室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

グランド・ヴァカンス 其の7 アグリジェント遺跡

2008-05-04 22:37:11 | Weblog
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寝るのがもったいないホテルで、朝もつい早く目が覚めて、朝焼けの景色を楽しみ、リゾート・ホテルのオシャレな朝食を楽しんだ。黄色いテーブルクロスに、大きなひまわりのアレンジ・フラワーが素敵に飾られ、周りに様々な、コンフィチュールやサンドウィッチ、シリアル、ヨーグルト、ハムやチーズ、ドリンク類が並んでいる。キュウリとトマトのあいのこみたいな野菜とモツァレラチーズとハムのゴマパンサンドが、感動的に美味しかった。非常食用に、1個ナプキンにくるんで頂いておいたが、とうとう食べる機会がなかった。

9時半に予約しておいたタクシーは、ドミンゴさんの弟の寡黙なエウジーニョさんが来て、アグリジェントまでの2時間、運転した。良い天気の中、高速道路を快適に行くフィアット。途中、オリーブ畑や風力発電の風車、草原の丘の中の一軒家など、写真を撮りまくる。

Agrigento アグリジェントは、ギリシャ人の遺跡で有名な街。道路からパルテノン神殿のようなテンプリが見え始めて興奮する。

車はそのまま坂を下って、やがてホテルCostazzurra コスタッツーラに着いた。グレイの壁に赤いアクセントの縁取りがついたモダンなデザインだ。目の前が廃墟のような、がらんどうの駐車場のような建物だが、ホテルそのものは感じ悪くない。フロントはむしろ親切で感じ良かった。まだチェックインには早い時間だったが、荷物は部屋に入れておいてくれる事になって、待たせてあるエウジーニョさんのタクシーで、とにかく遺跡エリアの中の考古学博物館へ行った。オジ様は、約束の150ユーロに10ユーロ足して、「マルサーラまで気をつけて」と言ってタクシーを帰した。

ここは世界遺産にもなっているシチリアを代表する国際的な遺跡とあって、博物館の売店も英語、仏語、独語もしゃべれる女の人が応対していた。パスネットみたいなプラスティックの差し込み式カードが遺跡の共通券になっている。

紀元前5世紀に、カルタゴ人によって滅ぼされたギリシャ人たちの、辛うじて遺った遺物が展示されている。外からはギリシャ人の円形野外集会場や、初期の教会の跡の建物が目につくだけだが、博物館の中に入ってみると、意外なほど大きく、しかも結構明るい。社会科の教科書や音楽史の資料に必ず載っているような、戦闘シーンや楽器を演奏するデザインの大きい壺、石像、杯、石棺など、マルサーラでも見た展示品と共通点もあるし、よりギリシャ色が濃くもある。

しかしここの一番の目玉は、テラモーネと呼ばれる、ドーリア式神殿の柱に付けられていた、屋根を支える人物像で、遺跡の中に横たわっていた物を、一体、博物館の大広間の壁に復元して掛けられている。とにかく大きい。他にも、頭部だけ3つ壁に掛けてあった。

考古学博物館は、見晴らしの良い丘にあるため、神殿があっちにも、こっちにも、と良く見える。神殿に向かって坂を歩いて下る。観光バスがひっきりなしに通る。ほどなく、テンプリ見学の拠点となるバスターミナルに着く。お土産店も兼ねたレストランがある。インフォーメーション小屋は、なぜか窓が閉まっているが、バス券を売っている店は開いている。レストランでピザとサラダを食べる。バナナシェイクを注文したが、冷たいのはカップだけだった。観光客でごった返していたが、次第に人が減り、ピザが来た頃はだいぶ静かになった。国際観光スポットのせいか、レストランのレベルにしてはトイレはちゃんとしていた。・・つまり便座があった。

