日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記 ~アナー・イスミー・イスハーク~

2004年に入信したのに、2003年入信だと勘違いしていた、たわけもんのブログです。

腹痛かかえてバールベック・3

2005年12月09日 19時20分07秒 | 中東ヘロヘロ紀行
ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)7日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日)

バッカス神殿入り口。33段の階段。現在でも、ここで野外コンサートをおこなったりする。

 バールベックはギリシアの神々の神殿として作られ、ビザンチン教会堂となり、アラブの要塞になるという変化をした。


 そのため、ジュピター神殿、ヴィーナス神殿、バッカス神殿などという名称が遺跡につけられており、バッカス神殿などは、偶像崇拝の名残があっちゃこっちゃに散りばめられている。


  
 たとえば、上の写真は、バッカス神殿入り口の門を下から見上げたところだが、天使と鷲のレリーフが残っている(全然わからないかもしれないね)。
 その下の写真はバッカス神殿の内部。一番奥にある祭壇には、かつては司祭しか登れなかったが、現在では私のような一般旅行者も鼻歌を歌いながら、スキップなんぞをして気楽に登れる。



 アラブの要塞時代からさらに時が経ち、オスマン帝国時代の1888年には、ドイツ・トルコ協約が結ばれ、このバッカス神殿にも記念碑が設置された(左の写真)。


 ときは、第一次世界大戦前夜、イスラームの力が衰え、ヨーロッパ列強が台頭してきた頃の話である。


 ドイツにしてみれば、3B政策(ベルリン…バグダード…ビザンティウムを結ぶライン。日本以外ではあまり使われない歴史用語)への足がかりだったんだろう。


 この小さく古い神殿が、ギリシアの昔から近代までの、長い歴史の舞台であったことに感動を覚えた。そして感動のあまりしばし腹痛を忘れることができたのだった。

ドイツ帝国皇帝:ヴィルヘルム2世の紋章。(在位 1888-1918)オスマン帝国スルタン:アブデュルハミト2世の(※)トゥグラー。(在位 1876-1909)

※トゥグラー:公文書・軍旗・碑文などに記される、スルタンの印。スルタン本人の名前に、父の名前、尊称などを加えてアラビア語で表記し、デザイン化する。
 左側が丸く、上に複数の線が伸び、右側には右下がりの線があしらわれるのがパターン。日本の将軍なども使った「花押(かおう)」と似たようなもの。


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