2016年9月29日(木)
日曜日は囲碁NHK杯に続いて「日本の話芸」が放映され、折々に楽しんでいる。この日曜日は講談で、留守中に家人が録画しておいてくれたのを帰宅後に流してみた。神田紅(かんだ・くれない)の名調子は何度か聞いたが神田紫(かんだ・むらさき)は初めてで、『井伊直人出世物語』という題目も初めて聞くものである。コトバンクに以下の解説があり、主として講談の世界で語り継がれた存在のようである。
「1587-? 江戸時代前期の剣術家。天正(てんしょう)15年生まれ。伊達政宗の家臣。慶長5年(1600)陸奥松川(福島県)の戦いで剣術師範の父をうしない、14歳で家をつぐ。妻とした薙刀の名手の貞(さだ)にはげまされて6年間修行し、柳生新陰流の道場を再興したという。講談の「寛永御前試合」では山田真竜軒に敗れるが、直後に妻が対戦し勝ったとする。」
松川の戦いとあるのは軍記物の脚色で、そのモデルになったのは上杉相手の福島城攻防戦らしい。慶長5年というタイミングから分かるとおり、関ヶ原に連動して徳川に同盟する伊達氏が、西軍に属する上杉から旧領を奪回しようとしきりに運動するのだが、相手は直江兼続を擁し謙信以来の精強をもって鳴る上杉のことで、おおかた不首尾に終わっている。
聞き入る中で、思わずメモを取ったのは下記の言い回しである。
「・・・これが蛙の頬被り、蜻蛉の鉢巻き、己の未熟ゆえ周りが見えていなかったのでございます。」
一瞬遅れて思わず手を打った。カエルの両眼は顔の横に付いているから、ほっかむりしたら塞がってしまう。トンボの大目玉は頭全体を覆っているから、ハチマキしたらやはり塞がってしまう。そんなふうに自分の視界を閉ざすことを指すのだが、うまいことを言ったものだ。残念なことに聴衆の反応がやや遅くやや小さいのは、僕と同じく理解するのにわずかな時間を要するからである。しかしそれはまだ良い方で、何のことだか分からない人々も少なからずあったのではあるまいか。
僕らの生活が自然とどんどん遠くなっていることが、こんなところにも影響を及ぼす。聖書の読みにも関連することで、イエスはパレスチナ地方の庶民に訴える言葉で語ったから、その中に農耕漁労を知らなくては理解できないフレーズがたくさんある。これは考えどころである。
ということで、2日(日)発行予定の柿ノ木坂C.S.通信に掲載予定の原稿を、先行公開しちゃうのだ。
Ω