室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

Bob Greene in ミントンハウス

2008-05-23 01:02:31 | Weblog
火曜日に、Bob Greene が1年半ぶりで西荻窪のミントンハウスのピアノを弾きました

Bob Greene氏とは、2004年の秋にミントンハウスの阿部寛トリオのLIVEの時に知り合いました。新宿トラッド・ジャズ・フェスのチラシに名前が書いてあったのに、その事が気に入らず、とうとう弾かなかった意固地ピアニスト・・という噂で、その方が阿部さんのLIVEに現れた時は「どういう展開になるかな?弾いてくれるかな?」と、一同がドキドキしたものです。阿部寛(Gtr)後藤雅広(Cl)小林真人(Bass)の面々の演奏を嬉しそうに聴いていて、次第に弾きたくなってきた頃に、露払いに私がショパンの”幻想即興曲”を弾くと"Lovely Chopin!" と言って、握手を求めて私に話しかけて来ました。「弾けるなら、そういうピアノが弾きたかった」その時以来、友達になりました。

今回は5/4に東京に着いてすぐは体調がイマイチで、「3日間歩けなかった」とか「どうも胃の調子が・・」などとあまり元気が無い様子でいました。ミントンハウスに阿部寛トリオが出演する日を「楽しみにしている」と言いながら「ずっとピアノに触っていないから、弾くかどうか分からない」と言っていたのですが、鳥居坂のホテルから西荻窪に向かうタクシーの中で「あなたのお気に入りの蕎麦レストランで、皆があなたのことを待っているのよ」と私が言うと、「本当か?それは素晴らしい!お腹が空いてきた」と俄に元気が出て来ました。

奧に中庭の見えるお座敷がある、玉川という西荻窪のお蕎麦屋さんですっかりご機嫌になり、ミントンハウスに向かいます。「Abe は今までに見てきた中で最高のギタリストだ」と言いながら1回目のセットを丸々聴いて、2セット目は1曲聴くと、どうもウズウズして来ている様子なので「弾いてみる?」と聞くと「ウン!」

Bob Greene氏の凄いと思う点は、1922年生まれという年齢、「3週間半もピアノに触っていない」状態でも弾けてしまう、ということ以前に、先ずその音楽性です。アメリカの音楽であるジャズの神髄が、身体に染みこんでいて、暖かく、時にワイルドに、そして無邪気なJelly Roll Morton の魅力が、より美学を持って演奏されるのです。

私もBob のCDの中から"Winin Boy Blues" をコピーして弾いてみていますが、私が真似しても、ちっともサマになりません。この日のBob の演奏を間近に見ていて、その最も魅力の部分の”本質”が、私が持っているものと、全く違うことが良くわかりました。素っ晴らしい音楽がそこに存在しているのに、私には手につかむ事ができない。簡単に真似できない”ホンモノ” これが”ジャンルの違い”という事なのだろうか・・。

田中さんがいっぱい・・

2008-05-21 23:46:22 | Weblog
劇団”円”の公演「田中さんの青空」を見に行った。
昔、ピアノをお教えしていた林真里花嬢から出演のお知らせがあったのだ。
新作で、5人の女優さんがそれぞれ一人芝居を、一見オムニバス風にしていくのだが、やがてお話が繋がって行き、「ああ、そういう事だったのか~」とガッテンさせられる。

そして最後の、青空の下でのピクニックシーンで「今日が人生で一番幸せな日だったらどうする?」というセリフが、ど~ん!と余韻となって、忘れられぬ印象を残す。人生には色んなシーンがあり、その連続が年月となって行く・・。分かっている事だけれど「そういう風に思う時あるな。のちに、またそれを思い出したり、思い出そうとして思い出せなかったりもあるな」と、ある意味、人生を語る。さすが劇団”円”と納得。

「田中さんというお名前の方は、五百円値引き」と分かり、田中さん、田中さん・・、誰か知り合いにいなかったっけ? いました、いました。お世話になっている事務所のマネージャー。早速お誘いしたら「芝居好き」という事で、「田中さん割引」を喜んで頂けました。受け付けテーブルには「田中さま」と書かれた予約チケットが束になってありました。客席には相当数の”田中さん”が集合していたことでしょう。

真里花ちゃんは、芝居が大変うまい役者さん。セリフも動作も表情も、常によどみなく完璧で、しかもどこか余裕がある。客観性を持ちながら、しかも爆発できる。初めて見た時から「うまい!」と思った。声帯も強い。声優のお仕事を沢山しているようだ。声だけで説得力のある表現ができるのは、本当にうまいんだと思う。”冬ソナ”のチェリンの声や”24”をはじめ、メジャーなお仕事をばんばんやっている。おとなになったんだな~。

「ウシャギしゃんバスにのって、ようちえん行くの」と言っていたひとが、その年頃の子供を持つ母親の役をやっているんだからなあ・・。「人生で一番いい日かもしれない」と思える日が、これからもいっぱいあるといいな~、真里花ちゃんにも。私にも。

グランド・ヴァカンス 其の12 三つ足

2008-05-18 14:09:52 | Weblog
シチリアのあちこちで見かけたシチリアのシンボル。私は”三つ足”と呼んでいたけど、どこかで買うチャンスを待っていて、結局カターニア空港で買った。

Wikipedia によると、正式には”三脚巴”(さんきゃくともえ)というそうだ。イギリスのマン島の文様ともども”トリスケル”と呼ばれるそうで、英語で"three-leg" とも書いてあった。なんだ、”三つ足”でいいんじゃない!

