日々是好日

無能年金ジジイの戯言です、老い先短くなってからキャンプ擬きを始めました。

3月11日が来ると思い出します。

2022-03-10 | 東日本大地震

3月11日

この日は、何かと思い出深い人も多いのではないでしょうか。私にも記憶に残る思いでがあります。

平成23年3月11日14時46分でした。

11年前私は、仙台に居ました。

 ※まだ東京単身赴任で働いていて、その日は仙台出張で、本社から仙台支社への会議出席の日でした。

・昼食後、13時より会議を始め少し経った位にビルが揺れ始め、2分位揺れていました。

・管内放送で地震があり直ぐにビルを退去し近隣公園まで避難するよう放送がありました。

 ※勿論エレベータは停止しており非常階段で6階から降りましましたが、既に階段は満員で降りるのに時間がかかりました。

・近くの公園まで避難すると沢山の人々が公園に不安な顔で、数百人は居たでしょうか。

・携帯電話は通じずネット回線ニュースでは大きな地震が発生したとの事。

・1時間ほどして揺れが収まりましたのでビルに戻りましたが周りは公園で待機する人もまだ沢山。

・事務所内に戻ると物は散乱、とても業務が出来る状態ではないので「会議中止」「勤務解放」を告げ、連絡が取れない自宅にもどるように指示して解散。

・私は東京に戻る為仙台駅に。駅付近で支社社員と別れ駅に行こうとしましたが「閉鎖」されています。

・ここで初めて事の重大さを知りました。

 ※仙台駅ホーム崩落のため閉鎖、近隣ビル壁面崩落、全市停電のため商店・コンビニ閉店。

・今日は帰京出来ない為ホテルを当たるも「予約者」以外は入場禁止。ホテルは閉鎖状態でした。

・駅近くの空き地にて、ノートPCで情報収集。本社に地震で帰京出来ない旨メール送信。この時点で電話はパンク状態でしたがPCメールは送信できました。

・駅近くの外気系ホテルが「ロビー解放」との書き込みがあったので向かう。入口でホテルマンが出迎え、ホテルで一番頑強な2階ロビーに案内された。

 17時には「ペットボト  ルとゆで卵1コ」は配給される。これが夕食になりました。夜には避難民が詰めかけ、満員で閉鎖されました。夜には毛布は1枚支給されました。

・朝避難ホテルに礼を述べて駅前に行くも人通りはなし、時折出張や観光らしき「行き先ない」人が呆然と立ち尽くしている。

・避難所を探すと仙台市役所と県庁があるらしいので「バス」を探す。バスも不定期で何時になるか判らない。

・30分待つてやってきたバスに乗る。車内満員~騒然としている。市役所前でおりる。料金は払った記憶はない。

・市役所に着くと入口で簡単な説明。乾パン・炊いたご飯・蒲鉾が支給されて会議室のような避難所へ案内される。

・避難所は満員だが横になれる。トイレがあるので有り難い、ご飯が美味しい。

 携帯電話の充電コーナーもあるが並んでいる。固定電話で会社に電話を入れ状況報告。

・この時点で携帯電話会社の中継所電源は落ちているので携帯は充電しても回線が通じない。唯一インターネットは生きているのでスマホかPCなら回線繋がる。

・地震は東日本全域で被害状況は未定。ただ40Mの津波が発生して沿岸部は大打撃とのこと、石巻市他都市は壊滅状態とのこと。

 ※東北新幹線・東北自動車道・在来鉄道網は殆ど全面運休、東北以外の東京付近でも被害があった模様。

・仙台にいては情報が掴めないので脱出を考える。東京に戻るルートで開かれているのは「仙台~山形」「山形~新潟」「新潟~東京」の情報をPCで得る。

・市役所で山形行きのバスの照会すると怪訝な顔をされたが、不定期で運行あるとの事。但し夜中なので時間は未定。夜まで避難所で過ごし、夜中に発着場付近に移動。

 1時間待って夜中1時にバス到着、数人をのせて山形駅へ。途中で人を拾い山形到着時は満員、

・朝山形着、駅前ホテルで宿泊依頼。全館有料開放しているとのこと。但し地震のためドア開放、エレベータ停止条件で。3階で爆睡

 夕方、新潟行きバスがでるとの情報で駅前に行く。

・新潟行きバスは予約制だったが運良くチケットが買える。満席で新潟駅へ~一面の雪化粧で地震を忘れさせてくれる。臨席は美人。

 観光で来たが急遽帰京するらしい。大手商社から高級ジュエリー会社に引き抜かれたらしい。(聞けば誰でも知ってる会社です)

・新潟駅着。新潟新幹線は動いていたので東京行きに飛び乗る。駅構内で買える物も買う  下着を買いたがったが売り切れ。

・東京駅着。本社の神田に向かおうとするも在来線は大混雑。とても動けないので諦めて鶴見の自宅(転勤先仮住まい)に向かう。  メールでその旨報告。

・自宅到着、爆睡。明日の準備。

以上が顛末の抜粋です。

運よく3日間で仙台から東京に戻れました。

このとき以来心がけている事。(今でもバックに入れて持ち歩いています)

・3日分の薬を常に携帯(胃薬・持病他簡単な薬数点)

・携帯用充電バッテリー

・携行行動食1食分

・現金

 

♥この手の記事はテレビで放映されますが、多くの事柄は現地でないと判らないという事を再認識させてくれた出来事でした。

当時の記憶は今も鮮明であり、私も忘れる事できない事柄です。

多くの親切に出会えた時でした。人は困難になると優しくなるのですね。

 



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