ヒジュラ暦1426年ズー・ル・カアダ(11月)7日 ヤウム・ル・ジュムア(金曜日) |
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バールベックはギリシアの神々の神殿として作られ、ビザンチン教会堂となり、アラブの要塞になるという変化をした。
そのため、ジュピター神殿、ヴィーナス神殿、バッカス神殿などという名称が遺跡につけられており、バッカス神殿などは、偶像崇拝の名残があっちゃこっちゃに散りばめられている。
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その下の写真はバッカス神殿の内部。一番奥にある祭壇には、かつては司祭しか登れなかったが、現在では私のような一般旅行者も鼻歌を歌いながら、スキップなんぞをして気楽に登れる。
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ときは、第一次世界大戦前夜、イスラームの力が衰え、ヨーロッパ列強が台頭してきた頃の話である。
ドイツにしてみれば、3B政策(ベルリン…バグダード…ビザンティウムを結ぶライン。日本以外ではあまり使われない歴史用語)への足がかりだったんだろう。
この小さく古い神殿が、ギリシアの昔から近代までの、長い歴史の舞台であったことに感動を覚えた。そして感動のあまりしばし腹痛を忘れることができたのだった。
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ドイツ帝国皇帝:ヴィルヘルム2世の紋章。(在位 1888-1918) | オスマン帝国スルタン:アブデュルハミト2世の(※)トゥグラー。(在位 1876-1909) |
※トゥグラー:公文書・軍旗・碑文などに記される、スルタンの印。スルタン本人の名前に、父の名前、尊称などを加えてアラビア語で表記し、デザイン化する。
左側が丸く、上に複数の線が伸び、右側には右下がりの線があしらわれるのがパターン。日本の将軍なども使った「花押(かおう)」と似たようなもの。