散日拾遺

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沖縄補遺 2 ~ G先生の「オアシス」/八重山の大将と闘牛と野球

2014-05-25 09:39:42 | 日記
2014年5月23日(金)

 お許しをいただいたので尊名を記す。
 G先生は、宜保(ぎぼ)先生である。お名前が出自を表している。沖縄以外ではよほど珍しいのではあるまいか。

 宜保先生の御専門は「地すべり」である。
 地すべりは防災の立派な一分野で、日本地すべり学会というものもある。1963年創立、2000名近い会員を擁する立派な学会で、2002年には「地すべりに関する国際学会 International Consortium on Landslides」に加盟した。

 岩手学習センター長の斎藤先生が火山噴火予知に心血を注いでいらしたことを思い出す。災害には当然、地域の特性が現れる。盛岡周辺で噴火対策が急務であったように、沖縄では降雨と関連した地すべりを常時警戒せねばならない。
 「火山」と「地すべり」では接点がなさそうだが、「地震」というキーワードを間に置くと、やおら距離が近くなる。
 ある種の地震(というか、日本で恐れられている地震の多くのもの)はプレートの「地すべり」として理解されるというのである。火山活動に付随する地鳴りや地震とはカラクリもケタも違うのではあるが、各種の災害をそれぞれ別個に解釈するよりは、ヒトを取り巻く大きな海山 ~ 自然の有機体 ~ の変調として統合理解するほうが、実りは豊かであろうと想像される。

 「地すべり」を専門となさったには、きっと愛郷の念が働いていることだろうが、豊見城市字豊見城のお屋敷のガレージと庭を拝見して、容易ならぬ念の深さに驚いた。階上はおそらく沖縄の伝統的な家屋を活かしておられるのだろうが、ガレージ部分はコンクリートでシンプルかつ機能的にまとめ、見事なのは庭の眺めである。小ぶりなテニスコートが一面取れる芝生の向こうが果樹園で、そこに沖縄ならではの果樹や野菜が伸び伸びと植わっている。広々と晴れやかな眺めだが、真価はそれこそ目には見えない、地下にある。
 芝を養う表層の保水を確保しつつ、豪雨の際には大量の水が溢れることなく下水道にはけていくよう、地下の構造に工夫を凝らしたのが先生の御自慢である。それは想像するしかないのだが、庭を望むガレージの書斎が美しくかつ機能的であるのを見れば、地下の様子も同じであることと頷かれる。机上のありさまはその人間の頭の中身の投影だと、いみじくも言ってのけた人がいた。
 
 これもお許しをいただいて写真を載せるのだが、整然と書籍の積み分けられた机上は、撮影のために片づけたわけではなくて初めからそうなのである。お招きくださったのは行きがかりで、来客を予定したわけではないから、いつもこうなのだ。すごいなあ、考えられない。
 並んだ書籍のタイトルが嬉しくも多彩である。映画のチラシ、ウォーキングによる抑うつ改善法、英仏比較文学論に関する対談本、それに触発されたらしいカミユの『ペスト』にオースティン『高慢と偏見』。
 それらに混じって、イスラム建築の写真集が目に止まった。
 「イスラムの建築は「水」がテーマなんです。」
 「なるほど、しかし・・・」
 宜保先生はおそろしく頭の回転が速く、質問をたちどころに把握して最後まで言わせない。
 「ええ、イスラム世界はそもそも乾燥地帯で水がありません。だから水は、それ自体ぜいたくな装飾です。乏しい水をどう節約しつつ活用するかが工夫され、水の管理運用術が高度に発達しました。沖縄は水がありすぎて困りますが、余剰の水をどう誘導するかと考えれば、技術的には大いに通じるところがあります。」

 郷里の庭のことを思った。門前にきれいな小川が流れており、往時はそこから20mほどの地下水路を経て、中庭の池に水を引いていた。ところがこの水路が詰まるか崩落するかしたらしく、もう30年以上も枯れ池になっている。自然の水路を庭に引き込むという発想が魅力的で、何とかこの回流を復活したいというのが念願だった。宜保先生なら念願を転がす間に、たちどころに実行なさるだろう。
 先生は御自宅にオアシスをもつ。水豊かな沖縄の、精神のオアシスである。

 

