散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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景行維賢 克念作聖 ~ 千字文 026

2014-02-22 12:58:23 | 日記
2014年2月22日(土)・・・投稿忘れ

◯ 景行維賢 克念作聖

 立派な行いをする人は賢人であり、よく考える人は聖人となる。

 克は剋と同義で、ここでは「十分に、よく」という意味らしい。
 賢人・聖人にはとんと御縁がないが、李注の下記引用は関わりなしとしない。

 「巣居する者は風を知り、穴居する者は雨を知る」と孔子が言ったとあって、どんな人間のことかとばかり想像していたら、もっと自在な世界だった。
 「鵲は巣にいて風の起きる所を知り、獺(かわうそ)は穴にいて水の高下を知る」(淮南子)

 ついでに論語、「人、遠き慮(おもんぱか)り無ければ、必ず近き憂いあり。」
 中東の政治情勢が台所事情と直結しうる時代において、孔孟がかえって新鮮ということがある。

***

 林葉直子という名前を久しぶりにネットで見た。重症の肝硬変を抱えて相変わらずの体当たり人生なんだね。

 業(ごう)ということを、ふと思ったりする。

 囲碁より将棋が似つかわしいとも。

臨床雑記 016: 感謝の効用

2014-02-22 11:42:36 | 日記
2014年2月21日(金)

 今さらでもあり、既に書いたような気もするんだが。

 「感謝する能力」というのはケースの臨床的な予後に関わるばかりか、いわば人生の予後を占うきわめて大事な要因だ。
 それが非常に大きな、ほとんど決定的な要因であることを、日に日に強く確信する。そしてこの能力が、人格全般と共に生涯にわたって成長を続けることも同じく確実なことと思われる。

***

 「大学まで出してもらったのは、あの時代の、しかも女子としてはありがたいことで、それはよく分かってたんですけれど」
 語り手は、予備知識なく自発的に自由連想空間をセットアップした、例の70代女性である。敬意を表して今後はFAさんと呼ぶ。むろんフリー・エージェントではない、free association のFAだ。
 「良い先生とか先輩とかとの出会いは、あんまりなかった、師に恵まれなかったって、不遜にもそんな風に思ってたんですね。だけど最近、実は自分の側の問題じゃないかって思うようになったんです。与えられたものに気づく目とか、それを生かす力とかを、その時の自分がもっていなかったんじゃないかって。」

 彼女ではなく自分のこととして、全くもっておっしゃる通りだ。感謝は、情緒的な問題であり霊的な問題であると共に、すぐれて認知的な問題でもある。所与の材料の中に感謝すべき事柄を見てとるためには、それぞれが与えられた知的能力も大いに働く必要がある。

 ただ付言するなら、与えられている幸いをその時すぐに気づかないことにも、積極的な意義がありそうだ。自分が認知しうる以上の恵みを与えられいたことに、後になって思いあたるのは、人生のじっくりとした至福の最たるものである。だからなおのこと、夭折・早世は痛ましい。感謝できるためには、時間もまた必要であることが多いのだから。

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 FAさんは、ある重篤な病を生き延びた体験をもっている。それを最初に宣告されたとき、当時の主治医に対して「それでも私は75歳までは生きようと思います」と揚言し、相手を絶句させたという。そんなことが期待できる状況ではなかったのだ。その年齢に、この秋彼女は到達する。
 「ここまでは、生きようとして生きてきたんですね。その先は、生かしていただくんだと思っています。」
 「楽しみですね、その違いを感じるのが。」
 「そう、そうかもしれません。」

 「生きる」と「生かされる」と、構えの違いは「感謝」と連動する。
 逆に、それなりに支えられているのに本人にはそのことが見えず、認知がことごとく恨みと嫉みを帯びる時、配慮も援助も焼け石のうえの水のように空しい。怒りの蒸気を残し、一瞬にして消え失せてしまう。

 厳しい現実だ。

proud of you! / 五輪狂騒曲

2014-02-22 11:05:45 | 日記
2014年2月21日(金)

 "I'm proud of you."

 この表現は好きなんだな。英語の、またアメリカ人の良さを表すような言い回しで。
 実際アメリカ人はこの言葉をよく使い、そしてタイミング良く使う。

 「私はあなたを誇りとする」
 「私はあなたが誇らしい」
 「あなたは私の誇りである」
 いろいろ言い換えてみるが、なかなかピッタリしない。

 「よくやった!」
 は、かなり近いかな。
 「偉いぞ、よくやった!」
 そう、そんな感じだ。
 君はよくよく頑張った、そんな君を見ていると僕の背中がまっすぐ伸びるよ、ありがとう。

 もちろん、浅田真央。
 まさかのSP16位、自他ともに公然と語ってきた「金メダル」が事実上絶望になった時、いったい何を支えに氷上に出るのか。共揺れしてこちらの目の前が暗くなり胃が痛くなった、その後のあの滑り、あの涙。
 金メダルを取ることは余人にもできるだろうが、この状況下であの滑りができる者がどれだけあるか。
 大したアスリートだ。

 We're proud of you!

***

 それにしても騒ぎすぎだ、浅田に限らず。高梨なんか可哀そうに、騒ぎに潰された面が強いのだろう。もすこしそっとしておけないかな。
 しかも騒ぎ方のポイントが成果主義にメチャメチャ傾斜していて、それはオリンピックが人々のではなく国々の祭典化していることと呼応し、相当不快である。開会式も、いつからあんなバカ騒ぎをするようになったのかな。
 会を重ねる毎に五輪熱が冷めていく。逃げ腰で悪いとは思うが、2020年に東京にいたくない。まだ地上を去りたくはないけれどね。
 
 読みかけの本のことをもうすぐブログで書くんだが、ふと結びついた。なぜイスラム圏の影がオリンピックで薄いか?冬は地理的条件から当然として、夏の五輪についてもさ。それはその筈だ。また後で。