散日拾遺

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臨床雑記 15 ウサギのポポ/待合室のピアカウンセリング

2014-02-02 14:52:35 | 日記
2014年1月31日(金)・・・振り返り

 ペットが人の心の支えになる風景は、外来で毎回のように見聞するんだが、今日もまた。

 上の娘さんを不慮の経緯で失った御夫婦が、つい先ごろ一周忌を済ませた。「記念日反応」などという言葉が示す通りつらい時期であるが、「記念日」を越えるごとに少しずつ心が和らぎに向かうのも事実である。
 この家庭には一匹の犬が飼われており、亡くなった娘さんには特に懐いていた。犬は主家の人間関係に敏感で、とりわけその上下関係を察知して上位者を尊重するというから、娘さんは人の見るところとは違って家族内の最上位者であったのかもしれない。
 どのような意味で?それは犬に訊かないとね。

 娘さんの没後に生じた混乱のため、犬はしばらく新潟の下の娘さんの家に寄寓していたが、一周忌を機に首都圏の家に戻されることになった。
 賢い柴犬で、写真で見る姿は凛々しく美しく、桃太郎のお供の後裔というにふさわしい。若くて元気のよい犬だそうである。
 その彼が一年ぶりに「わが家」へ戻ってきて自由に放たれたとき、真っ先に何をしたか。

 仏間へ入っていき、しばらくそこに留まっていた。一年前には別の用途に充てられていて、彼には初めての空間であったはずだが、あたかも当然のように、そのように振る舞ったそうである。

***

 ペットという言葉が適切かどうか、ともかくこの種の話は頻繁に耳にすることで、「家族」と見なされるのも頷かれることだ。動物種としてはイヌとネコが最頻を競うが、ここに一羽の賢いウサギのあることをつけ加えておきたい。(ウサギは一匹とは言うまい、しかしナゼ一羽か?「大きな耳が鳥のようであるから」ともいわれるが、僕は「鷹狩りの獲物として小鳥と共に狩られ括られたから」ではないかと思っている。)
 個「人」情報の扱いには慎重を要するが、ポポという名を記しても迷惑をかけることは万あるまいと考え、何しろそのポポの賢さがまた驚くべきEQの高さを示している。家族の誰彼が愚痴を漏らしていれば部屋の片隅でじっと傾聴し、口論が始まると双方をなだめるかのようにおろおろと右往左往するのだそうである。
 飼い主のYさんは仕事と親の介護で忙しい日々を送っているが、それだけに就寝前のわずかな時間を自分自身のために使いたい。その一時のパートナーもポポである。Yさんは束の間、完全に寛いで我を探し我に帰る。そしてときどき寝落ちする。夢路をさ迷うYさんの鼻先に、やがて湿ったものが触れる。目をあけると、ポポが鼻面を押しつけて覗き込んでいる。
 「このまま寝ちゃダメだよ、風邪ひくよ」
 つぶらな瞳がそう語っている。
 「ありがとうポポ、ちゃんと寝るから大丈夫、ありがとう」
 それを聞いてウサギは安心したように自分の寝室へ入っていく。
 家族だ。それ以外の何ものでもない。

 近隣では犬猫の糞害にフンガイし、お犬様たちの過剰包装に世紀末を観じる毎日ではあるけれど、清浄な魂をもったこれらの存在はかけがえがない。それにもちろん盲導犬がいる。みな、イーハトーブの正統な住人たちだ。

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 これはまた別の話だが、医者は概して診察室の外で起きていることについては鈍感なものだろうと思う。患者の状態に変化があったとき、それに対して治療要因と治療外要因とがどれほどの比率で寄与しているか、治療外要因の中にどれほど多彩なものがあってどのように相互作用しているか、想像するには相当のセンスと努力が要る。

 今は僕のところに通っている女性患者が、もう20年も前に教会周辺ではすこぶる有名なあるドクターのクリニックに通った時期があった。このドクターは力量も熱誠も人一倍もちあわせていて、しかも一人ひとりの診察に時間を惜しまなかったので、予約制でありながらひどく待たされることが多かった。その結果、待合室では待たされている患者同士のおしゃべりが常態化し、期せずしてピア・カウンセリングか患者会の会場のようになったというのである。そこに生じる相互作用のすべてが望ましいものであったかどうかはさておき、少なくともこの患者さんにとっては、待合室で与えられる慰めと励ましがドクターからの直接の影響に劣らず重要なものになっていたという。 ドクター自身がこのことに気づいていたかどうか、気づいたうえでこれを活用していたのだったか、そのあたりを伺ってみたいところだが、残念ながら地上では既に叶わないことになっている。

 人を回復に向かわせる要因は単純ではないが、医者は誰よりもこのことを見落としやすい位置にいる。