シチリアのシンボルの特徴は、三本足の付け根にメデューサの頭が付いていることだ。頭髪が蛇で、目が合うと石に変えられてしまうという恐ろしい顔の筈だが、ギリシャ系を思わせる美しい顔だ。紀元前のギリシャ植民地時代以来のシンボルで、シチリアの旗のデザインになっている。頭髪が蛇なのに、肩に天使の羽が付いており、羽の意味は分からない。

”3”はメッシーナ、パキーノ、マルサーラの三都市を線で結んだ三角形であるシチリアの地形が紀元という説があるそうだ。

世界各地には、渦巻きで3本足を型作ったデザインや、足だけのデザインを紋章とする地域や家紋も、色々あるようで、”トリスケリオン”と総称されるらしい。でも、シチリアの”三つ足”は、生々しく肉付きの良い足で、愛嬌のある蛇頭髪に羽付きの美人。とても印象的だ。

この”三つ足”は、朝日の入る明るい仕事部屋の壁に掛けた。見るたびにシチリアの明るい日差しを浴びているような気がする。

代々木上原行き

2008-05-16 13:45:04 | Weblog
代々木上原にあるムジカーサで、舘野泉さんプロデュース”坂の上のコンサート”があり、聴きに行った。

いつも以上に盛り沢山のプログラム。メイン・テーマは”セヴラックへのオマージュ” セヴラックは、ドビュッシーの時代のフランスの作曲家で、ラングドック地方の貴族の出身で、広いお城のような館で作曲し、友人達とサロン風の楽しみを享受する生活だったようだ。作品にも、そういったサロンでのお楽しみに書かれたような雰囲気のものが見られる一方、大地と密接な生活から生まれたと思われる、大自然、人生、哲学への深い想いを表した作品もある。

コンサートはいつものように舘野さんの短い解説から始まる。お顔の色つやが麗しく、足取りも軽く、3月にお目にかかった時より3歳は若返られたようだ。平原あゆみさんとの三手連弾でのセヴラックの”鉛の兵隊” アンデルセンの物語やカルメンのドン・ホセと似た物語のようだが、ハッピーエンドのかわいらしい、サロン風の作品。左手だけでなく、ところどころ、右手も弾いていらしたようだ・・。

続いてメインゲストの登場となる。先ずは、クバイネさんのお嬢さん、メゾ・ソプラノのマリーさんの歌で、セヴラックの歌曲。伴奏は末吉先生。末吉先生の音はあいかわらず芯があって、明るい輝きがあるなあ。マリー・クバイネさんは、知的な美人で、暖かく清らかな美声の持ち主だ。4つの歌曲を、それぞれの持ち味に合わせた表情も美しい”女優”だ。プログラム後半で歌われたファリャの”7つのスペインの歌”では、艶っぽい顔、悪戯っぽい顔も見せ、さすがにカルメンをレパートリーとしているだけのことはある、と思った。いつまでも聴いていて飽きない、嫌みのない美声だ。

それからバス・バリトンのジャン・ジャック・クバイネさん。前半ではイベールの”ドン・キホーテの4つの歌” 後半でセヴラックの歌曲を4曲歌われた。圧倒的な声量と存在感だ。お顔がそっくりな訳ではないが、一瞬の目を細めた表情の中に、加賀丈史を思わせる。背の高い立派な体格から連想させる部分もあるかもしれないが、いずれにしても立派な”俳優さん”だ。その声の響きは、バッグの陰に持つプログラムの紙を揺らした。

そして前半最後は、平原あゆみさんのピアノ独奏でセヴラックの組曲「ラングドック地方にて」の中の”春の墓地の一陽”が演奏された。あゆみさんは、よく歌わせ、とく響かせ、よく弾く素晴らしいテクニックの持ち主で、こういうシリアスな内容の演奏で本領を発揮する。チラシ、チケット、プログラム等の印刷のデザインも益々磨きがかかってきている。


後半は、舘野師弟の演奏で、末吉先生編曲なさったセヴラックの曲集の三手版を4曲。バイオリニストのヤンネ舘野さん独奏、平原あゆみさん伴奏のセヴラックのバイオリン曲を3曲演奏された。3曲目の”セレの思い出”は、3月に私もヤンネの伴奏をした曲だ。平原あゆみさんは、本当によく弾ける、と感心した。ヤンネの楽器はあいかわらずリッチな音がしている。二人とも、もう少しニコニコすればいいのに・・。まじめで純粋なんだなあ・・。

その後は、クバイネさんのセヴラックと、マリー・クバイネさんのファリャで、盛り沢山コンサートが終わると、9時半を過ぎていた。フランス人なんだから当たり前だけど、フランス語の発音が美しかった。セヴラックはラングドック弁がかなり混じるので、フランス語から離れる部分もあるのだが、ヴェルレーヌの詩は流石に標準語だから、私でも多少わかる、その”美しさ”を聴くことが出来て嬉しかった。

