散日拾遺

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今週の相撲/レオ・ペルッツの小説に上村提督が登場すること

2018-01-27 23:46:37 | 日記

2018年1月27日(土)

  「今場所の栃ノ心はイイぞ」と家人に話していた。NHKが御嶽海ばっかり追いかけていた前半戦の段階からである。

 あとは逸ノ城、これもTVは215kgの体重ばかり連呼してるが、今場所急に太ったわけではない。変わったのは体の使い方で、ようやくノッシリ前に出るようになってきたのである。それに彼は大きいけれど右の差し身がなかなか良いのだ。どうにもこうにも脇の甘い照ノ富士に分けてやってほしいぐらいで、これなら大成の可能性が十分ある。

  そういう訳で十三日目の栃ノ心 - 逸ノ城戦は楽しみだった。果たして右のがっぷり四つ、こういう相撲をもっと見たいね。相手の上手を切りながら寄って出た栃に、今場所は一日の長があったけれど。残念なのは鶴竜の引き癖で、十一日目も十二日目も立ち会いで押し勝った状態での引きだから、体が覚えちゃってるのである。「勝ちたいと思っちゃってるのがいけないね」と反省の弁、よくよくわかっていてもやってしまう、相撲は人生と同じぐらい難しいらしい。

***

 この間、今週のマイブームはレオ・ペルッツ(Leo Perutz,1882-1957)。僕の生まれた年に亡くなった、プラハ生まれのユダヤ系作家。ウィーンで活躍したとある通り、作品はドイツ語で書かれている。

 この出自と生きた年代を手短に要約するのは難しい。世紀末の空気の中で成長し、18歳で20世紀を迎え、30代前半が第一次世界大戦とロシア革命、36歳の時にハプスブルグ王朝とオーストリア帝国が幕を閉じた。生誕の地はチェコスロバキアとして新生したが、ドイツ語で物を書くユダヤ系の30男にとっては、オーストリア人である方がよほど楽でもあったろうか。作中には当然ながらチェコ絡みの話題が散見され、革命時代のソ連を舞台とするものもある。そう、歴史は戦間期からナチの台頭へ、第二次世界大戦を経て冷戦時代へ進んでいく。戦間期には国際的な流行作家だったが、ナチ時代の迫害を逃れてテルアビブに移住、戦後いったん忘れられ90年代に再評価されたという。

 ひとりの人間が生涯の中で、主体的に経験できる範囲をはるかに超えた質と量のできごとである。

***

  「クリスマス・イブに生まれた子はたいてい司祭さまや聖職者になり、なかには説教者になる人もいるそうよ。復活祭に生まれた子はろくでなしになるそうだけどね。」

(『アンチクリストの誕生』P.92)

 そんな迷信があったんだね。迷信・俗信にまみれているのは、民衆の生活の深く根を下ろしていることの証左でもある。日本のキリスト教、特にプロテスタントはいつになっても清浄なままだ。『アンチクリストの誕生』は、どこかガルシア・マルケスに似た味がする。脱獄囚の夫と、逃亡修道女の妻とが、嬰児を間に対峙する。さあ、どうなる?

 『アンチクリスト』には実は歴史上の人物のモデルがあるのだそうで、僕は最後まで読んでもそれに気づかなかった。なかなかのたくらみである。文庫本の表題になっているこの作品をはじめ、全八作の中・短編集は値打ちな一冊。よくこなれた翻訳もありがたいが、「精霊教会」と繰り返し出てくるのはたぶん「聖霊教会」が正しいはずだ。垂野創一郎氏はペルッツの作品を多数訳しておられるから、これから大いにお世話になることだろう。

***

「だが曹長は楽しい歌も知っていた。えせ日本語の嘲り歌で、これはチェコ兵士のロシア贔屓から来たものだ。
   旅順港から
   馬車が来た
   上に乗るのは上村大将

がなり声の合唱でリフレインが入る。
   それからすぐに茶を、茶を立てる
   ブラックコーヒー、チョコレート

(『霰弾亭』171-172ページ)

 え~っと、これはどういうことかな。時代は日露戦争(1904-5)まっただ中、チェコの兵士らはオーストリア帝国への反発もあって親露的ということか。ロシアへの反発から日本に肩入れした国々・人々が多く知られるが、逆も当然あった訳である。ともかくロシア贔屓で日本軍を揶揄してるのだから、馬車の上の上村大将は捕虜として連行されている想定だよね。

 面白いのは揶揄の対象が、旅順は旅順でも旅順要塞に攻めかかっている陸軍の乃木大将ではなく、ロシア旅順艦隊の仇敵ともいうべき海軍の上村大将であることだ。歌っているのは明らかに陸軍の兵士らである。つまり直接の交戦相手ではないオーストリア麾下の、しかもチェコの陸兵にまで日本海軍・上村提督の威名が伝わっていたとことになる。戦争が文化間の距離を劇的に縮めるという、歴史の皮肉の一例を見るようだ。

 注もつけずに書いてきたし『霰弾亭』にも注はついてないのだが、「上村大将」と言われてピンと来る日本人が今どれだけいるのだろう?僕が分かるのは『坂の上の雲』のおかげで、猛将・上村彦之丞(かみむら・ひこのじょう)の逸話はそこに印象的に描かれている。

 『霰弾亭』には、さらにこんなくだり:

「ひとりは曹長の卓からヴァイオリンを取りあげ、尻尾を巻いて逃げた上村海軍大将を諷刺する歌を弾き・・・」

 これでいよいよはっきりしたが、現実の上村大将は「尻尾を巻いて逃げる」図とはほど遠い典型的な薩摩隼人だった。逃げるぐらいなら迷わず敵艦に体当たりして差し違えたことだろう。上村艦隊との遭遇戦を徹底して避けたのは実際にはロシア旅順艦隊の方である。軽快に遊弋して日本の補給線を脅かしては素早く旅順港に逃げ込み、上村を何度も切歯扼腕させた。正面衝突では勝算がないから、バルチック艦隊の到着を待って日本の連合艦隊を挟撃する狙い。それが実現する前に引きこもった旅順艦隊を追い出し叩かねばならないところから、例の悲惨な旅順要塞攻めが要請された。すべて『坂の上の雲』に詳しいところ。

 旅順開城後の蔚山沖海戦で上村艦隊はようやくロシア艦隊に痛撃を与えたが、その際、大破し沈みかけながらなお砲撃を止めないロシア巡洋艦「リューリク」を見て上村大将が「敵ながら天晴れ」と褒め称え、退艦した乗組員の救助と保護を命じた。このエピソードは海軍軍人の手本として全世界に伝わり、日清戦争の伊東祐享提督とともに、各国海軍の教本に長く掲載されたという。

 それはともかく、旅順艦隊が徹頭徹尾逃げまくり、上村が猟犬のように追い立てるという実際の構図が、囃し歌の中では全く逆転している。このあたりはフロイト先生の出番というもので、攻撃者との同一化などといった機制が持ち出されるところか。どう説明するにせよ、いかに上村とその艦隊がロシアに恐れられたかは疑いもなく、ペルッツがどんなソースからこれを拾ったか興味深い。

 上村提督の逸話とは関わりなく、所収の八作中いちばん心に残ったのがこの小品だった。なぜか分からないが、何かひどく気がかりなのは、たとえば主人公のこんな言葉の故かもしれない。

「だしぬけに己の過去に出くわすほど恐ろしい災難はない。サハラ砂漠で迷おうとも己の過去に迷ったよりはたやすく脱出できる。」「過ぎたことはふりかえらんよう、くれぐれも気をつけろ。」

(P.200-1)

     

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