室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

グランド・ヴァカンス 其の5 マルサーラ1

2008-04-30 02:39:28 | Weblog
4/15
朝6時台に、ジャズベーシストの小林真人さんから携帯にメールが届く。
「ケータイ、どうですか?同じものを買いました。」出発直前に、AUのグローバル携帯に機種変更して来たのをご存知で、彼も今頃、オランダへ持って行っているのだろうなあ。請求書が来てみないと、何とも分からないが、一応パケットが、国内と同じように使える唯一の機種、という事で、E-mail通信で日本と繋がる為に、このソニー・エリクソン製にした。別売り海外充電コードと、Cタイプコンセントも買った。イタリア国内での通話は、はぐれた時用のオジ様のTIMのノキアを使っていた。

パレルモで泊まったAmarcord ホテル最後の朝食を取り、モンデッロで見たのと似た焼き物を売っているすぐ近所の店が8時半から開ける、と前日に聞いたので行ってみたけど、開いていない。魚の絵の時計皿が買いたかったのだが、仕方ない。「イタリアはそんなもんなんです。博物館も、ドゥオーモも開いてなかったでしょ? 何が起こるか分からないのがイタリアなんです。だから大変なんです。これがダメでも他の手がある、という具合に常に備えないといけないんです」オジ様の言葉を噛みしめる。

9時半に予約しておいたタクシーで駅のそばから出る高速バスのターミナルへ向かう。タクシーは、ホテルに頼んだり、ラジオ・タクシーに電話して呼んだ場合は安全だ。流しのタクシーは、分からない。たまたま良い運転手だった時に名刺を貰っておいて、リピートするのが、安全策のようだった。

前日、シルヴューが去年の東京の思い出話の中で「シナガワ?シブヤ?ヤマノテ・ライン。東京は電車が整備されてるね」と交通機関の話題になり、「私達には、それが必要だから」と私が答えたら「僕たちだって必要さ。必要なのに、無いの」と東京の便利さを羨ましがっていた。東京も、日本語が読めない人には、電車の切符を買うのが難しかったりするけど、路線という点では、確かにかなり整備されている。時間もほぼ正確だ。正確なのが当たり前になっている。イタリアは、何が起こるか分からない・・と考えておいて、予定どおりに行けたら”ラッキー!”と思うくらいで丁度良いようだ。

でも、10時のバスは10時2分に発車した。Salemi というバス会社のバスで、Marsala マルサーラへ向かう。バスはパレルモの市内を抜ける。「何だ、もう一度街の中を見られちゃった」渋滞気味だったが、やがて街を抜けると高速道路に入り、左手に山、右手は海の景色が続く。海岸を離れて内陸に入ると、オリーブ畑や、風力発電の風車など、ノンビリとした景色。あちこちに黄色い花が群生している。一度、サービス・エリアみたいな所で停車したので、トイレに行った。便座が無い。携帯で写真に撮る。もうすっかりイタリア・トイレ研究班の心意気だ。

パレルモから殆ど真西のトラーパニという、やはり遺跡のある街に停車。何人もの乗客が降りた。バスのアナウンスが「ラ・フェルマータ」と言っている。そういえば、音楽用語の”フェルマータ”は停車場でもあったのだ。トラーパニからマルサーラへの埃っぽい道を行くバス。運転手がかけているラジオのBGMを聞きながら、車窓の小さい花を見て、ふと詩が浮かぶ。

 <シロツメクサに生まれていたら・・
  風が波打つ草原
  背の低い赤い花たちのささやき
  トラパーニの風に吹かれ
  つつましく、でも陽気に
  黄色い花に埋もれそうになりながらも
  いつまでも、でも陽気に 歌うよ >

トラーパニから少し南に下ったマルサーラに、お昼前ころ着く。風が吹いており、埃っぽい停車場に放り出されたような感じだったが、オジ様は直ちに駅のインフォーメーションを探し、情報を得に向かい、私は木陰で荷物番。手配したタクシーが来るまで、駅の待合所でパンをかじる。

