日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

スペイン人ガイド活用法とサグラダファミリアの塔

2006年09月13日 06時16分21秒 | アル・アンダルスの暑い夏
ヒジュラ暦1427年シャアバーン(8月)20日 ヤウム・ル・アルビアーィ(水曜日)
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生誕の門の塔の中。

 スペインの法律では、外国人旅行者がガイドを雇う場合「政府公認のスペイン人ガイドをひとりは雇わなくてはいけない」ということになっている。もちろんツアーで雇う場合も同じだ。

 政府公認のスペイン人ガイドは、英語ともう一カ国語をマスターしていて、スペインの歴史・文化に精通していなくてはならない。従って公認ガイドの試験は非常に難しいようだ。

 問題は「もう一カ国語」が日本語であるガイドが非常に少ないことだ。例えばコルドバでは2人しかいない。
 「ツアーだったら添乗員が英語を話せるんだから訳せばいいだろう」と考える人もいるかもしれないが、添乗員の業務は心身共に非常にハードで、とてもではないが現地ガイドの翻訳などということをやっている余裕はない。
 第一、それは添乗員の本来の業務ではないのである。

 となると、スペイン在住の日本人ガイドを雇うのがベストなのだが、前述の法律があるため、スペイン人ガイドも抱き合わせで雇わなくてはならない。

 では、日本人ガイドが日本人ツアー客相手に日本語で説明したり引率している間、スペイン人ガイドは何をしているのか?

 答えは「何もしていない」である。移動中に列のしんがりを務めたり、横断歩道を渡るときに急がせたりする程度で、あとはこれといった仕事はしていない。
 にも関わらず日本人ガイドと同額の報酬を得ている。スペイン人ガイドは政府に手厚く保護されているのである。
 そういう人の報酬もツアー代金に含まれるのかと思うと納得できないものがある。
 納得できなければどうするか? ということで、スペイン人ガイドに働いてもらうことにした。

バルセロナのガイドはラファエロさんという呑気そうなおじさん(左の写真)。やはり日本語は話せないのでスペイン語での会話となる。相対的な問題だが、私にとっては英語よりスペイン語の方がまだマシなのである。片言には違いないけど。

 日本人ガイドの説明はだいたい知っていることばかりなので、ラファエロさんに「ガウディの墓はどこ?」と聞いて先に見に行く。ついでにあれこれ質問をして、さらに「塔に登るエレベーター混みそうだから並んでおいて」とお願い。

 「ツアーでそういう勝手なことが許されるのか?」といえば、添乗員に「この人は放っておいても大丈夫だな」と思われれば許されるのである。結果的に、他のツアー客も早くエレベーターに乗れたし。
 さらに、一度ツアーを離れて後で合流するという「離団」というワザも可能である(「離団証明書」という書類を書く必要がある)。

 エレベーターに並んでいてもらったのは正解だった。1回につき7人ずつしか乗れず、運行の間隔は約3~4分。ツアーは一カ所あたりの自由時間が少ないので、うかうかしていると長蛇の列ができて登れなくなってしまう。しかし結構余裕を持って乗ることができた。

 30秒ほどで一気に塔の上の方まで到達。エレベーターを降りると早速螺旋階段がある。至る所からバルセロナの町が見下ろせる。
塔の上からバルセロナの町を一望。

 ゆっくりと螺旋階段を下りてゆく。ウズベキスタンで何カ所か登ったミナレットを思い出す。ただしミナレットは円柱の周りに螺旋階段があるような感じだったけど、ここは螺旋階段が吹き抜けのようになっていて、はるか下まで見える。
 最初は時計回りに下っていたのが(冒頭の写真参照)、途中から反時計回りの階段に移動する(下の写真参照)。ずっと同じ方向で回っていて平衡感覚がおかしくならないための工夫であるということを何かで読んだことがある。
 
  

 ガウディ自身は、この塔が完成したときには老齢だったために、登ることはなかったらしい。本当は登りたかっただろうに、自らの体力の限界を知ってあきらめていたのだろう。
 
 螺旋階段の途中ですっかり疲れて座り込んでいる年配の婦人を見かけた。若い娘は写真を撮りまくりながら、母親をなだめたり叱責したりしている。
 「お母さん、自分で登るって言ったんだから」
 「ほら、後ろから来る人のジャマになるわよ。こっちによけて」

 そんな姿を見ながら、ガウディの分別に改めて感心した。


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