2018年10月23日(火)
しばらく勤めた精神病院を辞めて、よそに移る時の話である。いずれこの日が来るのはお互い承知だが、何ともいえない寂しさがあり、そして罪悪感を禁じ得ない。
ある患者さんに異動のことを告げたら、相手がゆっくり頷いて、用意してあったかのように言った。
「さびしいけどね、きりもかぎりもないからね」
しばし陶然となった。それを口にしたのは高齢に入りつつある女性で、カルテには「感情鈍麻」とか「無為自閉」という評価が記され、事実そのように日を送ると見えた閉鎖病棟の住人だった。饐えた臭いの染みついた20世紀の閉鎖病棟の片隅で、ふとこの言葉が口から出たのである。
きりもかぎりもない ~ 彼女の魂に、この言葉がいつ、どのように宿ったのだろう。生涯に何度、どんな場面でこの言葉を口にしたのだろうか。
賢者、さもなければ聖者の語彙、小さなともし火のように揺らめいてそこにある。
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