見知らぬ田舎のはずれのような所に着いて、これからどーなるのかな~、と多少の不安を面白がってみたりして・・。でもじきにタクシーが来て、ホテルへ。信頼できそうなタクシーだったので、このドミンゴさんを贔屓にする。

ホテルはVilla Favorita ヴィラ・ファヴォリータ。恐らくマリー・クレールあたりの雑誌に載りそうな、オシャレなリゾート・ホテル。アラブ風のアーチ型のエントランス、レセプション、客室棟の入り口、アラベスク模様の入ったガラス扉の向こうに庭が見える。階段を登り、2階のパブリック・スペースを横目に、扉を開けて3階の客室エリアに上る。鏡や椅子、壁かざり等、お洒落な廊下を進み、部屋に入る。ベッドが一つの初めからシングルの部屋。窓がある。内側の木の扉を両側に開き、ガラス窓も手前に開き、外側の木製のヴォレを外へ広げると・・

写真は、感激のほんの千分の一も撮れていないかもしれない。でも、記憶のよすがになってくれる。海から吹いてくる強い風と共に、初夏の陽光が入り、文字通りリゾートのうきうき感を誘うプール、マッシュルームのように見える丸いコッテージがいくつもあり、目を右に転じれば背の高いパームトゥリーが3本、風になびき、左には風力発電の風車が1基、ゆっくり回り、そして輝く水平線。思わず「うわーーー~っ」と声をあげてしまう爽快感。写真は、その一部を切り取ったものでしかないが、でも、自分が”本当にその場に居た”感触を思い出させてくれる。本当に、気持ち良かった。

しかし、マルサーラに来たのは、モツィアというカルタゴ人の遺跡を見るのが目的だ。モツィアにある遺跡発掘の島へ、舟に乗って行かなければならず、その船着き場までタクシーで行かねばならず、ホテルのレセプションで遺跡の島の博物館は夜7時頃までやっている事、舟は頻繁に出ているという情報を得たけれど、本当かどうか行ってみなければ分からない。タクシーのドミンゴさんを呼んで、急ぐ事にした。

グランド・ヴァカンス 其の4 山と海

2008-04-27 03:41:56 | Weblog
4/14 快晴。パレルモ晴れ
山と海へ車で案内してくれる約束のシルヴューが来る10時までに、考古学博物館を見ようと思って行ったけど、定休日じゃないのに何故か休館。隣のサン・イグナツィオ・アロリヴェッラ教会の中に入る。比較的新しい16~17世紀の様式か・・。両壁の絵画が特徴的だった。周辺を散策し、桃色の綺麗な花の木が沢山ある広場を通って、一旦ホテルに戻り、支度をしてロビーに出ると、シルヴューが来ていた。

しばし、前夜のオペラの感想を話し、開演が30分遅れた騒ぎの真相など聞いた。ストライキにも驚いたけれど、聴衆の騒ぎっぷりにも驚いた。一時、騒然とした時は、「ストラヴィンスキーの”春の祭典”の初演で大騒ぎになったという事件も、こんな風に聴衆が騒いだのかな・・」と思ったりした。今回の”アンナ・ボレーナ”は、6回公演だそうだが、その為に、あれだけの衣装を作って、経費がすごそうだな・・とも思った。色んな話をしながら、港の方へ歩いて行った。

途中、車道を車に続いてゆっくり歩く人々を見かけた。葬列だそうだ。その近くの教会の前を通りかかったら、扉が開いていたので入ってみた。サン・ピエトロ・パウロ教会という小さい教会で、今まで見たような煌びやかさは無いけれど、落ち着いた雰囲気だなあ、と思っていたら「葬儀があったから開いていたので、もう閉めますから・・」と言われ外に出た。さっき見かけた葬列だったのだ。

海に出ると、黒い大きな箱が立っている。シルヴューに尋ねると「マフィアの犠牲者のモニュメント。警察関係者が多く、もちろん市民も大勢いる。でも、今はもうそういう心配はないんだ」という答え。へえ~、やっぱりシチリアはそういう場所だったんだ、と改めて思った。

