おばさんの落書き部屋

日々の出来事など思いつくまま

年の瀬の買い物

2011-12-30 19:22:03 | 日記

2011年も残すところあと2日。
毎年、12/30は名古屋駅近くの柳橋中央市場へお正月の食材を買い出しに出かけるのだが、
どこへも行きたがりの孫二人も行きたいと言い出し、不本意だったが連れて行くことにした。

覚悟はしていたが、市場の近くの駐車場はどこも満車。道路の両側も車の列と渋滞ばかり。
一方通行の路地を抜け、周りを2周してやっとビル地下の駐車場へパーキング。
普段、多くは飲食業者が仕入れに来る市場だが、暮ればかりは一般の買い物客で殆ど
占められているようだ。
鮮魚、肉、野菜、どの売り場も人だかりで他の店と値段を比較しているゆとりはなく、
メモしてきた食材を手に入れるだけでせいいっぱい。
孫が迷子にならないように気遣いながら、人混みをかき分けやっとの思いで買い物を済ませ、
細かいものは自宅近くのスーパーで買い足すことにした。
市場の道路端では豚汁、あら汁、甘酒、肉まん、たこ焼き、みたらし団子、五平餅とおいしそうな食べ物も軒を連ねて売られている。
東日本大震災で東北の農水産物の入荷が減少している言われている今日、帰途ふっと被災地の人々はどんな暮れを過ごしているのだろうかとの想いがよぎる。

孫たちは人の多さにびっくりしながらも多くの店先を物珍しげに見ながらついて来たが、
次回は懲りて「もう留守番している」と言うに違いない。
でも、大きくなれば、この暮れの風物詩のひと時も良い思い出になるのでは・・。

 

 


おかげ横丁へ

2011-12-25 23:48:57 | 日記

「おかげ横丁」

今年も残りわずかとなり何かと気ぜわしいこの頃だが、小学生の孫2人が冬休みに入りこの連休を家でじっと
できずどこかへ出かけようとうるさい。
仕方なく12/23(金・天皇誕生日)から3連休となり、道路も混んでいるのではないかと思ったが
急遽、伊勢内宮前「おかげ横丁」へ出かけることにした。
自宅を9時に出発、名古屋は晴れていたが、途中、雲が多くなり底冷えがしてもっと温かい格好で来れば
良かったと後悔した。

伊勢は二千年の昔から神様が鎮座されるところとか・・。
暮らしのすべてが神様のおかげであると感謝してそんな想いから「おかげ横丁」が誕生したそうだ。
江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の人情と風情を再現した商いの町並みはどのお店も覗いてみたい
ところばかりだ。
昼食は伊勢の老舗牛肉屋の「豚捨」で牛丼をいただいた。
ここで売っている「コロッケ」の持ち帰りは行列していたので、つられてこれも買って歩きながらアツアツを
頬張った。
その先で、焼き芋、串に刺したハンペン、赤福と食べ歩きばかりしながら、お店を見て廻る。
その中に「山口誓子俳句館」「徳力富吉郎版画」館」があり、ここは見たかったが、子どもたちは興味がなく
昔なつかしいおもちゃや駄菓子を並べてある店に行きたがり、ゆっくり出来ず残念だった。
露天ではしめ縄、お正月用の鉢植え植物などを売る店が立ち並び、暮れらしい風物をカメラにおさめる。
クリスマス前なので去年も立ち寄った「灯りの店」で、柄にもなくロマンチックな雰囲気を醸し出すに良さそうな
「キャンドル立て」と色とりどりの洋ローソクも衝動買いしてしまう。

日頃、手抜きばかりで掃除の行き届いていない主婦としてはこの時期、出歩いている場合ではないのだが
散財した挙句、疲れて慌ただしく帰途についた。

 


人権について考える ②

2011-12-10 00:47:04 | 日記

名古屋市女性会館で気づくことからはじめよう~さまざまな立場の女性の人権を考える
  「私にできること」〈差別のない社会のために〉と題して公開講座があった。
       講師はソプラノ(オペラ)歌手 渡辺千賀子さん

