室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

春日町の記憶

2008-10-31 18:16:53 | Weblog
文京区、春日町交差点。
近くでミーティングがあっての帰り道。横断歩道で一瞬止まり、後楽園を背にして、白山方向を写しました。

この界隈で私の人生は始まりました。生まれた病院は新宿ですけどね・・。
4歳になってすぐ引っ越ししたので、記憶はかなりカスカチョウ・・(すみません、笑って下さい)何十年も経っているので、記憶に残っていたとしても、ずいぶん変わっているので、自分が住んでいた実感はうすいのですが、それでも何か感じる。それが、何なのかな~、とずっと考えています。

高校3年の終わり頃に、アテネ・フランセの帰り道、御茶ノ水駅ホームから丸の内線の赤い車両見て、何だか分からない懐かしさを感じた事がありました。よく考えてみたら、春日町に住んでいた時のかすかな記憶に思い至りました。「そーか、これが懐かしいということか・・」と初めて思ったのでした。

その次に、大学生の頃、上野広小路の大きな交差点で横断歩道を歩きながら「知っている感覚」に出会いました。田舎と言っても過言ではない景色の中に住んでいるので、都会の景色の方が私にとっての”ふるさと”なのです。記憶喪失者な訳ではないけれど、記憶の根っこから繊維がほぐれてばらばら出て来るような感じに驚いたものです。

でもこれらは、ノスタルジーとは違う感じがします。4歳までの自分に特に投げかける気持ちは無いからです。

2~3年前に、久しぶりに御茶ノ水の周辺を歩いていて、アテネフランセ方向への道にさしかかった時に、高校時代から大学時代の自分を思い出して「あの頃は、現在の自分を想像もできなかったなー。いずれにしても大した者にはなっていないが・・」と思って、なかば切なく、なかば自嘲気味に感じたのはノスタルジーでした。

記憶の構造ってどうなってるのでしょうね?

一番最初の記憶は、この春日町(真砂町とも呼んでいた)のアパートで、「だってこの子がご飯食べないんですもの」と言って台所の布巾で、母が涙を拭いている場面でしたが、それも、何度か思い出しているうちに、思い出すトレーニングのようになってしまって、今では、本当に覚えているのかどうか怪しくなってしまいました。

春日町で白山通りを歩きながら、「この道だったかしら?」「こっちだったのかしら?」と小路を覗いて、いずれにしても変わってしまっているんだろうけど、でも、記憶の倉庫の床下収納庫を開けたような、不思議な、妙に惹かれる感覚が残りました。

この写真の右奧の一角に、アパートがあった筈なんですけどねー。

機会があったら突き止めてみたいと思ったりするんですが、なかなか・・。でも、行き当たって、古いアルバムに貼ってある、ちっちゃい女の子がそこに居たりしたら、コワイかもねー。”うる星やつら”の読み過ぎかな・・?

マグロ・パーティ

2008-10-29 16:10:45 | Weblog
昨日は、愉しい一日でありました。

仲良くして下さるジャズ・ヴォーカルの中西美樹子さんが、湘南から横浜市にお引っ越しされて、そのお披露目のマグロ・パーティを開いて下さいました。日本一のSPコレクターの瀬谷さん、ジャズ・ギタリストの阿部さんと、三人で伺いました。本マグロの塊をご主人が、上手に、分厚く切って、綺麗に真っ白いお皿に盛りつけて下さいました。

お醤油とわさびを付けて厚切り本マグロをほおばると、舌に少し吸い付いて、わさび醤油とのハーモニーが広がり、「う~ん、これだこれだ!日本人に生まれて良かった」状態の幸福感に浸ります。今頭が思い出して、また舌も思い出す・・。

食べきれない程の本マグロに続いて、アスパラの豚肉巻き、クリームチーズ浅葱おかか盛り、温野菜盛り合わせ、水菜と柿のサラダ、鶏トマトオニオン・ソテーなど、様々な美味しいものが次々と登場し、お酒の方も、エビスビールで乾杯後、日本酒が八海山、霞筑波、真澄、ワインも白、赤何本も・・、あとはもう良くわからなかったけれど、とにかくシコタマ出ていました。私は、日本酒の頃、おしゃれなグラスでお味見させて頂いていましたが、じきについて行けなくなり、真澄の入ったお猪口1杯を飲み干すのがやっと。でも、ご飯&赤出汁の後のシェリー酒は、またお付き合いしてましたねー。

