でさえこれを体で覚えていたことは銘記に値する。その何十分の一かでも現代人が取りもどせたら、父親の育児参加だのなんだのは、遙かに促進されることだろう。

 僕? 僕は薄情者で痛みを感じることはなかったが、それに代わる「交感」の逸話を実は秘蔵している。もったいないから、そう簡単には書かない。

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