講座の直前に一番前の座席に座っていた男性が突然、会館側スタッフの対応への怒りと
それに対する謝罪を求める発言があり、険悪なムードから始まった。
「こんな講座をやる前に自分たちがもっと研修を積んだらどうなんだ!」と。
皆、何があったのかわからずに会場から事情の説明を求める声があがった。
会館スタッフの説明によると、最前列は障がいのある方、その次に託児を必要とする人の席が明記されており、
男性が障がい者席に座ろうとしたので、一般席へ座るようお願いをしたところ、彼は障がい者であるとの
事だった。
障がい者と言えば車椅子の人や目の不自由な人をすぐにイメージしてしまうが、外見からは判断できない
障がいを持った人もいて、そこからのトラブルと思われる。
スタッフは何度も謝罪の言葉を述べられたが、納得されずせっかく来たのに席をたって帰って行かれた。
ちょっとした行き違いではあるが、人権と関連して考えさせられる出来ごとだった。

講師の渡辺さんは声は言うに及ばす、容姿もとても美しい人で自分自身の被差別出身者としての
体験を通して人権について語られた。
私はと言えば、若いころ奈良を舞台にした住井すゑ著「橋のない川」を読んで「」の存在を知った。 
しかし、小説の上だけでなく、現代に至っても形は表面化していなくても、なお脈々と被差別が
息づいているのは何だろうかと考えさせられた。

〈要旨〉
三重県名張市赤目町で生まれた。
山椒魚で有名なところで、一ノ井というところがありここは(上・下・西)と三つの地域に分かれており、
西は行政区に存在しない被差別となっていた。
西と下は区別して登校していたが、自分は20歳までという事を知らずに育った。
母親は「寝た子を起こすな」という考えで松阪の高校の音楽科から武蔵野音大に進み、
九州久留米出身の友人から「」という言葉と、世間で汚くて怖い地区があると初めて聞いた。
人からあなたも民と聞かされ驚いて、泣くだけ泣いた。
母からは「人はわけ隔てがあってはいけない」と、夫からは「自分を卑下するのはやめなさい」と
言われた。
自分は音楽の道に進む事ができたが、一般的に出身の人は職業も限られてしまう。
自分の子どもも学校でいじめに合い、トイレで用を足している時、頭上からオシッコをかけられたことも。
結婚がダメになり、自殺した友人も。小学校の音楽教師を1年契約で引き受け人間不信になったことも。
いろいろな辛い経験を語られたあと、どうすれば差別は無くなるかと。
人権として差別はおかしい。大切なのは「教育」。
まわりの大人は差別はおかしいと知ってはいながら、わざわざじぶんの感情をプラスして人の悪口を言う。
差別はいけないと言いながら、自分の娘や息子が被差別の人との結婚は絶対に許さない。
言われなき差別、意識は深いところでは心に残っていて、建て前ではわかっていても消して行くのは
難しい。

差別をする人には、勇気ある一言で注意を促すことが差別をなくして行く一歩になる。
こどもたちにもわかりやすい言葉で人間の平等を訴え、人権の大切さを伝えるフォークソング
中心の「小さな手のひらコンサート」を全国各地で展開しているとのこと。
世界のどこにも差別がなくなればどんな時代になっても、みんなが幸せになると。

   

 

 

 

 

 


朗読グループ発表会

2011-12-06 01:04:03 | 日記

名東生涯学習センターで朗読グループの発表会がありのぞいてみた。
行きに椅子張替を依頼する為にちょっと立ち寄ったお店のご主人が話し好きで、かなり時間オーバーとなり
会場へ駆けつけた時はすでに前半は終了したところだった。

後半は98歳の柴田トヨさんが92歳から書きため自費出版された詩集「くじけないで」より「私」「空」「幸せ」
の3編を92歳の女性が朗読された。
この本は私も書店で買い求めて読んだのだが、声に出してゆったりと読んで下さると詩の内容がもっと
味わい深くなり心に染みた。
著者と朗読者との年齢が近いせいもあってか、しみじみと聴くことができた。