帰り道、神宮前=原宿での乗り換えの時に、どうも倖田來未のコンサート帰りらしい一団と一緒になった。何人もの女の子が”倖田來未”と書いてあるバッグを持っている。ん~、そういうのも青春の音楽として、良いかも分かんないけどさあー、世の中には、長年に渡って磨かれた精神力と技術と美学で表現される、純粋な音楽も存在するのよ、知らないでしょうけど・・。キミたちの媒体でもある、世間のブログに、そういうキミたちの知らない充実感の持てる世界がこの世に存在してるのよ、と言いたくなって、このブログを書きました、ってワケよ。わかる? わかんないだろーな~。って、これもかなり古いか・・。

グランド・ヴァカンス 其の11 シチリア土産

2008-05-16 12:16:57 | Weblog
4/18 カターニアのHotel Moderno
ゴミ箱、テレビのリモコンの電池、ドライヤー(フロントで借りられるが)バスタオル、余分なコンセントが無い、シンプルというよりは、やや淋しいホテルだったが、朝食もそれに相応しく、首尾一貫している。中身の入っていない丸いパン、パン・オ・ショコラ、袋入りのチョコケーキ、ビスケットなど・・キオスクメニュウだ。前の晩のディナーが豪華だったので、落ち込むことはないが、前日、前々日に比べると、心のこもったものは何も無い・・というだけだ。

ただ、ここのホテルのインターネットは日本語サイトが出たので、オジ様がYahoo を開けて、私のメールボックスに接続して下さった。

前日はそれが出来たのに、朝になったら何故か「パソコンが壊れたので、目の前のホテルで借りて下さい」と言われた。目の前のホテルは、同じ三つ星だが、かなりランクが違う雰囲気。さすがにお値段も90ユーロだから1.5倍は違う。でも、目の前同士のホテルでお客に便宜を図りっこするというのは、都会のようでいて、世知辛くない、麗しいことだと思った。

この2つのホテルの間の、都会の谷間のような路地も、よく見ると、魅力的な階段状の坂道になっている。空港に向かうタクシーが来るまで、まだ時間があるので、この階段道を上ってみる。てっぺんまで上ると、右側に素敵な彫刻を施したアーチ型の門がある。入ってみたら、学校のようだ。学生に尋ねたら「大学です。法律を勉強しています」と誇らしげな答えが返ってきた。自分の学校に誇りを持っている。彫刻付きの小さな噴水があったり、手入れされたきれいな植物があったり、中庭は大きくないが、環境はすばらしい。前日と違って目映い朝日が、誇らしい学校を、より眩しくみせた。

わずか30分ほどだったが、煌めく朝日の街を歩くと、昨日見た同じ街とは思えない程、綺麗に見えた。同じ街でも、旅人は天候によって、全く違う印象を持ってしまうものなんだな~、と改めて思った。

タクシーでカターニア空港へ向かう。高速道路のカーブをぐる~っと曲がると「あっ、エトナ山!」くっきりと天辺からすそ野まで形が良く見える。「写真!写真!」とカメラを出すと、運転手さんは「空港でもっと良く見えるから大丈夫」と言う。

しかし、空港に着く時間になると、少しの間に太陽の高さが上がって、少し霞んでしまった。それでも山全体の形はわかる。富士山にくらべると、同じ円錐形でもゆるやかで、胸を反らせているように見える。空港入り口でカメラを取り出していたのは、私たちだけでなく、ざっと30人は居たと思う。

空港内に入ると、そんな悠長なことをしている場合ではなかった事が分かった。ローマ行きカウンターにすでに大勢の人が並んでいた。私たちの後ろにも、あっと言う間に大勢の人が行列を作った。

スーツケースを預け、搭乗口ちかくの売店コーナーへ行った。
ここでシチリアともお別れだ。ローマではもう買えないかもしれないシチリアの物を買わなくては~

ここで買った”三つ足”はシチリアまとめの時にアップすることにして、写真は、それ以外のシチリア土産。右手前は、マルサーラの日のモツィア船着き場の塩田博物館で見つけた花柄の小皿(少し深さがあり小鉢かな・・?)6ユーロ。中央の大きめのお皿は、アグリジェントの旧市街のゲーテが宿泊したホテルの看板があった角の焼き物店で買ったマヨルカ焼き(カルタジローネと書いてあるがホンマか~?)15ユーロ。アグリジェントの神殿そばの考古学博物館で買った、いかにも博物館のレプリカのお皿と壺、10ユーロと16ユーロ。 それにカターニア空港で見つけた亀の”箸置き”・・な訳はないが、ちょうど良い大きさなので”箸置き”にしているが、1個9ユーロ。

荷物が少し重くなって来たかな?