さあ、いよいよ神殿(テンピ)に向かう。先程の共通カードを器械に差し込んで、地下鉄の3本遮断機のようなゲートを入る。テンプリ(テンピの複数形?)は3つ、約1キロに渡って並んでいる。先ず、ゆるやかな坂を上って、真ん中のコンコルディア神殿を目指す。写真のとおりの(って、かなり小さくて何だかわからないでしょうが・・)ギリシャのパルテノン神殿のような型(ドーリア式スタイル)としては、ギリシャの遺跡も含めて、保存状態が最も良い部類に入るそうだ。ギリシャは行った事がないので、比較できないけれど、間違いなく、かつて此処にギリシャ人が居た証拠だという、悠久の時間を実感できるような感動をして、また目を転じると谷の向こうの丘に現代(と言っても日本の物とは全く違う)のヨーロッパらしい家々、教会などの折り重なるような町並みの景色に妙な調和を感じて、それにも心奪われ、何よりも上天気の爽やかさに特上の心地良さで、ハイテンションにならずにいられない

コンコルディア神殿にたどり着くと、まだその先、更にゆるやかに上った先に、コンコルディアよりは崩れているジュノーネ神殿が見える。「元気だったら、ジュノーネまで行きましょう」と予めオジ様と話して歩き始めていたが、ここまで来てあそこまで行かない手は無い。途中、黄色い花、ケシの黄色や赤の花、濃いピンクの花などを愛でつつ、フランス人観光客、ドイツ人観光客、日本人観光客、それにイタリア人の小学生の遠足など、ガイド付きの集団の声に耳を傾けてみたりしながら、登って行く。一度、風で帽子がひらりと飛んでしまい、あわてて拾いに行くところをイタリア人の小学生たちに笑われた・・というより、妙にウケた。

生け贄を捧げたと言われる、一番奧で高台にあるジュノー神殿に着くと、ドイツ人観光客の一団が、最も奧の崩れて並んでいる石の上に、階段教室のように座って、ガイドさんの話を聞いていた。奥まっているのと、その他の遺跡もみな見下ろせる高台であるのと、更に生け贄を捧げたという伝承のせいか、なんとなく、観光気分だけではいられないような気がする場所だ。しかしとにかく見晴らしが良い。

コンコルディアとジュノー神殿の間には、アルコンソリウムという、天然の岩壁のようにも見える部分と、明らかに人の手によって築かれたと分かる部分から成る城壁があって、一部は墓地にもなっていた遺跡がある。こんな絶壁の上の城壁を築いていたのに、カルタゴ人に滅ぼされてしまったのでしょう? そしてそのカルタゴ人もローマ人に滅ぼされ・・その後も、ノルマン人やオスマントルコに支配され・・ずっと戦いの歴史だ。ヨーロッパは、20世紀おしまいになってやっとEU統合に至った。25世紀もかかって得た平和だ。でも、それもアメリカやロシア、アジアなどに対抗する勢力として固まろうとする、仮想の敵を見据えての仲間意識だ。それで現在はユーロが高くなり、成功していると云えるだろう。お陰で日本人はビンボ~だ。

・・とここまでは考えなかったけれど、人類の戦いの歴史を思うと、やはり現代に生まれてよかったなあとつくづく思いながら、Uターン。また坂を下って、再びコンコルディア神殿の横を通って、この神殿群(テンプリ)の入り口に近いヘラクレス神殿へ向かう。この神殿は、柱しか残っていない。前日にモツィアの遺跡の島に胸像のあったハードキャッスル卿が、このアグリジェント一帯の発掘をして、この柱を復元した漆喰の跡が見られる。ここは、自由に柱の間を歩き回ることが出来る。昔のNHKの番組”未来への遺産”の主人公になったつもりで、巨大なプリーツ状の柱の前で写真を撮る。