続いて、茨木のり子作:(おんなのことば より) 「はじめての町」「わたしの一番きれいだったとき」
     佐野洋子作 :(そうはいかない より)  「めがね」
どちらも読んだことがないのでこれを機に一度読んでみようかと・・。

最後は藤沢周平 作「山桜」を5人で交代で朗読。
最近は根気がなく小説はあまり読むことが少なくなり、ハウツーものや実用本で占められている。
でも、藤沢周平の作品は私の最も好きな作家の一人であり、「蝉しぐれ」「花のあと」「たそがれ清兵衛」など
映画を観てから本を読むことが多い。
今日の朗読を聴いて「山桜」を再度、読み返してみたいと思う。

「めいとう朗読グループ」は毎週、月曜日の午前中に定例活動を行っているとのこと。
私はフィクションより実話・ドキュメンタリー本を選ぶ傾向が偏ってしまうが、この会の活動は広く本に親しめ、
相手に聴かせる為に声に出して読む訓練は発音が明瞭になり一石二鳥なのでは・・と思った。

  

 


日本語ボランティアシンポジューム

2011-12-03 20:24:31 | 日記

12/3(土)「日本語ボランティアシンポジューム2011」が名古屋国際センターで開催された。
      〈主催:東海日本語ネットワーク(TNN)・名古屋国際センター(NIC)〉

午前中は、第1部 基調講演「海外におけるお民の言語政策・・共通言語構築をめざして」

昼食休憩をはさんで日本語教室ブースでの、また、来場者どうしの交流、情報交換があり、
第2部 (その1) 「ことばを学んで、見えること」と題してパネルディスカッションがあった。
登壇者は4名 韓国語を学ぶ日本人主婦
          配偶者の日本留学に伴って2001来年に来日した韓国語学校の講師の女性
          工学博士課程の取得を目的に2006年にインドから来日の男性
          アフリカ・ベナンから2010年に国際結婚で来日した男性。

     *ことばを学んで難しいのは→読みが使い方で異なる漢字(非漢字圏の人)と
       敬語の使い方。
       日本人が外国語を学ぶ場合 → 発音と文字
     *上達法 → ドラマを観る・なるべく日本語で会話する
     *楽しく日本語の勉強を続けるには → 日本人と話す・生活する・仕事する
                                日本の文化を知り、違いを見つけるようにする
     *ことばが出来るようになったら → 短期留学をしたい
                             会議などで通訳をしたい
                             テレビやラジオ番組に出演したい
                             日本語で論文を書きたい
                             自分の気持ちをきちんと言えるようになりたい
                             韓国語のボランティア教室を作りたい
    *日本語教室のよいところは → ボランティアさんが優しく教えてくれる
                           いろいろな国の人と一緒に日本語を学べる
    *日本人、日本社会に望むこと → 文化の違いを認めた上で相互理解を
                            黒人を見て心配しないで、もっと心を開いて  etc.

第2部(その2)「外国人」ではなく、同じ住民として
  
報告者 3名 かすがいふれあい教室(春日井市)ボランティア
           特定非営利活動法人シェイクハンズ(犬山市)
           前鈴鹿市教育長 
        
        日本語教室は学習者にとってただ言葉を学ぶだけでなく、暮らしに関わる情報を交換したり
        お互いに顔の見える関係を結んだりする場でもある。
        折からの不況や今春の災害もあり、暮らす地域との結びつきを一層深めていくことが大切。
        「外国人」も同じ住民として共に暮らせる地域社会を作るために、日本語教室は何が出来、
        これからどんな活動が必要かを考えて行く必要があるとの意見だった。

        
  日本に暮らす外国人の方々の生の声が聞け、また色々な地域の活動や取り組み報告、そして 
  パネラーから貴重な提言があり有意義だった。