グランド・ヴァカンス 其の10 カターニア2

2008-05-13 16:25:33 | Weblog
温かいカモミール・ティを飲み、雨が小降りになって、やっと元気が出てきた。
ベッリーニ劇場前広場から歩き出し、ゆるやかな長い坂を登る。まん中は一方通行の車道で、その両脇に低めの街路樹が植えられ、更にその両脇が階段のゆるい上り坂になっている。歩道は両サイドともアパートメントに面している。その通りは皮製品、糸や布製品、家具などの工房をとく見かけた。2車線の車道の右側は殆ど車が停めてあり、駐車禁止マークはあるが、パーキング化している。車にも、歩行者にも、住民にも観光客にも良い通りだな~、と感心した。

途中の聖母マリア教会を見たりしながら坂を登り切り、大学の中をのぞいて、修道院と教会の方まで行き、ローマ時代の円形競技場跡あたりに来た頃には、傘がいらなくなっていた。アッシジの聖フランチェスコ教会があり、入ってみた。”アッシジの聖フランチェスコ”といえば、リストの名曲だ。私のレパートリーではないが、こういう名前の教会に出会うと、曲に対するイメージも新鮮なものになるかもしれない。

ぐるっと回って散策して、再びドゥオーモ前広場に戻ってきた頃には、晴れ間さえ見えていた。流石、自称”晴れ男”のオジ様と”晴れ女”の私のコンビだ。ドゥオーモを背中に右手を見やると、ブティック街の建物の切れ間に、山が・・。「あれ、エトナ山?」

シチリアの旅の目標は、パレルモ=テアトロ・マッシモとシルヴューとの再会、マルサーラ=カルタゴ遺跡、アグリジェント=ギリシャ遺跡、カターニア=エトナ山・・だったのだ。これで、目標を全部クリアした事にできる・・かな? 標高3326m、形も高さも富士山に近いエトナ山(写真、中上)は、アルプス以南では、イタリアで最も高く、しかも常に噴火している。前回2002年に大噴火があった時にニュースで見て、地理を全く分かっていなかった私はシルヴューにお見舞いのメールを送って、「全然遠いから大丈夫」という返事が来たのだった。この日、ドゥオーモ前から見えた時は、噴煙というより、頂上付近に雲がかかっていたが、雪が残っているのはハッキリと見えた。

夕方になってドゥオーモの扉が開いたので、中に入った。作曲家ベッリーニがここに眠っている、とガイドに書いてあるので探した。大きな柱の一つの根本にあった。天使に導かれて天国に上るベッリーニさんのレリーフと、何のメロディか一寸分からなかったが、大理石の五線譜にメロディがかかれている。Belliniと床の大理石に書かれた下に(写真、左)おいでになるのでしょう。マリア・カラスもお得意だった”清らかな女神よ”は、私も大好きだ。

オジ様は、エトナ山がもっと良く見えるかもしれないベッリーニ公園を目指そうとして下さったが、バスが思った方向へ行かず、公園に着いたと思ったらそこはごく一部分でしかなく、本体はかなり広大だという事が分かり、一応肉眼で見えたので満足する事にして、無線タクシーを呼んでホテルに帰った。

少し休憩して、夕食は「おいしい魚料理の店があるんですよ」と、オジ様が以前にいらした時は入れなかったというお店へ行った。さっき土砂降りの中、バスが着く直前に見た、鉄道の下のアーチ方の高架橋の近くの、Sicilia di Bocca というリストランテだ。入ると、客席より手前に前室があり、細かく砕いた氷の上に、色んな魚が無造作に重なるように置かれている。注文客が「これ!」と指を指して選び、重さを量って値段が決まるらしい。私たちが見慣れた真鯛が何匹かあった。あとは、良く分からない。

奧へ入ると天井がアーチ型になっていて、一番奧の壁はカターニアにまつわるらしき絵で飾られていた。本格的なリストランテだ。タコのマリネ、イカ・エビ・名前のわからない大きめの魚の切り身などの海の幸(写真、中下)、イカスミリゾット、またウニ・スパゲッティ。それに、表にあった魚の中の”マダイ”を注文した。塩竃焼きになって出てきた。(写真、右)その1皿だけで60ユーロ?

お腹いっぱい。大変もったいなかったが、”マダイ”少し、残しました・・。

大雨の時に着いたカターニア。ホテルはやや淋しいし、街は濡れてるせいか汚く見えるし・・だったが、雨が上がって、街が少しわかってくると、それなりに面白くなった。エトナ山が見えたし。
でも部屋は寒く、バスルームのカーテンしかないシャワーは、心許なく、一辺ひねってみたが使わなかった。その水が滴る音は一晩中、続いた。

グランド・ヴァカンス 其の9 カターニアへ

2008-05-13 13:23:38 | Weblog
4/17(木)
朝から、夕方のような曇り空。
8時半に朝食を取る。前日の夕食を取ったピカソ風の絵に囲まれた食堂で、豪華ではないけれど、そこそこ感じの良い朝食。中にアプリコット・ジャムの入った大きなクロワッサン、ソフトサラミ・ソーセージ、チーズ、カップ・ヨーグルト、カフェ・ラテ・・。それに前日気に入った小さい黄色リンゴ。

タクシーが来る時間まで、海岸の方へ散歩に行く。リゾートで訪れる人や優雅な住民向けのレストランやゲーム場、ディスコらしき遊技場などが集中している一帯のようで、道もそこがロータリーになっており、車がどんどん来る。(写真、左)海はライトグリーン。パレルモでも、マルサーラでもアグリジェントでも、この後のカターニアでもそうだが、スプレーによる落書きが多い。この海辺でも、人が少ない時間帯のせいか、フェンスの落書きが目立つ。イタリアは、けっこう放置しているようだ。ローマでも、遺跡や観光スポットには流石に落書きは見られなかったけれど、何気ない通りのウインドウの下壁などに落書きが見られたのは残念なことだ。