博物館で買ったアグリジェント遺跡のガイドによると、この付近の発掘は18世紀から始まっていたが、ここの神殿は1920年代に始まり、考古学美観公園として公団が設立されたのは2001年のことだそうだ。保護するべき所は保護し、開放できる部分は開放することで親近感と学術的研究部分とのバランスを上手く取っていると思った。イタリアに作り物のテーマパークは要らないのだ。

すっかり遺跡の空気と土埃を浴びて、タクシーでアグリジェントの旧市街へ行った。

グランド・ヴァカンス 其の6 マルサーラ2

2008-05-01 13:11:16 | Weblog
パレルモから西南西へ約200km。マルサーラという名前は、ピアノのコンクールで聞いたことがあるけれど、あまり日本人観光客の行かないような街。そこへわざわざ行ったのは、カルタゴの遺跡が見られるというからだ。

ゾウでアルプス越えをしてローマへ遠征した事で有名なハンニバルの国、カルタゴは、現在のチュニジアにあったが、ハンニバルの時代の後、しばらくローマと友好関係にあったのに、逆らって反感を買い、ローマに徹底的に破壊され、最後は塩を撒かれて滅ぼされた・・と塩野七生さんの「ローマ人の物語」で読んだ。シチリアは、ギリシャの植民地だったのが、カルタゴに征服されたり、ローマ人に征服されたり、ノルマン人が来たり、オスマン・トルコの物になったり、またヨーロッパ人が取り返して、ドイツになったり、スペインになったり・・有史以来、ずっと戦場であり、その中で、埋もれていって遺った物が、今日遺跡として観光資源になっている。

カルタゴ時代の遺跡の発掘現場が見られるモツィアの島へ行く為に、ドミンゴさんの運転するタクシーで船着き場へ向かう。ホテル、ヴィラ・ファヴォリータから10分程で、塩田と赤い風車小屋と、小さい舟が通る水路が見えてくる。畑のように海が四角く囲われている部分が赤い。ここで塩が出来るのだ。風車を使って製品にしているらしい。船着き場に着いて、ドミンゴさんにまた帰りの予約をして、舟に乗る。

このブログは一度に一枚の写真しかアップ出来ないので、プリントした写真3枚をまとめて携帯で写してアップしてます。その中の左側がその船着き場で、風車と水路も写ってるんですけどねえ・・。

取れた塩をこんもり山にして瓦をウロコのように被せた物が、水路沿いにいくつか並び、舟に乗る人の目を楽しませる。舟はのんびりと水路を進む。水路は次第に右へカーブして海に出る。遠くの左の方に要塞のような灯台らしき物が見える。あの先はきっと外海なのだろう。こちらは水深が浅く、座礁しないように棒くいの指示どおりに、相変わらずのんびり進んでいる。爽やかな風が心地よい。あとで分かった事だが、発掘当初は、馬で島に渡っていたようだ。

正面の島に上陸する。入場券を土産物店で買い、巨大なアロエの坂道を上り検札小屋で券を見せると、遺跡からの出土品を展示する博物館のお庭が広がっている。パームトゥリー等のほかに、ソテツ、サボテン、見知らぬ珍しい木、ベゴニアや赤紫の小さいガーベラのような花。その中央に、この一帯の遺跡を発掘したハードキャスル卿の胸像がある。

いよいよ展示館に入る。まずは一番の”お宝”らしい、大理石の青年像が優美に出迎えてくれる。それが、写真右側の像。ギリシャ人の作だろう。その奧の陳列棚には、ギリシャ風、アフリカ風の彫刻、壺、食器、武器、ランプ、装飾品、お面、建造物の一部など、様々な物が展示されている。地方の研究室らしい、おっとりとした明るい雰囲気の博物館だ。写真真ん中のひょうきんなお面は、アフリカ系の味わいだ。ここのシンボルの一つにもなっている。カルタゴ人は、これで楽しんでいたのだろうな~。

