ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)2日 ヤウム・ル・アハドゥ(日曜日) |
シリア・レバノン両国は複雑な関係にある。歴史的にも複雑だし、今年2月にレバノンのハリリ元首相が暗殺された事件でも、シリアの関与が取りざたされたりして、決して安定した関係とはいえない。
従って、国境を越えるのにも時間がかかる。観光バスに乗ったまま長時間待つ。シリアの戦車の進入を防ぐためにわざとくねくねにした道が見える。写真撮影は当然できない。
そのような不安定な関係を暗示するように、レバノンに入った瞬間、それは起った。
「…腹が痛い…」
今までに経験したことの無い腹痛が襲ってきた。便意もすごい。しかし近くにトイレは無い。
「ウォー!」「ラッタッタッ♪」
人間はこのような事態に陥ると、意味不明の言葉を口ずさみながら気を紛らわそうとする本能がある(私だけか?)。
30分以上の苦難に耐え、ようやくアンジャール遺跡に到着。最後の力を振り絞って猛ダッシュ、トイレに駆け込む。
ちょっとこの場では描写できないような状況であった。
(←一刻を争う私に対して、のんびりと「それじゃあまず使用料を払いなさい」とのたまったオッサンたち)
さて、アンジャール遺跡はウマイヤ朝時代の遺跡である。705年に第6代カリフのワリード1世によって建設された都市で、リゾート地みたいなものだ。空気が凛として涼しくて気持ちいい。
「アイン(源)」+「ジャール(水の)」というのが語源。
各地の遺跡から石を切り出してきたので、滑らかな石もあれば、加工の荒い石もある。
宮殿などの建物の柱を見ても、ラテン語が彫ってあったり、ギリシア語が彫ってあったりするし、形もバラバラ。うーむ、また腹が痛くなってきた。
ウマイヤ朝の末期の744年ごろに、ワリード1世の息子たちの間に継承者争いが起り、そうこうしているうちにアッバース朝に取って替わられたため、750年までにはこの都市は使われなくなった。都市としての使用期間は実に短い。
ローマ遺跡のような感じだが、イスラム王朝の遺跡である以上モスクもある。まだ、イスラーム建築の様式が確立していない頃の遺跡なのだ。
さて、レバノンといえば、国旗にも描かれているレバノン杉だが、これは現在では絶滅の危機に瀕している。
アンジャール遺跡の林の中には一本だけレバノン杉があるの(右上の写真)だが、ガイドがいないと、どれがレバノン杉だかまったくわからない。
レバノン「杉」とは言っても松の仲間であり、松ぼっくりのようなものもできる。
「やはり現地ガイドがいると便利だな」と感心しているうちに、またもや腹が痛くなってきた。