この海岸からホテルまでのあたりは、工事中のがらんどうの建物などのせいで、ややスラム街のような印象を受けてしまうが、一軒一軒見ると、オシャレなエクステリアの家がけっこうあった。そんな家や珍しい木の写真など撮ってそろそろチェックアウトの時間。

親切で、英語が得意でサービスの良いサルバトーレさん。(写真、中)「これを持って行けば次のホテルでパスポートを渡さないで済みますよ」と言って、パスポートのコピーを取って渡してくれた。前日の話のワインをプレゼントされ、まさかそんな事があるとは思っていなかったので、ビックリ。スーツケースはすでにしっかりパッキングしてあるので、リュックにワインの瓶を入れた。「アグリジェントにおいでの際は、ぜひまた当、Costazzurra ホテルにどうぞ・・」という感じだった。

10時20分にタクシーが来た。偶然、前日、バス乗り場からドゥオーモまで乗ったタクシーの運転手さんだった。海の男を思わせるような秘めたる逞しさを感じる顔つきの、感じの良い運転手さんだった。また、あのバス乗り場の広場に着いた。11時発のカターニア行きバス。こういう長距離運行のバスは時間どおりに来る。Sais社の2階建てバス。スーツケースを自分でバスのお尻の荷物置き場に入れる。2階席に上がって「荷物を取られたりしないか、見ていないといけません」とオジ様。インドみたいだな~、と思いながら、そういえば昔、フィレンツェに行った時も、行く前に「片時も所持品を手放してはいけない」とさんざん言われて出掛けたんだったな~、と思い出した。

バスは時々、もっと田舎の、アラブ風の雰囲気が漂う街で停車したりしながら、快適に進む。が、次第に雨が降り出した。この旅行で初めての雨だ。とうとう雨が一番激しい時に、カターニアのターミナルに着いてしまった。大粒の雨が降る中を荷物を下ろして、とりあえずすぐ側にあったBar に入り、まずは腹ごしらえ。サンドイッチと中身が何も入っていないパンとレモンティの昼食。ますます激しい雨の中、オジ様は「駅へ行ってタクシーを見つけて来ます」と出ていらした。私は荷物番。昼間っからBar でTVを見ているヒマそうな若者や、「恵んでください」と手を差し出してくるお婆さんが出入りしているBar で、私もTVを見ている振りをしながら、荷物を引き寄せ、オジ様を待つ。

でもじきにタクシーが来て、街なかのホテルに着く。ホテルModerno
今までと同じ三つ星なのだが、ゴミ箱、TVのリモコンの電池、ドライヤー、バスタオル、オシャレさも、余分なコンセントも無いホテル。ただ立地条件は良い。

部屋にいて楽しいホテルではない。雨は降り続いているけど、荷物を置いて、”象”がシンボルのドゥオーモ広場へ。(写真、右)
ドゥオーモは閉まっていて入れない。隣のサンタガタ教会も工事中で足場の下を歩いたり・・。
カターニア生まれのオペラ作曲家ベリーニの、ベリーニ劇場があり、その前が広場になっている。劇場は19世紀建造のクラシカルな建物で、ゲートを立派な彫刻が飾っているのだが、広場はモダンアートの彫刻がぐるっと取り囲んでいる。”考える人”がモザイク柄で覆われているようなスタイルで、なんだか広場にマッチしない・・。その広場に面したカフェに入って雨宿り。{今日は何だかな~}と思いながらハーブティを飲み、クッキーをかじった。しかし、そのカモミール・ティ(ティーバッグだったが)が意外にも美味しく、おまけのクッキーも美味しかった。「意外に美味しいですね」と話していたら、雨は小降りになってきた。

グランド・ヴァカンス 其の8 アグリジェント2

2008-05-11 15:13:23 | Weblog
ギリシャ人の建てた神殿の遺跡群を堪能して、古代エリアから中世、近世の街へと、向かうことにする。好天に恵まれているが、恵まれ過ぎなくらいで、だいぶ消耗されているように見えるオジ様だが、「バスのチケットを買って来ます」とおっしゃるので「どこで売ってるんですか?」とたずねると「シチリアに来て何日になるんですか?」と言われる・・。観光計画から移動手段まで、すべてオンブにダッコの私である。バスのチケットはTの字が書いてあるタバコ屋さんなどで買うんですよ、皆さん。

さて、市街行きのバスはいっこうに来ないので、結局そこにいたタクシーに乗った。この運転手は商売っ気たっぷりで、「日本人のこんな人を乗せた」と名刺を出してみせたり、頼まないのに観光ガイドを言ったり。先ずは、翌日のカターニア行きのバスの情報を得るために、バスターミナルでタクシーを降りた。SAIS社のインフォーメーションへ行くと、若い愛想のないあんちゃんがいる。
11時発カターニア行きのバスがある事が分かった。チケットは「明日でいい」と言う。オジ様は「えっ 大丈夫かなあ? 混んでて買えないなんて事になると大変だからなあ・・」と心配顔。今日は売らないと言うので仕方ない。 そこでこの街のシンボルでもあるドゥオーモへの行き方をそのあんちゃんにたずねると「そこのターミナルから小さい赤いバスが行く」との返事。

