散日拾遺

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息子の橋と父の墓

2019-08-18 19:45:52 | 日記
2019年8月18日(日)
 芦屋市あたりを車で往来することあり。
 往路、国道二号線が芦屋川を越えるところに業平橋とある。同名の橋が東京・埼玉にもあるが、歌縁によるものであろう。芦屋のそれは出身地を示すものか。
 復路はやや北の山手幹線を東行、親王塚という地名があるのが気にかかった。親王とはどの親王か、『太平記』には護良親王(もりなが、あるいは、もりよししんのう)を筆頭に、「親王」と呼ばれる人々の武将としての活躍がいくつも語られる。その関係かと思ったが見当が外れた。
 阿保(あぼ)親王の墓所だそうである。阿保親王(延暦11(792)年~承和9(842)年)は平城天皇の第一皇子。膂力豊かで歌にも秀でた円満な人物だったらしいが、薬子の変のあおりで太宰権帥に左遷され政治的には不遇だった。六王子、一王女をもうけ、第五王子が在原朝臣姓を賜与されて臣籍降下した業平である。してみるとやはりこのあたりが、この父子らに縁の地ということか。
 阪急神戸線芦屋駅をはさんで父親王の塚は東北東、子業平の橋は西南西、直線距離で1.5㎞弱の隔たりである。阿保親王塚の実体は四世紀前半に築かれた円墳だそうで、これを親王の墓所として再利用したらしい。そういうことがあったのだね。芦屋なんて当方に縁のない場所と思っていたが、意外な面白さを発見した。



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