散日拾遺

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KS君の桜談義

2018-08-28 22:10:52 | 日記

2018年8月28日(火)

 神谷町の仕事の後、神田小川町の天ぷら屋さんでKS君と旧交を温めた。不即不離、ほどほどのつきあいが多い医科大の同級生の中で数少ない親友、というより年下ながら「畏友」とよびたい。学生時代から神経科学一筋に専心し、その領域で本当に意味のある仕事を世に出してきた。長男の生理学の教科書に彼の論文の引用を見た時は、我がことのように誇らしかったものである。

 といって、決して視野の狭い専門バカではなく、むしろ逆であるのは次のような逸話からも知れる。卒業前だったか後だったか忘れたが、何かの機会に本居宣長の有名な歌を話題にしたことがあった。

 敷島の大和ごころを人問わば朝日ににほふ山櫻花

 「大和魂」を益荒男ぶりと結びつけるのは間違いで本来は云々という文脈でよく引かれ、この時もおおかたそんな蘊蓄を僕の方が垂れたのだろう。

 KS君、それを聞いて考え込んだ。しばらくして彼らしく、ゆっくりじっくり語ったのは、「どうも腑に落ちない」ということである。

 「僕の田舎には山桜がたくさんありますが、『朝日ににほふ』という風情にはどうも似合わない感じがします。はなやかとも奥ゆかしいともいいにくい。開花と同時に葉っぱも出ていて、だいいちこれが茶色っぽくて美しくないんですよね。東京の人は桜というとソメイヨシノしか考えないから話がおかしくなる、宣長の時代にソメイヨシノがあったかどうか知りませんが、何だが写実というより読み込みの感じがして・・・」

 30数年前のことでうろ覚えだが、あらましそんな所説だったはずだ。

 彼は信州諏訪の出身である。幼い頃から見慣れてきた故郷の山の風景を思い浮かべ、そこにしっかり自分の感性を照射して言葉を選んでいく。神経科学の実験もこんな風に進めるのだろうし、そうであるなら大成しないはずがない。緑の切子の杯を舐め、江戸前のキスやアナゴの天ぷらを賞味しながら、大成したのが自分であるかのように悦に入った。

 帰り際、銅製の調理器具のまばゆい輝きに目を細くしていると、頭上にかかった大きな額にKS君が目を留めた。

 「ほう」

 と唸ったのには訳がある。この件、項を改める。

ヤマザクラの花と若葉(https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマザクラ)

Ω


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