歩くと約千メートル、登り坂道だという。今日はすでに充分2万歩を越えている私たち。これは徒歩はキツそうだ。ターミナルでバスを待つ若い女の子に「ドゥオーモ行きのバスはどこから?」と聞くと、親切に友達に電話して聞いてくれたりするのだが、結局地元の人は行かないので分からないらしいのだ。「小さい緑のバスだって」と教えてくれたが緑色のバスも一向に来ない。バス探しで30分位経ってしまい、タクシーで行くことにした。

石畳の坂をガタガタと登っていくタクシー。その時、坂を下ってくるクリーム色のミニバスとすれ違う。「なんだ、赤でも緑でもないじゃない・・」

そしてタクシーはドゥオーモ前広場に到着。丘のてっぺんの、更に高い階段の上に、ノルマン様式のクリーム色の大きな教会が建っている。カップルが階段に座っているが、失礼して階段の上まで上がって行った。大きな扉が閉まっていて、何だか開いていない。そこへ人が工事用の手押し車を押して出て来た。「入れますか?」「いや、工事中だ、ほら」その一瞬だけ、中を覗けたが、灰色の大きな長~い柱が左側に何本か見えた他は、がら~んと何もない。わざわざ人にバス乗り場探しを手伝ってもらって、見つからなくてやっとタクシーで来たのに、これだ!・・という状態だったが、振り返ると丘からの景色はすばらしく、海は見えるし、街や谷が見下ろせる。そろそろ夕方が近い午後の空はこのシチュエーションにふさわしい。

さて気を取り直して、広場に面したホテルやアパートメントの外観をながめて、下の街へ下り始める。ちょうど帰宅するらしいサラリーマン風の若い男性が上の階の窓に投げキッスをして、足取りも軽やかに階段を登り、ドアが開いて、少しだけ中が見えた。はっきり言って、ドゥオーモ前広場にしては小汚い外観のアパートメントだが、中は驚くほど素敵なインテリアがあるようだった。

その印象は、ひとつの先触れだった。下界への道は、幅の狭いゆったりとした階段で、両側に思い思いの建て方をした家々が隣接して連なっている思いの外オシャレな通りだった。玄関口へのステップも様々。小さいデッキチェアを置いたバルコニーがあったり、レースのカーテンが綺麗に掛けられていたり。分厚く古いドアはそのまま使われているようだが、壁はそれぞれバニラアイス色で揃えられ、所々新たに塗り替えられて、扉や雨戸の焦げ茶やオレンジ色がアクセントになっている。歩いていて楽しい家並みだ。所々に藤の花が咲き、人が生活している暖かみの彩りとなっていた。小学生くらいの女の子たちを見つけた。一人は丸顔で、カーラーでくりくりに巻いたウイッグかと思うようなお姉さんヘアだ。

やがて街の中に出た。街全体が大きな丘の上の方なので、見下ろすと海が見え、まだまだ高い所にいるのが分かる。近くの大きめの教会に入ってオルガンの写真を撮ったりした。それから旧市街のブティック通りを散策した。角を曲がった所にゲーテが泊まった宿が有り、角の所に看板が出ていた。オジ様は看板の前で記念撮影。目的を果たす。その角の焼き物のお店で、マヨルカ焼きのお皿を買った。レモンが2個描かれている。カルタジローネ作という事になっている。ホンマか~?

ブティック街を抜けてガリバルディ広場(また出た将軍の名前)のカフェで休憩。植物が上手く配置されて、街の中心として手頃な広場だ。ここのトイレは、カフェの店内の店員さんにカギを借りて通りに面したドアを開ける。さすがに便座付き。 7時頃か・・だいぶん夕方になって来たので、ホテルに戻って夕食を取ることにした。前夜のマルサーラではデリバリーだったので、ホテルに電話をして予約を入れた。

せっかくバス・チケットがあるので、ホテルまでバスで帰る事にする。また、あのターミナルだ。ホテルのある海の方へ行くバスを、屯しているバスの運転手に教えてもらう。写真は、ちょうどその頃の、夕方の気配のターミナル付近。時刻を赤い電光で表示した塔がある。この時刻はほぼ合っているのだが、バスの運行状況は正確ではない。というか、日本のような時間表が・・ない。運転手は「7時40分に来る」というので周辺を一巡りして時間を潰すが、来ない。結局、バスは8時頃に来て、とりあえず乗ったが、発車しない。運転手は携帯でしゃべっている。でも、ホテルの名前を言ったら「大丈夫だ」と言われたので、これに乗って行けば着くだろう・・。

バスはやっと発車。夕闇が降りて来た。坂をどんどん下って市街から離れると、昼間見た神殿(テンプリ)のライトアップが車窓に見える。ヤッタ~ なかなか幻想的な風景だ。その間、バス内では、運転手に向かって、オヤジがグダグダ文句を云っていた。言いがかりかと思ったら、むしろ愚痴を聞いてもらっているようだった。海岸通りに出たようだったので、そろそろホテルは近いかと思ったが、運転手は「まだだ」と言う。仕方なく乗っていたら、気がつくと町はずれ。乗客は私たちだけ。運転手は「待っていろ」と言って、愚痴オヤジと一緒に”パニーネ”の看板の前で降りてしまった。何だこりゃ?