音楽高校の前を通るとトランペットとピアノの合奏の音が聞こえた。なかなか上手だった。名前は忘れたが、白いレリーフで壁が飾られている教会に入った。3年位前まで綺麗にする修復作業をやっていたそうで、シルヴューの友人も携わっていたそうだ。それに費用がかかったのか、入場料が必要な教会だった。

それから、ホテル近くに駐車していたシルヴューのプジョーでノルマン宮方面へ。駐車できるスペースをなかなか見つけられなかったが、大きいゴミ箱の隣に辛うじてスペースがあり、オジ様が少しゴミ箱を動かして下さって、停められた。

ノルマン宮に入った。入るとまず、ガラスケースにシンデレラの馬車のような大きな馬車が展示してあり、その周りのお城らしい階段を上がって行く。アラブ風の回廊がある。ここはアラブ人が作り、ノルマン人が手を加えたアラブ・ノルマン様式で、モザイクの壁画が特徴、とガイドブックには書いてある。ちょうど、ガイドさんの案内が始まるところだった。美しい声の女性で、イタリア語がわからなくても、聞いていて心地よかった。色々な部屋を案内してくれる。ビザンチン様式の黄金色のモザイク。中国の部屋。現在も会議室として使われている壁やカーテンが赤い部屋。その隣は、元はベルサイユのように鏡を張ってあったという大広間。そこの窓からの眺望が素晴らしかった。気分が大変良く、デジカメでムービーも撮った。ここで日本人の若めのご夫婦と一緒になった。

「ビデオも撮っちゃった~」と言いながら部屋を出たときに、ステップの段差に気がつかず、ガクッと足をひねってしまった。一瞬動けなかったけれど、ここで置いて脱落するわけにはいかないので、「ダイジョーブ、大したことない・・」と見栄をはって歩いてみせる。そのまま、美術展示室のマックス・エルネスト展を見学。遺跡の発掘や修復に貢献しているドイツのヴュルヒ社のコレクションだそうで、絵画、版画、彫像など、どれも柔らかい表現だと思った。

車に戻り、今度はモンレアーレへ。ノルマン・アラブ様式の見事なドゥオーモがある山なのだが、そのドゥオーモも何故かこの日は閉まっていた。庭園の方は見られるというので、庭園と更に奧の、見晴らしの良い、大きな木がある裏庭の方まで行った。遠くに海と半島。右手に山。手前はその山との谷になっており、赤い屋根の家が点々と見え、その手前は菜の花のような黄色いお花が咲き乱れている。左手は、新しい市街らしく、少し高いビルの林立が見える。風が強いけれど、爽やかだった。

山を降りて、モンデッロの海へ向かう。シルヴューの家はその海から近く、途中、前を通った。
海岸に着く。濃紺とライトブルーのコントラストが美しい。藤の花があちこちに見られる。駐車スペースを見つけて降りると、駐車代を受け取りに人が来る。ローマ遺跡によくある丸い塔の近くのレストランに入る。シルヴューお勧めの海の幸の店だ。Trattoria Da Calogero タコの絵がトレードマーク。お天気も良いが、とにかく明るい。そして、清潔で、すっきりしている。ここで、生ガキ、小さい蛸のぶつ切り、そしてオジ様お待ちかねのウニ・スパゲティを頂いた。前日のウニ・スパの5倍くらいは美味しかった。たぶん、全日程中、一番美味しいランチだった。白ワインも美味しかった。ここは、トイレもちゃんとしていた。この頃からすでに”トイレ研究”をする決心をしていた私は、あちこちのトイレの写真を撮っている。ここは、ちゃんとしていた。

お店を出たところへ、シルヴューの奥さん、マリーナが来た。パレルモで生まれ育ったそうだ。音楽家ではなく、普通の仕事をしているそうだ。とても幸せそうな夫婦だ。シルヴューがジェラートをご馳走してくれた。近くで、サックスとクラリネットの音が聞こえる。ゆうべのテアトロ・マッシモの階段下の連中だ。シルヴューも知ってるルーマニア人だそうだ。

