散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

聖書の中のある笑い

2022-07-01 07:44:15 | 日記
2022年7月1日(金)

 ダビデは立ってその日のうちにサウルから逃れ、ガトの王アキシュのもとに来た。アキシュの家臣は言った。
 「この男はかの地の王、ダビデではありませんか。この男についてみんなが踊りながら、『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』と歌ったのです。」
 ダビデはこの言葉が心にかかり、ガトの王アキシュを大変恐れた。そこで彼は、人々の前で変わったふるまいをした。彼らに捕らえられると、気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったりした。
 アキシュは家臣に言った。「見てみろ、この男は気が狂っている。なぜ連れて来たのだ。わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。わたしの前で狂態を見せようとして連れて来たのか。この男をわたしの家に入れようというのか。」
(サムエル記上 21:11-16)

 このくだりを笑わずに読めというのは無理な話であるし、笑わずに読んだとしたら何も伝わっていないことになる。もとよりダビデは生き延びるために必死であり、本人にとって笑い事どころではない。だから可笑しい。壮絶な可笑しさである。
 「ユーモア」とは別の話になるか、あるいはこれをも聖書のユーモアの系譜に加えてかまわないか。
 「わたしのもとに気の狂った者が不足しているとでもいうのか。」

 そうそう、わが職場の考査基準によれば、この表現はアウトなのだった。

 「わたしのもとに精神に異常をきたした者が不足しているとでもいうのか。」

 とせねばならない。
 失礼しました。
Ω

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。