散日拾遺

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麗しの君 / 漢字を感字と為すなかれ

2015-05-23 09:09:58 | 日記

2015年5月23日(土)

 

 善君さん、台湾は高雄の出身。

 麗君さん、中国湖南省の出身。

 日本国三重県津市の一隅で、仲良く精神医学の授業に出席している。それだけのことが、僕にはとても嬉しい。

 「君」の字は何となく男性的な印象を受けるのだが、察するところ中国語では女性の名前に使われるのだね。僕が思いつくのは王昭君ぐらいだが、それでも既に2000年の伝統がある。(ATOKは「おうしょうくん」を正しく変換しない。古典教養に問題アリだ!)

 

 質疑応答の時間に、メンタルヘルスにおいて「感謝」が占める重要な役割に話が及んだ。

 皆、大きく頷いている。ヒット!

 

 ふと、「日本人は『ありがとう』というべき場面で、しばしば『すみません』で代用する」ということを思いだし、両君に尋ねてみた。そういう印象は確かにあるという。

 「ありがとう」は素晴らしい言葉だから、もっと大事に使ったらいい。「有り難し」の意味をもつ上に、ポルトガル語の「オブリガード」に触発されてできたというなら、これほど日本文化にふさわしい言葉はない。

 

 台湾は小さい国だが、複雑な民族構成をもつ。善君さんに訊いてみた。

 「私は先祖代々ずっと台湾の人間、たぶん高砂族の子孫だと思う。日本?悪い気持ちないですよ。それより先生、応用編の授業いつやってくれますか?」

 

***

 

 名前と言えば、木曜日の書店散歩で『キラキラネームの大研究』(新潮新書)という本を見つけ、面白そうなので買ってきた。

 著者・伊東ひとみ氏は僕と同年の文筆家だそうで、以前僕が「万葉仮名への先祖がえり」との表現で粗雑にまとめたところを、詳細かつ丁寧に論考している。用例が素晴らしく豊かで、行を追うにつれ驚くやら呆れるやら、笑うやら考え込むやら、大変である。

 「神様、読めません・・・」という帯のフレーズがピッタリの快著だ。

 

 十分な共感を働かせての考古・考現の末、「『漢字』を『感字』にしてはいけない」と締めくくるところに、満腔の賛意一票。

 善君さん、麗君さんの命名者には、縁のなかった葛藤であり、悩みであろう。


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