写真は、モンデッロの海岸に横たわる”犬” 左が鼻で右がお尻の形をしている。海岸まで降りて、地中海の水に触ってみた。さらさらと、軽く、きれいだった。レストランの食器やインテリアで使われていた焼き物の店に行きたかったが、それも閉まっていた。どうもこの日は、いろいろフラレた。

4時半から、日曜日の本番のリハーサルをしにパレルモに戻らなければいけないシルヴューに、リハを少し見せてもらう事にした。「バイオリンを持って行かなきゃ」ということで、シルヴューの家に寄る。自動センサーで家の門が開き、車ごと入れる。右側に木が沢山生えている広い庭。左に大きな2階建ての家。シルヴューの家族、奥さんマリーナのお兄さんの家族、そしてマリーナのお母さん、の3所帯で暮らしているそうだ。家の前に外で食事できるようなベンチとテーブルがある。素敵な暮らしをしている。

テアトロ・マッシモに近いエリアにある、Trio Sicilianoのピアニストのお母さんの家のレッスン室でいつもリハーサルをしているそうだ。だだっ広くはないが、グランドピアノ(ヤマハでいうと2か3のサイズ)があって、バイオリン、チェロがそばにいて、半分位のスペースが、こちらに残っている。俳優をしているマリーナのお兄さんが、ピアソラの曲に合わせてナレーションを入れるタイミングを考えるリハーサルだった。私が編曲した”鮫””アディオス・ノニーノ”やった。自分が編曲したものを、上手な人たちが真剣に演奏するのを聞くのは、至福の時だ。「そうか、この瞬間のために私はパレルモに来たんだ!」と感じた。”リベルタンゴ”もやるらしかったが、その前に”ブエノスアイレスの四季”を始めたので、これを全曲聞いていると流石に長居してしまう事になるので、皆で写真を撮っておいとました。それをアップできないのがとても残念だ。

玄関まで送ってきたシルヴューは「シチリアに居る間に、もし何か困った事でも起きたら、必ず電話して」と言ってくれた。その言葉だけで頼もしい。そのすぐ近くにバザールのような商店街があって、その中の一軒でスニーカーを購入。マリーナに「遺跡巡りには、スニーカーなどの方がいいわよ」といわれたのだ。10ユーロ。韓国人のお店かな・・。

テアトロ・マッシモから近いシルヴューお勧めのレストランもお休み。ホテルで教えてくれた店もお休みで、その近くの” ラ・トラヴィアータ”(椿姫)という店へ入った。中庭みたいな所にテーブルを出しているので、肌寒く、背の高い屋外用ストーブを2基出していた。クスクス、サラダ、サーモンピザも美味しかった。半月の夜。別のお店でコーヒーを飲んで帰る。選曲番組をやっていた。ベルルスコーニ氏がニコニコしている。イタリアの政局は変わらないのだ。




グランド・ヴァカンス 其の3”アンナ・ボレーナ”

2008-04-25 21:34:03 | Weblog
シルヴュー・ディーマ氏がコンサートマスターを務めるシチリアはパレルモの”テアトロ・マッシモ劇場”で、ドニゼッティ作曲の”アンナ・ボレーナ”を見せて頂きました

ギリシャ神殿のようなエントランスに向かって、ゴッド・ファーザーの一シーンでも有名な階段を登って行くと、中は天井の高い美術館のような、ホールのようなフォワイエになっており、係員は男性も女性も、昔の日本の”救世軍”のような長めのコートの制服を着ている。

チケットを見せると、左奧のエレベーターに乗るよう促される。木製のぎしぎし音がするのも、この劇場の歴史、貫禄を感じさせる。5階で降りる。22番扉を開けると、オペラ座らしいビロードのカーテンとビロードの壁で仕切られた小部屋がぐるっとホールを囲んでいるのが見える。その中の一室に入った訳で、椅子が前列に3つ。後列は少し高い椅子が2つ。5人用の部屋。