オジ様が降りて、”パニーネ”の中を覗くと、運転手はパンを食べている。「じきに行く」と言っているという。どうやら、運転手は”ご親切に”ホテルまで連れて行ってくれる気だが、その前に腹ごしらえを先にしているようなのだ。「これがイタリアなんです!」とオジ様。

それでも10分ほどだったか、運転手が出て来て運転再開。場末っぽい、街はずれの何もない景色から、少しは洒落た別荘のような建物が見え始め、家が増えて、やがてバス停に停まった。バス停はホテルの真ん前だった。すでに9時近かったが、ホテルに入り、荷物を置いただけでまだ部屋に入っていなかったので、部屋に入り着替えて食堂へ。

食堂には、いっぱい食事客がいた。イタリア語、英語、ドイツ語などが聞こえたようだ。「ウェウカムドリンクと、あとワインを1本プレゼント致しますが、どうされますか?」英語が話せて細やかな気遣いもできるサルバトーレさんを中心に、サービスが感じ良い。ウェルカムドリンクのブドウで作られた甘いリキュールをアペリティフに頂き、プレゼントのワインは、まあ後で・・と思っていたら翌日チェックアウトの時にちゃんと覚えていて持たせてくれた。

料理は正式なコース料理をきちんと用意してあって、アンティパスタ、第1の皿、第2の皿、デザート、コーヒー・・と説明をしながら注文を取っていく。揚げたイワシのマリネ、トマトサラダ、レモン添え茹でたほうれん草、茹でたレタス、蝶々型パスタ、ペンネ・トマトソースを取って分け合いながら食べた他に、メインディッシュの牛ソテー。お肉は頂いたが、ほうれん草は食べきれなかった。どれもやや甘めの味付けだが美味しかった。デザートに黄色い小リンゴを自分で剥いて食べた。これは美味しかった。気がつくとスタートが遅かった私たちの他に、あと1テーブル残っているだけだった。食堂の人も帰りたいだろう、と思ったら、「コーヒーはあちらでどうぞ」とロビーのソファに運んでくれた。この旅行中で最も心のこもったサービスをするホテルだった。

ピカソ風の抽象画で飾られた食堂。アラブ系の血がゼロではないだろうな~と思われる肌の色の従業員たち。外国人観光客を意識したサービス。昼間見て歩いたギリシャ様式の遺跡、アグリジェントの旧市街・・。う~ん、異国だなあ。異国を訪れている異邦人なんだなあ・・と、アフリカ風味の(ような気がする)コーヒーをすすりながら、しみじみ想った。

Jazzつながりの一週間

2008-05-10 15:08:29 | Weblog
ゴールデンウィークの最終日が火曜日だったせいか、今週はやけに短かったような気がしますね・・。
4日に、横浜インターナショナル・スクールへ、デキシーを見に行った記事は前回書いたとおり。
5日は、パーティの仕事で、ピアノ五重奏、フレンチ・ミュージック・バンド(ヴァイオリン、アコーデオン、ギター)ジャズ・カルテット、それにゴスペル歌手とのコラボレーション、というイベント。
6日は、新宿三丁目の銅鑼でJazzライブ出演
7日は、来日中のJazzピアニストと個人的懇親会
8日は、毎月お邪魔している”東京道産酒の会”で尊敬するJazzメンとの共演

・・と毎日Jazzつながりの一週間でした。

5日のコラボレーション・イベントでは、それぞれのグループが演奏した後で、1つの曲を全員で演奏する企画で、それぞれの特徴を出しながら、最後は全員で盛り上がる~・・を目標に私が編曲を担当。出来たスコアからパート譜を作り、パート譜をスキャナーで読み込んでJPEGファイルにして事務所へメールで送る、という作業が予め必要でした。そのスキャナーのフタを久しぶりに開けたら・・なんと、このひと月ほどずっと探していた、タンゴの譜面が出て来たのです

ビックリしたなーもう(これって超~古いですか?

私が使っている3つの部屋の、考えられる場所を全部探したつもりでいたのですが、見つからないでいたのです。「これはあとでコピーして送るモノだから、ちゃんとよけておこう」と思ったところまでは覚えていたのに、大事にしようとして、かえって無くす、困ったパターンです。ま、とにかく見つかって、コピーして待たせていた先方に遅くなった詫びのメールをして送り、一件落着。

おとといは、北海道に縁のある飲兵衛名士の集い”東京道産酒の会”で、北海道産のご馳走を頂きながら、お囃子役をやらせて頂きました。今回は、メニューに烏賊が多く入っていましたが、特に印象に残ったのが、乾き物のイカ墨風味の黒っぽいアタリメ。今回のゲスト、有楽町の交通会館内の”どさんこプラザ”に売っていそうなので、いつか探してみたいほどです。

