散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

光の道

2018-08-06 07:38:32 | 日記

2018年8月6日(月)

  この海を見て育った人が、久々に故郷に戻ってきた。娘さんの遺骨を墓に納めるためである。眠れぬままに浜へ出ると、日が昇ってきた。

わだつみに光の道を見つけたり

Ω


半分朗報/ミサの沈黙

2018-08-06 06:55:39 | 日記

2018年8月5日(日)

  昨日も車の中で気炎をあげた。日本橋のあの眺めを放置して文化国家と言えるか、頭上を首都高の醜悪な高架が覆い、肝心の橋は文字通りの日陰者、河水は半分暗渠みたいなもので、五街道の起点も何もあったものではない、観光客はさぞや呆れて帰ることだろう云々。

  聞こえたのかしらん、義母の購読する毎日新聞、今朝の「余録」がそのことを扱っている。日本橋の変容に実は二段階あり。

  第一の変容は、またしても関東大震災である。震災4年後の1927(昭和2)年に書かれた田山花袋(1872‐1930)の随筆から引用。

  「日本橋附近は変わってしまったものだ。もはやあのあたりには昔のさまは見出せない」「江戸時代はおろか明治時代の面影をもそこにはっきりと思い浮かべることは困難だ」

  一時代、二時代を葬り去る震災の力恐るべし。とはいえ自然災害なら仕方がない、転んだら立ちあがる、それしかない。

  問題は第二の変容で、これが64年の東京五輪、突貫工事で造られた首都高のため橋に日が当たらなくなり、今度は六代目三遊亭円生が随筆で嘆いたとある。

  「今は無惨なもんですな」

  誰が見ても無惨に過ぎるが、これまで浮かんでは消えた首都高の地下化がついに動き出したのだそうだ。総事業費3,200億円は授業料というべきか。

  1911(明治44)年に完成したあの橋は、装飾が面白いと前に書いた。後足で立って口から火を吹く西洋風のドラゴンの対が、狛犬よろしく阿形と吽形なのである。これも和魂洋才というのだろうか。広い空のもとであらためて鑑賞するのが楽しみだが、余録子になお懸念あり。

  「周囲は再開発が進み、現代的なビルが立ち並ぶ。「昔のさま」を取り戻した橋がどう目に映るのか。もう誰も嘆きをもらすことがなければよいのだが」

  ごもっとも。しかし、ともかくここから始めるよりない。

***

  「御夫婦で宗旨が違って、難しいことはありませんか?」と、先日も訊かれた。どうなんでしょうね、見方次第だが、それほど違う宗旨でもないのである。こちらがミサに行った場合、聖体拝領はカトリック信徒限定なので、代わりに神父様から祝福だけ戴く。そこのところの不全感が、不自由といえばまあ不自由だろうか。ちなみにカトリックの信徒がプロテスタントの聖餐式に加わるのは、少なくとも僕自身の所属教会とその周辺では全く問題ない。

  当地滞在中の常でミサにあずかった。今朝はとりわけ随所に沈黙のあることがありがたい。プロテスタントの礼拝は沈黙が不徹底で、いつでも何かしら音がしている。それで聖なるものの囁きが耳に入るものかどうか。

 「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。」

(列王記 上 19:11‐13)

  「静かにささやく声」、NRVでは a sound of sheer silence と訳される。サイモンとガーファンクルみたい?それ、話が逆だっての!

Ω