自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

片平晋作さん逝く…

2018-01-25 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
関東が大雪に覆い尽くされた1月22日…未だ星野監督の訃報が尾を引いている最中…片平晋作さん(元南海・西武・横浜大洋)の訃報が飛び込んできた…。享年68歳…。まだまだ若いよ…。少年時代のヒーローがまた逝ってしまった…。

南海時代 #22,25


西武時代 #4




横浜大洋時代 #2




オレが野球に興味を持ち始めた頃、片平さんは西武ライオンズ所属で南海時代はリアルタイムで拝見することはできなかった。その南海時代は一塁手のレギュラーに定着するものの病気のため柏原純一選手にレギュラーを一旦奪われたが、柏原選手が日本ハムに移籍後は再度レギュラーとして定着。しかし、ブレイザー監督との確執から西武に移籍。移籍後は田淵幸一から一塁手のレギュラーを奪うが、1986年清原和博内野手の入団によりDHにまわり、翌1987年より横浜大洋に移籍。同年は一塁手のレギュラーを確保するが翌1988年ジム・パチョレック内野手の入団により代打要員となる。時が平成になった1989年、40歳まで現役生活を続けた。1日3箱はタバコを吸うというヘビースモーカーとしても有名だった。

同時期同チームに続々と有望な一塁手が入団してきたことも影響しているかもしれないが、後に江夏豊氏が、もし一本足打法に固執していなかったら、生涯通算安打数も2000本近く、通算本塁打も倍は打っていたと述べているほど才能に溢れた選手だった。

NPBの発展だけではなく、日本女子プロ野球機構のイースト・アストライア初代監督に就任し、女子野球界の発展にも大きく貢献された。

先述通り、王貞治さんへのリスペクトから現役時代は一本足打法を貫いた。


自分も同じ左打者で王さんの一本足には同様に憧れていたので、片平さんのその勇姿は脳裏に焼き付いている。


2015年1月には同じように王貞治さんを尊敬し、一本足打法で活躍した大豊泰昭さんも51歳という若さで亡くなった…。

中日時代


阪神時代


オレが憧れたヒーローが次々と…。月日を重ねると必然的に直面することなんだろうけど、寂しい限りだ。オレも歳をとったんだなぁ…。


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