続いて発掘現場を展示する小屋を見る。青森の三内丸山遺跡をちょっと思い出した。でも、あそこはヘンテコな古代人のキャラクターなんぞ作って、イヤだったな~。なんであんな事を日本のテーマパークはするのかな・・? だいたいテーマパークという考え方からして、人間の純粋な好奇心を商品化する浅ましさがあるな~。イタリアにしろ、フランスにしろ、ポルトガルにしろ、ヘンテコなキャラクターなんて見ないし、必要としていない。ストーリーのある星の王子様や、ムーミンなどは違和感がないけれど、遺跡のテーマパークで作ったキャラクターは、単に遺跡の展示の仕方の価値を下げる役にしか立たないと思うけどな~。

・・なんて事を思い出しながら、外に出て、サボテンに囲まれた道を、海を目指すつもりで歩き出したが、サボテン・エリアを抜け出しても海岸に出ない。それでは右へ行ったら海岸に出るかなと歩いて行ったが、結局かなり歩いてしまった。右手の島の中央あたりは、かなりブドウが植えられていた。ワインになるのだろう。飛行機型をした風力発電装置が何基もあった。シチリアは風力発電がずいぶん普及しているようだ。次第に舟の時間も気になり出した。海の音、風の音、鳥の声に、人の声も時々聞こえ、不安というほどではないのだけれど、道らしきものが見つからず、畑を土埃をあげながら歩いた。思いの外長いお散歩になったが、展示館のお庭が見えた時は、ホッとした顔をしそうになった。

また舟に乗って、塩田の船着き場に戻る。塩田の博物館になっている赤い風車小屋で小さいお皿と塩を買い、トイレを借りた。こういうインターナショナルなスポットではトイレはちゃんとしているようだ。ドミンゴさんのタクシーで、マルサーラの街はずれの考古学博物館へ。ここは大きな博物館らしい建物で、天井は、丸いアーチ型になっている。モツィアの島にあったような展示物がきちんと学術的に整理されてある。マルサーラの街の道路にあったモザイク画も展示されていた。エントランスを挟んで反対側の広い部屋には、出土した床や心棒を使って大きなカルタゴ船の半身だけ再現したものが展示されていた。

車が頻繁に通る海岸通りをけっこう歩いて、ガリバルディ門をくぐると、旧市街。やはり旧市街の町並みは綺麗だし、面白い。教会はもとより、ちょっとした壁の装飾が素敵だ。7時になり、だいぶ夕方らしくなってきた。翌日のアグリジェント行きの情報を得るためにインフォメーションへ行く。電車は直通がない。バスもパレルモからの方が整備されている。マルサーラからアグリジェントへ行くバスは、なんと日に3本しか無い。それも、6時半、昼、それに夕方だ。昼のバスでは、観光する時間があまり無くなってしまう。かと云って、6時半発はさすがにキツイ。

素敵な旧市街を抜けて、素敵じゃないポポロ広場に出た。空気も治安も良くなさそうで、適当なレストランも見つからない。夕食はホテルですることに決めて、またドミンゴさんを呼ぶ。都合の良い時間帯にアグリジェントに行くには、タクシーしか無い。ドミンゴさんに聞くとアグリジェントまで200ユーロだと言う。円安につき、3万円を越える。が、オジ様は太っ腹である。とうとうアグリジェントまでタクシーで行くことに決める。8時過ぎにホテルに着いたが、「夕食はありません」と言われ、ピザとサラダのデリバリーなら出来る、というので頼んだ。

レセプションの奧にテーブルをセットしてくれて、テレビも付けてくれて、地元のCorvo というワインを取り、遅めの夕食を頂いた。Corvo 美味しかった。部屋で、遺跡の島でホコリだらけになった薄手のジーンズを膝から下だけ洗って、洗面室の温かいパイプの洗濯干し場に干した。三重扉の窓を少しだけ開けておく。旧市街の方と思われる辺りの灯りがいつまでも見える。夜景も素敵なリゾート・ホテル。寝るのがもったいなかった。