おばさんの落書き部屋

日々の出来事など思いつくまま

戦争と平和の資料館「ピースあいち」へ

2013-02-21 21:24:01 | 歩いて知る

今日は、クラブの仲間42名で名古屋市名東区よもぎ台にある「ピースあいち」へ出かけた。
その建物、「戦争と平和の資料館」は地下鉄一社①番出口から緩やかな坂道を北へ徒歩で15分くらい
行った所にあった。

最初に1Fの交流スペースでボランティア斎藤 孝さん(82歳)から「ピースあいち」5年前に開館した
いきさつや、戦争を体験した当時の様子など、貴重なお話をしていただき、中2当時に清洲で
聴いたと言う、「玉音放送」のさわり、、耐えがたきを耐え、偲びがたきを偲び・・・”のテープも流された。

満州事変、関東軍の暴走、それから6年後の日清戦争、太平洋戦争に突っ走って行き、国民全体が
戦争に協力させられていった状況などと、自分の子ども時代の軍国少年だったころの話をされた。
一日にマッチ10本といった配給制度、鍋、釜を供出させられた「物」節約、贅沢は敵だと「心」の面
などのお話しなども。
軍需工場で中2で兵器を作る仕事に従事したお話、クラス50人3ケ月行かされたそうだ。
戦争を知らない世代には想像も出来ないお話ばかりだが、戦争体験者はどんどん少なくなり、
戦争の資料や遺品も失われつつあるので後世に悲惨さを伝えて遺して行かないといけないとの
使命にがんばっていらっしゃるのがひしひしと伝わってきた。 

1Fには第2次世界大戦が終わって今なお、世界のあちこちに戦争がある現代の戦争と平和の
様子を展示。
2Fには愛知県下の激しい空襲を受けた様子、壁面には15年戦争によって失われたさまざまな
命の写真や戦時下の人々の暮らしが展示されていた。
3Fには全国の動物園で多くの動物が殺されたという「戦争と動物たち」にまつわるお話、また、
当時の子どもたちの使っていたおもちゃや衣服、かばん、くつなどが展示されていた。

戦争が残した教訓を伝え、平和への思いを発信する場として次の世代へ繋いでいく役割を
果たす施設として、広島の「原爆資料館」などと並び、多くの人が時々、ここを訪れて平和の
尊さをかみしめて行かなければならないと改めて思った。
「平和な家庭はひとつだが、不幸な家庭はひとつではない。
不幸は貧困・いじめ・差別・いろいろな問題を含んでいる」と話された。
最後に、一人一人が平和運動は出来ると。
    

 


中馬のお雛さま in 足助

2013-02-11 17:41:21 | 観光

2/9~3/10まで足助の古い町並み一帯で通りに面している約40軒の商家や民家が土びなや
衣装びなが飾ってあるのをニュースで観て急遽、女3人で行ってみることにした。
猿投グリーンロードを走って駐車場に着くと、みぞれ混じりの天候に風も少し出てきて寒い日となった。
巴川にかかる巴橋を渡り、足助川と並行な道路沿いの「新町」「本町」「田町銀座」と続くお宅の中の
お雛さまを見ながらぶらぶら歩いた。
どの人形も、道行く人に「どう? 私たち綺麗でしょ!」と時代を潜り抜けて、誇らしげに呼びかけて
いるようにも見えた。
途中、美味しそうに焦げるにおいに釣られて、蓬餅やイノシシの肉入りコロッケなどを買い食いしながら、
和布で作った手芸品の小物や、お雛様がぶら下げられた花餅の枝など、衝動買いをした。

江戸時代からの歴史を感じるひな人形や、明治、大正、昭和とさまざまだが、道路に向けて飾られた
色とりどりの人形をみながら、どんな人たちの持ち物だったのだろうと想いを馳せる。
足助交流館、本町区民館、足助中馬館、資料館などの拠点では、土雛など今では手に入らない珍しいもの
が展示されていた。

「中馬」(ちゅうま)のいわれは何だろうと資料を読むと、
江戸時代に、信州の馬稼ぎ人たちが作った同業者の組合のことで、「賃馬」「中継馬」が語源だそうだ。
一般には飯田街道で物資の運搬に従事したすべての人々を指していて、この中馬と呼ばれる
人々が行きかい、三河湾からの塩、信州からの米やたばこなどの産物が集まる交易の場所として
栄えたそうだ。
それで、ところどころに宿屋だったと思われる古い建物も見受けられたし、馬の造り物も飾られていた。
店の途切れる端まで歩いてUターンし、五平餅を車の中で食べながら帰路を急いだ。
  

 

 

 
 
 
  
     マンホールのふた    シシ鍋料理「井筒亀」店横で干されていたイノシシ(残酷・・) 


「くらし友の会」新年会

2013-02-05 20:49:58 | イベント

「くらし友の会」の名東・千種支部のメンバーで、JRセントラル・タワーズ加賀料理「浅田」に於いて
少し遅い新年会があり、20名が集まった。
この「中日くらし友の会」は中日新聞生活面の「くらしの作文」投稿者を中心に昭和32年に発足し
半世紀以上も文化活動を続けている会で、会員数は530人を擁し、遠くは金沢、浜松などからも
参加しているそうだ。
私は、2010年11月23日に拙い文章を初めて投稿、掲載されてから、この会に加えて頂き、
お互いの親睦を深めている。

今日はお仲間の方が、30年以上やっているという宝生流謡曲を披露して下さり、小学校の教師を
されていた各務原市から参加のGさんからは手作りの素敵な「箸袋」のプレゼントを頂いた。
歓談しながら、美味しい昼食を済ませた後、3台のタクシーに分乗して中日新聞社6Fホールで開催の
公開コンサート「山口晃司の津軽三味線とともに」を聴きに移動した。

演奏曲目は ・津軽じょんから節    ・民謡メドレー(ソーラン節 ドンパン節 東京音頭 花笠音頭)
         ・津軽よされ節 ・津軽あいや節  ・オクラホマミキサー ・川の流れのように 
         ・北国の春   ・青い山脈  etc.
 津軽三味線の生で聴く演奏は迫力があり、会場からは手拍子や盛んな拍手が起こり、
 アンコール曲「燃えよドラゴンズ」で約90分の演奏は終了した。
 
仲間に加えて頂き、いろいろな方との出会いがあり交流の輪が広がる事は、嬉しい。

  
   「浅田」で新年会      姉様人形をあしらった箸袋    迫力の津軽三味線コンサート