実は、寝不足のせいか、朝から軽い頭痛がしていたのに、全然治っていましたー。良いお酒だったせいでしょうね~。

中西美樹子さんのお父様は、角田孝さんという日本のジャズ・ギタリストの草分けとして歴史にお名前を残していらっしゃる方で、貴重な戦前、戦中の当時の演奏シーンのお写真がいっぱい有り、以前から、コレクターで研究家の瀬谷徹さんも興味を持っていらっしゃいました。角田さんご自身が90代になられてから整理なさったというアルバムを見られるのを楽しみにいらして、何枚かアルバムの写真を写真に撮られ、ご自身のホームページに早速リポートを載せていらっしゃいます。リンクの許可をお願いしたところ、OKして下さいましたので、興味のある方はどうぞ。
http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~jazzsp/Guitar/Guitar3.htm

11/15に、新宿トラッド・ジャズ・フェスティバル内で、昨年の”角田孝100年記念”に続いて、ギタリストの阿部寛さんを中心に、”ローリング20'オーケストラ”という演目をやらせて頂く事になっている(15:50~16:30、Brutにて)のですが、中西美樹子さんもヴォーカルで参加して下さることになっています。

このマグロ・パーティで、「曲目を決めましょう」という事になっていたので、「これが良いかな、と思っていたんだけど・・」と中西さんがピアノの弾き語りを始め、それに角田孝さんのギターを持って阿部さんが合わせ、バースを歌い終わると「続きは代わって」と言われて私がピアノの前に座り・・という具合で、5~6曲は演ったかなー。

「20's の雰囲気でやるので、もう少し速めのテンポで・・」などと、テンポを変えてやったり、伴奏しながらアドリブも取り合ったり、とにかくこれがとても愉しかったです。

仕事ではなく、自分たちがその場を愉しむ為だけに、共通語でしゃべり合うというセッションです。「これも良い曲よね~」「これも好きなのよ」「良い曲いっぱい有りますねー」次々と演って、演り過ぎて、結局、曲は絞りきれずに終わりました。

気がつくと、なんと5時間半 
呑んで、食べて、歌って、弾いて、しゃべって、笑って、また喉が渇いて・・。仕事と関係なく、ここまで手放しで愉しい事って、本当に珍しいことです。

こんなに愉しい想いをさせて下さった中西さんご夫妻に、感謝と尊敬の念でいっぱいです。

風のコンサート・3

2008-10-28 12:28:14 | Weblog
蓮田のハンディキャップの”仲間”の作業所でのチャリティ・コンサートへ行きました。

今年は、東京室内管弦楽団でご一緒のビオラ奏者の神田幸彦さんとのデュオ・コンサートです。神田さんとは、東室にお世話になり出して以来の長いお付き合いですが、今まであまり個人的にお話をする機会が無かったのですが、意外にも音楽的に気が合い、どうしたいか、どうしたくなっちゃうかが解って、楽しく演奏できました。

それと、神田さんも保育園や学童保育での楽器の指導の仕事の中で、ハンディキャップの方たちとの交流の経験が豊富で、彼等の実情も、彼等のすばらしさも体験しているので、暖かい雰囲気で、楽しいコンサートとなりました。

先ずは、バイオリンとピアノで、バイオリンの名曲を数曲演奏して、弦楽器についてのお話をし、ピアノの独奏をはさんで、ビオラとバイオリンの違いをご紹介して、ビオラに興味を持って頂くという段取りです。

単に、バイオリンより一回り大きい楽器・・・というだけでなく、弓の長さはバイオリンのものより1センチ位短く、少し太く、音域が5度(ピアノで言うと指5本分)低くなること。オーケストラの中では、表の旋律を弾くというより、風や、波などの風景になる音を出す役割が多いこと、などをお話して、ビオラ特有の、落ち着いた暖かみのある響きをじっくり味わって頂きました。