演奏はトランペットの下間哲さん(写真右)、チューバの加藤人さん(左)と三人で。この編成では初めてでした。横に細長い会場なので、向こうの奧の方まで聞こえているのかどうか、よく分からないのですが、一番聞こえにくいように思われるチューバが、実は、遠くで一番聞こえるんだという事が、横浜インターナショナル・スクールの時によく分かったので、さほど遠慮せずに弾いてしまいました。

考えてみると、このお二人との出会いもほぼ10年前。あの当時は、まさかこんな共演をお願いする日が来ようとは、想像できませんでした。でも、やればやる程、上達したくなる・・。 チャレンジはまだまだ続く

フードフェア

2008-05-07 00:26:51 | Weblog
旅行記はちょっとお休みして、横浜インターナショナル・スクールのフードフェアの事を書こうと思う。

元々、横浜の最も横浜らしい場所の”港の見える丘公園”
今でこそ、こういう類の名前の付け方はしょっちゅう見かけるけれど、詩的な命名としては先駆的な場所だ。みなとみらい地区が出来てからも、観光客は絶えない。久しぶりで行ったら、市営地下鉄の元町・中華街駅ができて、以前より便利になっていた。

その隣のイギリス館の向かいに横浜インターナショナル・スクールがある。”フードフェア、誰でも歓迎”と壁に掲げられている。入るのは初めてだ。「ボクと加藤人以外、全員外人だよ」というジャズ・ギターの阿部寛さんからの連絡を受けて、どんな感じか見てみたいと思って行ったのだ。
建物の階段を下りて向こう側が校庭になっている。子供、大人、色んな国籍の人がいっぱいいる。校庭の左右にテントが連なり、アメリカ、オランダ、ブラジル、インド、メキシコ、韓国などのドリンク、お料理、スイーツ、オモチャなど色々売っていて、人気のあるテントは行列が出来ている。その校庭の一番奥にテント付きステージがあり、デキシーをやっていた。

トランペットのマイク・プライスさんはもう日本に長いようだが、かつてはスタン・ケントン楽団で1番を吹いていた、と経歴にあるので、あの超ハイトーン(3点イ!)を出していたのだろうか クラリネットのピーターさんは横須賀の方の大学の先生だそうだ。ドラムはこの学校の先生。トロンボーンの方はお話しなかったので分からない。そこに、阿部さんはバンジョー、加藤人さんはチューバで参加している。

とにかく、デキシーの愉しさを身体で知っている人たちによる、軽やかでスマートなデキシーミュージックだった。これ見よがしの衒いは無く、でも節度が有る。ステージでの時間が終わると、ドラムは除いて、移動できる楽器の面々は演奏しながら退場する。その次の本番は、校内のあちこちのコーナーで移動しながらの演奏。写真はその中のひとつ。建物を挟んで校庭とは反対側のジャパニーズ・フード・コーナー横のステージ。通行人が横切ったりもするのだが、必ず演奏に惹かれて立ち止まり拍手をする人がいる。演奏する側も、演奏がある環境を作る側も、もちろん聴く側も、皆がマナーを弁えている。これが”文化”だな~、と思った。こういう催しを通して、この”文化”は次の世代に伝えられるのだろう・・と思うと、このデキシー・バンドがなんだかアカデミックなバンドのように見えてきた。

校舎内もかなり開放していて、子供向けのオモチャ、布製品、小物を売るコーナー、あと、どの本も10円で売っているコーナーもあり、カール・セイガンの最後の本を10円で買った。学園祭のような感じが懐かしかった。ゴミを分別して、捨てると言うより片づけるコーナーが至るところにあり、大勢の人でごった返している割りには汚くない。マナーが良いのだろう。「ワタガシあります」と看板を持って子供達を勧誘して回っているのもここの先生らしい。裏庭ではつい立ての穴から顔を出したお兄さんの顔に、水をいっぱい含んだスポンジを投げつける事ができる回数券を持った子供たちが行列を作っていた。ぶつけられる方も高校生くらいだから、楽しそうにぶつけられている。とても健全な”大騒ぎ”だ。

ミュージシャンが控え室に使っていた音楽室は、ラジオ放送局のスタジオのようなブースと、グランドピアノと沢山のエレピが置かれている部屋とで出来ていた。インターヴァル中に、マイクさん達に紹介され、阿部さんが「何か弾いてみせたら?」というので、バンブルビー・ラグとタンゴを一寸だけ披露したら、「この後、参加しませんか?」とマイクさんに言われ、中央テントのステージへ付いて行った。ヘビメタ・バンドが終わり、プレゼントくじを買った人の当選者発表でドラムロールとファンファーレをデキシーバンドが受け持った。それにエレピで参加し、続いてデキシーの曲が始まった。何曲か曲目を選んであったのだが、時間が押していてじきにデキシーバンドは退場となり、ドラムとエレピ以外の楽器が移動を始めた。「やると言ってたのにゴメンね」とメンバーに言われ、私もあとを追って退場した。もう一寸やりたかったけど「一緒に」と声をかけて頂いただけでも嬉しかった。

長年、横浜市民でいるけれど、全然知らなかったインターナショナル・スクール。帰宅してホームページを見たら、高校生の学費、年間で二百二十万円