散日拾遺

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2月28日 利休 秀吉の命により自刃(1591年)

2024-02-28 03:36:19 | 日記
2024年2月28日(水)

> 1591年(天正19年)2月28日、 69歳になる茶人、千利休は豊臣秀吉によって切腹を命じられ、茶室普審庵において自刃した。介錯は蒔田淡路守が務め、その首は秀吉のいる聚楽第に届けられたが、秀吉は実検することなく、一条戻り橋で晒し首とされた。
 千利休は、現在も続く茶道の家元、千家の祖である。また、茶道という日本固有の芸術を生み出した侘び茶の探求者である。
 もともとは堺の商家のだが、堺を直轄した織田信長に茶頭として仕え、信長亡き後は秀吉に仕えた。当時の「茶」は、要人たちの社交手段としてたいへん重要なものであった。利休は、茶会というイベントのブレーンとして秀吉に重用され、1585年の禁中茶会、 1587年の北野大茶会などの豪華な茶会で秀吉の文化人としての地位を高めた。しかし、この時期、利休自身は豪華さとはかけ離れた、すべての無駄をそぎ落とすことによって生まれる侘び茶の世界を追求していた。
 利休が切腹を命じられたのは、大徳寺の山門に利休の木像が置かれたことが増上慢であるとされたためだ。しかし、政治的に他の理由があると解く諸説がある。利休の首は、己の木像に踏みつけられる形で晒されたという。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.64


絹本著色千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛、不審菴蔵、重要文化財)

 千利休:大永2年(1522年) - 天正19年2月28日(1591年4月21日)
 「利休」の名は晩年での名乗り、茶人としての人生のほとんどは宗易で通した。号の由来は「名利、既に休す」かとされたが、現在では「利心、休せよ」の意と考えられている。「才能におぼれず、老古錐(使い古して先の丸くなった錐)の境地を目指せ」との意味だという。
 秀吉とは折り合うべくもない世界観であろう。
 
 利休が秀吉の怒りを買った事情について、Wikipedia は諸説をあわせて12項目ほども丁寧に紹介している。
  1. 茶器類を法外な高額で売り、私腹を肥やした「売僧の行い」の疑いを持たれた。
  2. 二条天皇陵の石を勝手に持ち出し、手水鉢や庭石などに使った。
  3. 茶道に対する考え方で秀吉と対立した。
  4. 春屋に依頼された大徳寺の山門の供養の偈(「千門萬戶一時開」)が、利休の影響力の大なることを見せつけるものと受けとられた。
  5. 茶会のあるごとに利休との器の違いを見せつけられて恥をかかされ、秀吉の恨みが募っていた。
  6. 利休のつくった信楽焼の茶碗を処分するよう秀吉が命じたのを、利休が拒否した。
  7. 秀吉が利休の娘を妾に望んだが、利休が拒否した。
  8. 豊臣秀長死後の政争に利休が巻き込まれた。
  9. 秀吉の朝鮮出兵を利休が批判した。
  10. 権力者である秀吉と芸術家である利休の自負心の対決。
  11. 堺の権益を守ろうとしたために疎まれた。
  12. 利休が修行していた南宗寺は徳川家康とつながりがあり、利休が家康の間者として茶湯の中に毒を入れ、茶室で秀吉を暗殺しようとした。

 似たような話も重複もありで、概ね同工異曲といったところ。政治権力者として他の比肩を許さない秀吉が、精神世界においてまで無双の独裁者たらんとし、しかもそこでは到底利休に勝てようもなく、相手もそのことを知悉しているのが我慢ならなかったのであろう。嫉妬といえば一言ですむことかもしれない。「男同士の嫉妬ほど怖いものはない」とわが母の訓えにもある。
 利休は大男だったらしく、現存している愛用の甲冑から推測して身長180㎝ほどもあったかといわれる。一方、秀吉は小男だった。
 それはさておき、カトリックのミサと茶の作法の双方にいくらかでも心得のある者なら、所作の一部がよく似ていることに必ず気づくはずである。ごく普通に考えて、聖杯を扱う司祭の所作が茶人にヒントを与えたものであろう。実際、秀吉が伴天連追放に乗り出すまでは大名の中にキリシタンは珍しくもなく、茶はすべての武人のたしなみであったから、現在のイメージで考えるより両者はずっと近く、重なりも多かったのである。
 利休キリシタン説を主張する者もあり、これは直接の証拠が何もないから採り得ないとしても、従容たる死をもって精神世界の勝者たるを示した静かな益荒男が、キリシタンとその教えに対してどのような内心の姿勢であったか、少なからず興味がもたれる。
 
○ 利休遺偈
  人生七十 力囲希咄   (じんせいしちじゅう りきいきとつ)
  吾這寶剣 祖佛共殺   (わがこのほうけん そぶつともにころす)
  提る我得具足の一太刀  (ひっさぐる わがえぐそくの ひとつたち)
  今此時ぞ天に抛     (いまこのときぞ てんになげうつ)
久須見疎安『茶話指月集』(元禄14年(1701年)
 
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