散日拾遺

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県民性(続き)/広島・名古屋・沖縄

2013-08-06 06:53:24 | 日記
2013年8月6日(火)

もちろん、他の何の日でもありえない。
8時15分で止まった時計が、思い浮かぶ。
平和祈念式典の中継をテレビで見、黙祷に合した。

松井市長の平和宣言、被爆者の言葉を引用しつつ胸に迫る。
韓国朝鮮人・中国人被爆者のことを含め、差別は僕ら自身の問題だ。
安倍総理が、核軍縮と平和のため「キュウバイの努力」を約束すると声を強めたのは、ひょっとして「バイキュウ(倍旧)」のことだろうか。

「核兵器禁止条約」が2007年にコスタリカ・マレーシアから共同提案され、賛成123、反対24、棄権24で採択されている。日本は棄権した。少数派に属してまで反対・棄権に回ったものだ。広島市と日本国のネジレは、外から見ればさぞ興味深い現象だろう。

「日本政府のアメリカに対する忠誠の現れ」とばかり僕は理解していたが、「日本が核武装を断念していない証拠」と見る論者もあるらしい。
まさかと思ったのだが、原子力ムラのプルトニウム再処理技術へのこだわりと考え合わせると、にわかにイヤな図柄が浮かび上がってくる。

慎重な経過観察を要す。

*****

眠った頭で書いていたら、「県民性」を認めるのか認めないのか、わからないような書き方になった。

「県民性」と括れるような集団特性が、ないとは言わない。
むろんあるのだろうが、そういうものの存在を頭から前提すべきではないし、証明できないうちは説明原理として使うべきではない。すべきでないことを、実際には大いにやりすぎている。
そう反省したのだ。

たとえば「越後人は・・・」といった場合、広く遠心的な新潟県のどの地域の人々を指して、またどの時代のどの世代を指して言ってるのか、そもそもそこからして、はっきりしない。
はっきりしない土台の上に想像や仮定を重ねたものは、どこまでいっても怪しげでしかない。
具体的で検証可能な事実や観察から出発し、いろいろ考えた末に「県民性」が焙り出されてくるといった方向でないとおかしい。

僕がよく知っている地域といえば、やはり中学の3年間を過ごした名古屋だろうか。
僕に第二の故郷があるとすれば、名古屋に違いない。
(第一の故郷がどこなのかは、いまひとつはっきりしない。)

名古屋人の集団特性について論じたければ、具体的な情報を収集・列挙することから始めるのだろう。
✓ 名古屋の若者は地元に留まる者が多く、進学や就職でいったん東京等に出たとしても、その後のUターン率が非常に高い。(数字で確認する必要あり)
✓ 名古屋市街地の通行人の歩くスピードは、東京都心に比べてはっきり遅い。(計測の必要あり)
✓ 名古屋の結婚の引き出物の多さ豪華さはよく知られているが、これは今でも事実である。(たぶん確実な観察)
✓ そのことが名古屋人の離婚に対する抑止力になっている。(かどうか、分からない)
✓ 名古屋には喫茶店が多い。(たぶん確実な観察)
✓ 名古屋にはパチンコ屋が多く、そこに足を向ける者の層が広い。(たぶん確実な観察)
✓ 名古屋では自転車のことを「チャリンコ」といわず「ケッタ」と呼ぶ。(フシギだが確実な事実)
等々

それやこれやの上に名古屋人の特性を描くのが「考える」という作業であって、「やっぱり名古屋は排他的な大田舎だから」斯く斯く云々と天下るのであれば、前頭前野は不要ということになる。

*****

ところで、沖縄の「県民性」についてはどうだろうか。

地理的にはっきりした輪郭をもち、歴史的にも特有の来歴があり、近現代に入ってはこれまた輪郭明瞭で悲劇的な体験を強いられ、現在も他地域の日本人のしない苦労を日々繰り返している。
そのことがある種の「県民性」を養わなかったら不思議かもしれない。

医療の側面からいえば、沖縄の人々の平均寿命の長さは皮肉な奇跡といえるものであった。
医師や医療資源についての統計で見る限り、沖縄は全国でも最も「不備な」地域に属するのだから。
「医者が少ないほど住民の平均寿命が長い」と、あながち冗談ともいえない調子で言った仲間がいた。
むろん、医療の遅れ「にも関わらず」健康を可能にする条件が、沖縄の人々の生活の中にあったのだろう。
ひとつのカギは食生活だったろうが、これは米軍の悪しき影響が浸透して急速に変容しつつある。

メンタルヘルス関連では、「沖縄にはうつ病がない」という俗説があった。
もちろん、そんなことはあり得ない(少なくとも古典的なうつ病の概念を正しく守る限り)が、「沖縄の社会ではうつ病が事例化しにくい」といえば、たぶん正しい言明になる。
成員の中に精神疾患が出現した時、それを柔軟に受け止めて吸収する、コミュニティのキャパシティが高いということだ。
ただ、それを「県民性」というのが正しいかどうか、たとえば個別の沖縄人あるいは沖縄人の小集団が東京に移住したとして、同様の特性を発揮しうるかどうか。
具体的な条件に還元して論じる方が、ここでも生産的なはずだ。
その結果として最後に「県民性」が析出されるなら、それはそれで意味深いことである。

自分でもどこへいくのか分からないが、ともかく書き留めておきたい。
ヒロシマの日の朝刊一面は、沖縄で米軍のヘリが墜落した事件の報道だ。
またか、
いつまでか、
誰も守ってくれないのか、
こうした事件の繰り返し、そして何をどう叫んでも米軍基地の呪縛から解放されない長い日々が、いったいどのような集団特性を養うことになるのだろう?

僕が当事者であったら、何よりも「不信」を学ぶことだろう。
そして「独立」を心の奥深く望まずにはいられないはずだ。
さらに、米軍以上に他地域の日本人を憎むだろう。
他国人や敵対者が薄情なのは、諦めもつく。
しかし、同胞と称する者が自分たちの苦悩に冷淡であるばかりか、そこから利益を引き出すことに汲々としているとしたら?

*****

冷戦時代に東欧の政治家を皮肉ったジョーク

「同士よ、傘をさしているのですか?雨はあがっていますが。」
「いや同士よ、モスクワではまだ降っている」

ワシントンDCの今日のお天気、誰か知ってる?

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1 コメント

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現在の沖縄 (勝沼)
2013-08-06 22:58:52
 実は沖縄の男性の自殺率は全国トップレベルなのです。かなり古い記事になりますが、97年の琉球新報の記事が大事なことがまとめてあるので、リンクを貼ります。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-90158-storytopic-86.html

 昔から沖縄は女性が強く男性が弱いというのは県民性として有名ですが、戦後男性の自殺率がどんどん上がり70年代から80年代には全国平均を超えています。精神疾患による自殺も多いそうです。記事では琉球大学の教授の解説で沖縄の本土化、都市化によって伝統的社会基盤が失われているからではないかと書かれています。昔は男性が弱くてもそれでやってける社会だったのが、日本色に染まってそういうものが弱まってしまったのだと私も思います。
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