 車を呼んで飲みにいきましょう、とお誘いくださったが、タクシー会社の電話が3社いずれも応答しない。雨の土曜日なので皆が車を呼び、出払っているらしい。表通りまで歩いて出て流しを拾った。
 途中で雨越しに異臭が鼻をつく。
 「養豚をする人があるんです」と宜保先生。
 苦情もあるが、「自分が先からここに住んで、長年養豚をやってきたのだから」と譲らないらしい。
 心中共感するところがある。先住者の権利というのものが、もっと尊重されてよい。
 東京の家の真ん前が区立中学校、300m北に区立小学校があり、いずれも運動会の時期には近隣にひどく気を使っている。何でだろう?
 学校は半世紀以上前からそこにあり、文句を言う住民はそれを知った上で後から越してきたのだ。だいいち、地域に子どもの声が響くのは幸せなことだ。
 郷里では農家が受難である。先祖代々そこで暮らしてきた彼らに、後から建った団地の住人がうるさいの臭いのと文句を言う。理屈も何もありはしない。米も野菜も食べるなと言ってやりたい。
 そうはいったが養豚場の臭気はなかなかキツいものがあり、ひっきりなしでは大変だろう。鶴見川沿い、市ヶ尾から下流 1.5km地点にも養豚場があり、夏の夕方など差しこむ西陽を浴びて、ぶーちゃん達がほんのりピンクに染まっていたっけ。あそこも昨年あたり、ついに取り壊されていた。
 川沿いはかつて農村の外れだったのだろうが、今では周囲を住宅が埋めて養豚場のほうが孤立していた。後継者も得がたいことと想像する。

 八重山料理の店のカウンターで、八重山出身の大将の真ん前に陣取り、見回せばその縁を思わせる品々が大将を取り巻いている。
 中でも嬉しいのは闘牛の写真、二頭がガッキと角をあわせ、勢子二人とともに見事な力の集中を示す一枚、こういう写真は断然白黒が良い。闘牛は愛媛・宇和島の名物でもあるが、それこそ後継者不足で存続が危うくなっている。スペインの「闘牛」とは違い、牛と人が一体となって力と技を競う生命讃歌、何とか生き延びてほしいものだ。
 牛の相撲に技があるのかって?大ありだ、若いばかりの力頼みでは横綱は張れない。熟練と忍耐、一瞬の勝負勘、人の相撲と変わらない。そういえば大将、何だか少し牛に似ている。きっと大好きなんだね。
 中央のカラー写真では、巨牛の傍らに若い女性が立って綱を握っている。
 「誰だかわかりますか?」
 宜保先生に言われてよく見れば、何とマラソンの高橋尚子である。いつ頃の撮影だろう、Qちゃんと渾名されたあの笑顔を久々に見た。
 そういえば高橋尚子、「尚」の字が沖縄に似つかわしいこと、翌日になって気がついた。だから来沖したわけでもないのだろうけれど。

 カウンターの上に、硬式野球のボールが一つ。書かれた文字はだいぶ滲んでよく読めない。
 どこの/誰のサインボールかと問えば、もちろん答えは、
 「八重山商工」

 沖縄県立八重山商工は石垣市内にあり、日本で最も南に位置する高校だという。
 沖縄の高校野球のレベルがこれだけ挙がっても、離島のハンデは未だに大きい。その八重山商工が活躍したのは2006年。もちろん春夏ともに初出場だった。
 春一回戦、先発大嶺が毎回の17奪三振の好投で、高岡商(富山)に5-2で勝ち、全国の離島勢で甲子園初勝利をあげる。二回戦はこの大会優勝の横浜に6-7で惜敗。
 夏一回戦、延長10回の激戦の末、千葉経大付に9-6の逆転勝利。二回戦は松代高校(長野)に5-3で勝ったが、三回戦は強豪の智辯和歌山に3-8で敗れた。
 智辯和歌山は準々決勝で帝京相手に13-12の壮絶な競り合いを演じた、あのチームである。準決勝では田中将大を擁する駒大苫小牧に敗れ、勝った駒苫は決勝で斉藤佑樹の早実と延長再試合を演じた。
 高校野球の話題豊富な年、愛媛代表は今治西で、四番宇高を中心によく打ったが、八重山と同じく三回戦で日大山形に延長戦の末、敗れている。

 今年夏の甲子園の話題になると、沖縄の人々の目がすっと細くなる。
 「ひょっとしたら」というのである。
 大本命は沖縄尚学、僕らの年代では「広島の安仁屋(あにや)の母校」というのが訴える。
 このセンバツでは準々決勝で豊川高校(愛知)に2-6で負けたが、これはマサカの敗戦だった。
 「ひょっとしたら」
 後は言わない、下の句は夏のお楽しみである。

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