日々是好日

無能年金ジジイの戯言です、老い先短くなってからキャンプ擬きを始めました。

衣替え~

2021-03-31 | 車(私専用)の事

明日から4月なので~

衣替えの季節です。

まずは車。

この前30万で車検を受けたボロパジェロミニ。

冬タイヤから夏タイヤに交換して貰いました。

予約日が今日の15時でした、費用は2000円。

冬タイヤを買った店なのでお安くしてくれました。

175/80/R15から195/70R15に履き替えです。

 

人間。

冬セーターや冬用下着をしまい、夏用ズボン下や夏用靴下を交換。

まだ寒い日があるかも知れないので長袖下着はおいておきます。

スポーツシャツも冬用から夏用に。

半袖はまだまだ。

敷き毛布は剥ぎ取り、布団(ダウン)だけで十分寝れます。

完全に仕舞切れないので冬夏混在で部屋が狭苦しいです。

季節とは関係ないですが、パソコンを買換ました。

以前はノートPCを大きなモニターに映して使ってましたが、

デスクトップの中古品を買いました、

中古ですが、メモリやSSD置換したり大幅に能力アップさせたので快適です。

 


LINE考~

2021-03-24 | 独り事

久しぶりにTVを観ていたら、LINEの情報が中国からアクセスされていた云々と云っていた。

少し驚いた。

驚いた事は事柄ではなく、「何を今更~」という事です。

LINEアプリは仕事先が使ってるので「仕方無く」使ってます。

元々ゲーム以外は入れてなかったiPhoneですが。

LINEアプリは信用に乏しい事は10年前から言われていました。

日本企業の様に見せかけても中身は隣国ですから、情報漏洩なんて当たり前です。

ましてや無料ですから~

無料になにを期待してルのでしょうかね?厳格な管理?

LINE株式会社が日本にあって、親会社はNAVERという隣国会社です。

LINE株式会社の役員の半分以上は隣国人です。社員は6割隣国人です。

親会社のNAVERをネットでみていたら社長プロフールがのってました。

李海珍(イ・ヘジン)
1967年6月生まれ、49歳。NAVER Corporation(ネイバー)創業者・取締役会議長、LINE取締役。

1990年ソウル大学コンピューター工学科卒、1992年KAIST(韓国科学技術院)で修士号取得、1992年サムスンSDS入社。

1999年ネイバー設立、社長就任。2004年より現職

もともとサムスン追われたのでNAVERを設立したようですが、優秀なんでしょうね 年収52億と書いてました。

 

日本のLINE株式会社の主要役員だそうです。

出澤 剛 LINE株式会社 代表取締役社長 CEO
シン ジュンホ LINE株式会社 代表取締役 CWO
舛田 淳 LINE株式会社 取締役 CSMO
ファン インジュン LINE株式会社 取締役 CFO
パク イビン LINE株式会社 上級執行役員 CTO
コ ヨンス LINE株式会社 上級執行役員
ヤン ソクホ LINE株式会社 上級執行役員 CDO
池邉 智洋LINE株式会社 上級執行役員
島村 武志 LINE株式会社 上級執行役員
稲垣 あゆみ LINE株式会社 上級執行役員
安岡 祥二 LINE株式会社 上級執行役員 経営企画担当
イム マンギ LINE株式会社 執行役員 CPO・CISO

 

それにしても8000万人が使って役所も使ってるのは驚いたですね。

LINE株式会社では収益の8割は日本で稼いでいるそうです、(そう書いてありました)

無料で登録数増やして、得た情報を第3国に売る。良い商売です。

日本人情報は良い値段で売れるそうです、くわばらくわばら。

 

 

 

 


3月11日~あの日。

2021-03-11 | 東日本大地震

3月11日は忘れませんが、月日の速さに驚きます。

3月11日午後2時に私は仙台に居ました。

当時はサラリーマン現役で転勤先の本社(東京)勤め、住居は横浜にアパートを借りていました。

当日会議出張で仙台支社で会議中でした。

会議始まって直ぐにグラグラと大きな揺れが長時間続きました。

ビルは10階建てでしたが、直ちに退去命令がでて近くの公園まで徒歩で階段をおりて1時間くらい避難しました。

揺れが収まりビルに戻ると仕事どころではない様子でした。

事務所は直ぐに閉鎖し、全員帰宅指示しまし、私は仙台駅に急ぎました。

途中のビル歩道には壁面がれきが至るところに落ちていて落下物に気をつけながら歩いたのを覚えています。

仙台駅は立入禁止になっていて駅には近づけません。

ここで新幹線が止まっている事に気がつきました。

日帰り予定でしたからホテルもとっていません。

コンビニも全部閉まっています(全市停電なので殆どの店舗は閉店)

駅前の外資系ホテルが行くところのない人対象に1Fを解放してくれていました。

水500㎖と卵1個配給受けました、非常にありがかったです。

ロービーで一晩明かしました。

携帯は通じないのでPCネットで情報を得ました。

宮城・岩手・福島はほぼ連絡つかずで非常に大きな地震で新幹線・高速道路も不通でした。

翌日は市役所まで歩いて行き、寝場所と食事を確保。こういう時はありがたい~。

自衛隊があちこちにいて尋常では無い事が容易に察しがつきました。

翌日山形行きのバスが出るらしいトのことで仙台に向かう。

最後の山形行きバスに乗り、山形経由で新潟に向かう。

新潟駅で一泊後東京行きのバスで東京駅に向かい、翌朝東京駅から横浜行きJRでアパートにたどり着く。

長いー長い出張は4日間目に帰り着き、死んだように眠ったのを覚えています。

翌日午後から東京本社に出勤、支社・工場他震災対策にほぼひと月費やした。

津波被害を知ったのは東京に帰ってからで、仙台で断片的に40Mの波と聞いた時は4Mの間違いだろうと

思っていましたが、本当に40Mの津波が東北を襲ったのでした。

東京ではその後計画停電で通勤が大変だった記憶があります。

よく生きて帰れました、感謝です。

あれから10年。

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒

当時の携帯に残っていた写真

事務所内は余震が続き勤務解放

 

一時避難した近くの公園

コンビニは全店閉店

地割れ・落下物で歩くのが怖い。

  

市役所で配給された食事(非常に美味しかった)

山形駅前(ここまでくると安心しました)

ホテルは特別価格で解放してくれましたが、ドアは全部開放です(余震で閉じ込め予防の為)。