散日拾遺

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43年後のクラス会

2016-11-24 08:48:54 | 日記

2016年11月23日(水)

 午後から高校のクラス会あり。卒業後40周年の昨年に実現したものだが、僕は入試業務と重なって出席できなかった。今年も同じ日曜日の設定だとまたも欠席になるところ、幹事さんらの配慮で勤労感謝の日に移り、めでたく参加が叶った次第。四谷駅至近の手頃な会場に23人集まって二時間の歓談、籤で当たった僕の席がステージから一番遠いところで、皆の顔が反対方向を向いているのを幸い写真を載せておく。雰囲気だけ、ね。

 

 誰かが気を利かして、修学旅行の記念写真を焼きまして配ってくれた。1973年11月21日とあるから、ちょうどこの季節である。行き先は奈良・京都で、クラス単位の自由行動日に僕らの選択したのが保津川下りだった。そうと決めたのは夏の盛り、涼を求めて衆議一決したのが秀才達の浅知恵である。当日は曇天、川面は靄がかって期待した紅葉も見えず、水量が減って舟底が時おり「ガリ!」と身を震わせ、そして何よりむやみに寒かった。生涯で一番寒かったのではないかしら、嵐山の船着場をあがって近場の店でうどんを頼み、たいらげた後にまだ震えていた。

 

 これに次いで寒かったのが、このクラスのY君の父上の葬儀である。これはたぶん1977年か78年の厳冬の最中、鶴見総持寺のだだっ広い板間がしんしんと冷え込んでいた。銀行の重役でいらしたから会葬者は多い。世慣れた中高年の人々があぐらをかく中で、僕ら4~5人の若造らは正座を崩すことができず、痺れるのと寒いのと悲しいのとで焼きざましの餅みたいに固まっていた。立ち上がるとき、痺れた爪先が垂れ下がって床にひっかかり、危うく倒れるところを友達に支えられた。当時僕は喪服をもたず、急な知らせに黒を基調のセーターに喪章をつけて出かけ、そのことをY君に詫びた記憶がある。

 そのY君がこの8月に他界した。もともと48人のクラスで、ごく早い時期に男女一人ずつ病没している。これから年とともにゆっくりと、次いで櫛の歯の抜けるように仲間が減っていく数十年、そのプロセスを共有する一団がここに集まっている。生活基盤は別であってもある種の運命共同体に違いなく、だから人が集まるのだろうと思う。

***

 12時開始のところ、11時19分に用賀駅で人身事故があって田園都市/半蔵門線が止まり、あおりで2~3人が遅刻した。僕は南北線経由で出かけて無事だったが、なぜか座席で落ち着かず鳩尾のあたりで熾火がくすぶるのを抱えていた。消息不明は別として、クラス会に出ようとしない者は必ずある。その気もちが分からないでもなく、紛れたのはかかって40年という時間の効果に違いない。いわば当時の葛藤や心情を再体験しているのだと思うが、だからこそ現実に直面するに如くはなく、クラス会のもうひとつの効用は容赦なく変転していく現実にしっかり結びつくところにあるかと思う。年回りよろしく、これで卒業した中学、高校、二つの大学で現実の絆を確認した。それ以前に関しては、どうも打つ手がない。前橋で入学し、松江でまる三年過ごし、山形で卒業した三つの小学校は、全くもって僕の記憶と観念の中の存在になってしまった。これらが今になって夢に現れ、胸を騒がすのが案外やっかいである。

 出席者は皆それぞれ確かな現実の生活を送っており、体型の変わった者も変わらぬ者も総じて元気そうである。むやみに握手したがるのは僕のクセだが、それこそ現実を確かめたがっているのかもしれない。卒業後何年も経ってから、母が入院の際に元同級生のお母さん達が連れ立って見舞ってくれたことがあり、先にも書いたとおり見舞ってもらった側は決して忘れないものである。そのことの御礼なども語ったが、そうしたことに触れすぎたかと帰り道で悔やんだ。高校在学中に母親を亡くした出席者が僕の知る限りで二人はあり、彼らにとって聞きやすい話ではなかったはずである。

 出席者中いちばんの元気者はたまたま同卓についたK女で、50歳過ぎてからマラソンにハマり、今日も今日とて自宅から18km走って四谷に現れたという。僕も3~4年前までは冬になると市民レース最優先で日程を組んだものだが、膝を痛めて以来すっかり消極的になっていた。羨ましさ抑えがたく、夕は1.8kmほどゆっくり流して汗をかいた。距離ではなく、むろん速さでもなく、地面を踏み風に吹かれて体を動かすことが霊妙なのである。

***

 徒然草の筆法だと、クラス会はどういうことになるのだろう。四十路ほどでさっさと世を去るのが好ましく、子孫も残さぬが良いという説からは、「還暦の男女が生き恥の曝し合いをする見苦しさの極み」ぐらいの辛辣さも想像されるけれど、エスプリの鮮烈を求めて矛盾を介意しないのは「エッセイ」という手法の常である。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」というのならば、人生また「散りしをれたる庭」の見どころがあるはずだ(137段)。

 保津川や総持寺の思い出が招き寄せたか、今日はまたえらく寒い初雪の東京である。

 

Ω

 


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