演奏後の皆さんの感想では、「ビオラの音質が好きになりました」と「神田さんの笑顔が最高です」が半々でした。そうおっしゃる皆さんの笑顔も素敵でした。

この日で、この作業所の同じピアノを弾くのは3回目でしたが、今までの印象と違って、ツヤのある丸い、豊かな響きがしたので、驚きました。急にウデが上がった? いやいや、恐らく、気温や湿度の状態がちょうど良かったのと、天井から四方八方に垂らしてあった自家製の布を取り外して下さったせいでしょう。

ところで、その後に、西荻窪のミントンハウスのピアノを飛び入りで弾いた時にも、以前より一寸だけ良い低音の響きを感じたのですが、まさか”ウデ”というより”体重”? あわててヘルスメーターに乗ってみましたが、ん~、数字的には変わってないか。表面には分からない”何か”が蓄積? キャ~

三鷹でタンゴLIVE

2008-10-19 12:47:39 | Weblog
”武蔵野タンゴを聴く会”主催『タンギッシモ・ライブ・コンサート』クラビノーバをプリウスで運搬して伺いました。去年は無理矢理調律して下さった現場のアプライト・ピアノを弾いたし、その前はコミセンで骨董品ピアノを弾いたし、井の頭通りに入いり損なって迷子になったのは一昨年でしたか・・。今回は地図をよく予習して行ったのでバッチリ。予定より30分早く着きました。

写真は、本番が始まる少し前、客席の皆さんを撮らせて頂きました。
エレピ、バンドネオン譜が乗った譜面台も写っています。会場は、三鷹のパブで、カラオケ用の大きな液晶モニターが壁にかかリ、その下のステージは使われないアプライト・ピアノが置いてありますが、バンドネオンとエレピとがなんとか乗る広さ。客席は左右にソファが広がっていて、上手寄りの一部の方は、ステージが見にくいようです。でも、どんな会場でも、喜んで聴いて下さる方がいらしたら、タンゴやらせて頂きますよ。

主宰者で司会進行の渡邊士郎さんから「岡本さんが一番お好きなバンドネオン奏者は、リベルテーラーなのでは?」と質問をされて、我がバンマス、岡本昭さんは「リベルテーラーもいいんだけれど、私が一番尊敬しているのは、何と云ってもトロイロです。トロイロは、他の人には無い”神秘的”な響きというものがありました。そして、日本でそれに近い雰囲気を持っていたのが前田照光さんです」と答えていらっしゃいました。

本番後の打ち上げティータイムにバンマスの姿は無く、足柄山へとっととお帰りになってしまいましたが、話題にその続きの話が出ました。昭和30年代のタンゴ・ブーム当時、誰が”日本一”だったか?

当時、数多くあるタンゴ・バンドの中でトップバンドとして一世を風靡した”早川真平とオルケスタ・ティピカ東京に所属したトップ・プレイヤーの中で、岡本さんはいつも「前田さんが最高だった」とおっしゃるのを何回も聞いたことがありますが、渡邊さんのお話では「前田さんに聞くと、『ポンちゃん(岡本さんのニックネーム)が一番だったね』と言われるんですよね」

なんて麗しいお話でしょう!

「一番、指がよくまわって技術的に優れていたのが岡本さんで、前田さんはアルゼンチン・タンゴを良く理解していて、歌わせるのが一番上手いと言われていたようですね」と渡邊さんの談。

岡本さんは、その前田さんから「色々学んだ」こともあり、それも含めて、今日ご一緒させて頂いて感じる”ありがたみエキス”になっているのだろうと思います。

70代になった時に、そんなエキスのある人間でいられるだろうか・・と考えると、もう遅いか?
 せめて少しは、人を喜ばせられる存在でいたいが・・。

人の心と秋の空・・

2008-10-15 17:45:00 | Weblog
昔から「女心と秋の空」とか、対抗して「男心と秋の空」とか、よく言われるものですが、どちらにしても「秋晴れは続かない」という事で、ヒトの移ろいやすい気持ちと掛けて言われるんですねえ。因みに、私はそんなに気が変わらない方だと、自分では思いますが・・。

