散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

医者よ、自分自身を癒やせ

2014-04-28 19:43:08 | 日記
2014年4月28日(月)

 まださっぱりしない、ゼンゼン頭が働かない。どうもヘンだな。

 先週の水曜日、風邪ひきで飛行機に乗るのは、実はちょっと恐かった。
 以前、同じような状態で着陸時に強い頭痛に見舞われたことがある。前頭洞スクイズというやつだ。
 鼻咽頭に炎症があると、鍾乳洞のように複雑に頭蓋骨内に広がる副鼻腔への通気道が閉塞し、内外の圧差をスムーズに調節できなくなる。着陸に伴って高度が下がるにつれ気圧は着々と上昇し、そこで生じる圧差が潜水時のように頭を締めつけるというわけだ。
 今回それはなかったかわり、耳が痛んで少々つらかった。理屈は同じで、咽頭と中耳の通気路である耳管が喉の炎症で閉塞するため、着陸時に中耳が圧迫されるのである。
 離陸時には痛みがなく、着陸時に限るところが不思議だが、内部の気体を排出するよりも外部の気体を取り込む際の抵抗が大きくなるような、解剖学的な理由があるのに違いない。

 あと、水・木あたりの夢見がひどく悪く、目覚めたあとまで頭がグラグラした。『十三日の金曜日』と『羊たちの沈黙』を足して二で割った場面が、総天然色で延々続く感じで、休まったもんじゃない。バクはどこへ行っちゃったの?GWで旅行中なのかな・・・
 「夢は五臓の疲れ」という言葉があり、「五臓の疲れ」を「小僧の使い」に引っ掛けて落とした噺があったな、『船徳』だったか。
 そういうことなんでしょうね。

***

 歯医者から帰って、午後なお怏々、ふと気づいて頭をはたいた。
 しつこい鼻炎に頭痛、目の周囲の痛み・・・これって副鼻腔炎じゃないのか。「ないのか」じゃない、きのう自分で書いたんでしょ?だったらそれなりの対処をしないと!
 そうなんだ、ずっと前にも一度あった。副鼻腔は入り組んだ迷路なので、いったん炎症が起きると治りにくい。治療の際も通常の抗菌剤・抗生物質が到達しにくいから、それなりの薬を内服する必要がある。
 何でもっと早く気づかないの~

 「W内科に行ってくる」と出ようとしたら、
 「ちょっと待った!」と賢夫人のストップがかかる。
 後期高齢悠々自適のW先生は、確かめてから行かないと突然休診している可能性がある、今日あたりいかにも怪しいというのである。さっそく電話してくれた、その片頬がニヤリ。
 「先生御不在、お帰りはいつか分からない、ですって」
 「休診なのに、電話は通じるの?」
 「急ぎの場合に限り、いつも出してる薬と同じなら、口頭で対処してくれるかも、だって」
 あやうく無駄足になるところだった。バクと一緒にW先生もお休みか。

 で、代わりにどこを受診したらいいか、あれこれ品定めのうえ結論は、M駅真ん前のY泌尿器科(!)。内科・外科をあわせ標榜しており、息子なども世話になって「温厚な良い先生」との報告である。
 さっそく出かけたら、ほとんど待つことなしに診察室に通された。
 家族の礼を言い、自分も医者の端くれであると名乗り、事情を話すとカラカラと笑った。その声が容貌に似ずビロードのように柔らかい。
 「まさしく副鼻腔炎、で、先生、何を出しましょうか?」
 「自分が病院診療していた時分には、バクシダールだのタリビッドだの出したものですが」
 「うん、それらはキレは良いけれど、やはりマクロライド系が良いでしょう。」
 喉をちらりと見て、さらさらと1週間分の薬を処方してくれた。

 あとはついでの世間話、どうやら同年輩と見える。僕は回り道してるので医師としては後輩だし、出身校は違うのだが、Y先生、ふと思いあたったように、
 「I大のウロの石丸先生・・・ひょっとして」
 「ああ、石丸ヒサシですね。あれは同い年のハトコです。親同士がイトコなんです。石丸は愛媛に多い姓で、彼も同郷の遠縁で」
 「何とそれは懐かしい、世間は狭い」
 しきりに嬉しがる。Y先生の母校K大と僕らの出たI大とは、茨城の同じエリアにそれぞれ関連病院があり、そこに勤めていた時代に泌尿器科仲間で勉強会などやっていたというのである。
 確かに狭いものだ。

 このハトコは静岡の育ちで、名古屋時代にこれも40数年前、一度会ったきりである。彼の親父さんは孤児院の長を勤めたりして、そうした方面で偉い人だった。ハトコ自身はピアノの達人、芸術家肌で、「職業選択を間違えた」と看護婦達が軽口を叩くのが、人づてに耳に入ったことがある。

 帰宅してさっそくクラリシッド錠をのむが、もちろん30分や1時間で著効するものではない。あいかわらずボンヤリした頭で無為の一日、あわれ今年の春も去(い)ぬめり、トホホのホだ。

***

付記:

 『医者よ、自分自身を癒やせ』とは、ルカ4:23からの引用だが、これはイエス自身がそう主張したのではない。
 「あなたがたは『医者よ、自分自身を癒やせ』という言葉を引いて、ここ(故郷ナザレ)でもカファルナウム同様に多くの奇跡をしてみせよと言うのだろうが・・・」とのイエスの言葉の中に、いわば入れ子状に挿入されたフレーズである。
 当時そういった警句があり、自身が医者であったルカにとって耳慣れたものでもあったのだろう。マタイとマルコの並行箇所には、このフレーズは含まれていない。

 原語で引いておこう。
ιατρε, θεραπευσον σεαυτον.
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。