けっこう貴重な秋晴れの日に、大船のフラワーセンターへ行きました。
今の見頃は、バラと箒みたいなパンパスグラス(パンパースでは無い
暑くもなく、寒くもなく、心地よいそよ風が吹いていました。バラは今月下旬までは見頃だそうです。

本格的に秋になって、色んな本番に向けての準備があります。打ち合わせ。連絡。リハーサル。編曲。作曲。そして自己練習・・。

ピアノが無い場所に呼ばれた時に運搬するクラビノーバですが、何と云っても重たい。約20kg。ファイテンのブレスレット、ネック用を付けて頑張っておりますが、友人からも「もっと軽いのも出てるであろうー」と言われ、見に行ってみました。

カシオのエレピ。ピッチの調節もでき、なんとジェネラル・ミディも入っていてチェレスタの音も出せて、11kg。ソフトケースに入れてもケースが破れない重さ。いいね~。しかし、肝心なピアノの音が、どーも、残念ながらチャチな響き。下支えの無い、しかも一寸ノイジー。残念ですな~。

一方ヤマハの今のクラビノーバも、店員さんの話によると、私の持っているタイプの方が大きい分、スピーカーが大きいので、響きが良いとのこと。 ん~、響き、音質を考えると、重たいのも仕方ないということ・・?

今度の土曜日、またクラビ君20kgをプリ号で運搬ですなー。まっ、良いでしょう、音が良いほうが・・。

三鷹のパブ、サンライズで14:00 から”岡本昭とタンギッシモ2” 
”2”とは、2人っていう意味だと思います。もしもまだ今から入場ご希望の方は、武蔵野タンゴを聴く会へご連絡ください。siro1939@parkcity.ne.jp 

むらさき花だいこん

2008-10-04 17:16:44 | Weblog
もう先週のことだが、北区の西ヶ原地区の『9条の会』発足イベントにお呼ばれして、エレピ持参で行った。

シャンソンを歌われる女優さんの大橋芳枝さんの伴奏と、戦争と平和にまつわる朗読の即興BGMをお引き受けした。

大橋芳枝さんは、お仲間と戦争と平和をテーマにした朗読の公演で全国を廻る活動をしていらっしゃる方で、心に響く力強い声で、広島と長崎の被爆直後の生々しい情景の作品を読まれた。合間に反戦系のシャンソンをチャーミングな声で歌われた。

メインの出し物として、大門高子(おおかど)さんの絵本「むらさき花だいこん」の朗読があった。大門さんは、大橋さんのお宅の背中合わせに位置するお家にお住まいの、こども文化や表現活動の研究家で、作詞や脚本、こういった絵本の作家でもある。

朗読中に、ブラックライト・シアターという蛍光塗料で描かれた絵を場面に合わせて手で転換するイメージ表現も行われ、文字通り手作りのステージとなった。皆さんの、平和を願い、それを広めたいという強い思いが分かる。

私はたまたま「戦後は終わった」と言われた時代に生まれたけれど、もし戦前、戦中に生まれていれば、イヤでも戦争に巻き込まれずにはいられなかった筈だ。言いたい事も言えず、やりたい事もできず、自由は許されない、毎日知っている人が死んで行き、自分も死と隣り合わせの緊張の中という生活だ。

現在の平和は、戦争による多くの犠牲の上にある。つらい体験をされた方達の「過ちは繰り返さないで」という声を、戦争を知らない世代は、代々学んで、次の世代へ伝えて行かなければいけない。歴史に何も学ぶこと無く、ただムードに流されていたのでは、ただの愚か者でしょう?

世界中の人と知り合いになって、「あんたは良い人だ。日本人は平和主義だ。だからあんたの国とは戦わないよ」と言われる国でいる事の方を選ぶべきじゃない?

この日の客席を見ると60代、70代が中心で、小さいお孫さん連れのご一家がちらりほらり。学校教育、家庭教育の中で、戦争と平和の問題が話題としてあるべき形で充分には語られていないのは明らかだ。この集会がさざ波を広げて、世代を越える当たり前のうねりとならないかなー。