下を見下ろすと、写真のとおり、オーケストラ・ピットと、舞台に赤い緞帳が掛かっているのが見える。全体に深紅の内装だ。ピットは意外にも明るい。客席はほぼ満員。さすが、こちらはオペラが日常生活の中に充分取り込まれているだ。5時半開演の予定だったのに、始まらない。次第に観客が声を出し始めた。拍手をして登場を促そうとする人もいる。段々、顔状は騒然としてきた。「お~い、どーしたんだヨ。早く始めろ~!」ここは、スタジアムか?と言いたくなるような騒ぎになってきた。何かアナウンスが始まったけれど、到着が遅れている?って、指揮者が遅刻でもしたのかしら・・? などと思っていると、団員がピットに出てきた。ばらばらと座り、揃っていない。

シルヴューらしい背の高いシルエットが見える。チューニングを始めた。しかし、観客は収まらない。これからオペラが始まるというのに、静かにならない。やっと指揮者が指揮台に立っているのに、まだワーワー言っている。序曲を振り出したのに、全く聞こえない。オケは、演奏をストップして、またピットから出て行ってしまった。収拾がつかなくなっている。信じられない

ちょっとして、また団員が出て来た。指揮者がピットの外から渡されたマイクを握って何かしゃべっているけれど、イタリア語だし、観客がまだワーワー、ピーピー言っていてさっぱり解らない。「シレンツィオ!」と言う声が大きくなり、やがて騒ぎは収まった。そして再び序曲が始まり、幕が開くと、さっきまでの騒ぎがウソのように舞台は進んで行った。

翌朝、シルヴューから聞いたところでは、団員とコロス(合唱団)やスタッフによる”ストライキ”だったのだそうだ。その為、遅れてきた団員もいるし、とうとうオーボエ抜きだったそうだし、コロスも何人か少なかったらしい。それが、「何とかなると思うけど・・」というシルヴューの謎の言葉の意味だったのだ。 今までにも2~3回、こういった騒ぎはあったそうで、決して初めての事件ではないそうだ。一度は、オペラではなく、シンフォニーだったそうだ。

しかし、オペラそのものは、高い水準のものだった。まず、衣装がすばらしい 大道具美術も、ヒトを3~4人分集めた大きさの大きな物言わぬ仮面を登場させたり、極悪非道の王様を右側の金色の馬に乗せ、哀れなアンナ・ボレーナ王妃を左側のシルバーの馬に乗せて対峙させる・・など、美術も衣装も、象徴主義的な表現で、やや斬新だけれど、品の良いモダンさの一線を保っていた。

演奏も昨年の来日公演で見たとおり、一流のレベルで、劇場はほぼ残響が無いけれど、オケはかなり高い精度を持っているのが良くわかり、歌手も柔らかく、美しい声で、お芝居にも説得力があった。全体的に高音域の声も張らず、柔らかく響かせていた。中でもアンナ役のソプラノ、マリエラ・デヴィアは大変すばらしい表現力だった。本番開始前の騒ぎがウソのように、充分にオペラを堪能できた。ミラノ、パリ、ウィーンなどのような、”ピッカピカのハイセンス”ではないけれど、シチリアらしい、ややノンビリおっとりした(田舎くさいとは言わない)雰囲気の、開演前の騒ぎも含めて、”地元に根付いているオペラ”なんだ、という印象を持った。”地元のオペラ”がこのレベル、という事は、パレルモの文化水準の高さを表している。決して、泥臭い田舎ではないのだ。「イタリアから来た人間はね、イクミ、大抵の事には感激したりしないんだよ」と去年語ったシルヴューの言葉を改めて思い出した。

”文化”の深さに感じ入って外に出ると、階段下で、サンバ”ブラジル”を吹くサックスの音が聞こえる。なんか、興ざめな気がしたが、シルヴューも知っているルーマニア人のジプシーだそうだ。レストラン前ならともかく、オペラ前は不向きだ。

あまりお腹がすいておらず、おつまみピザ程度にして、カシスソーダを飲んでホテルに帰った。翌日は、10時にシルヴューが観光に連れて行ってくれる。

写真をもっとアップしたいのに、どーして1回のブログに1枚しか載せられないのかな・・。

グランド・ヴァカンス 其の2 パレルモ

2008-04-25 02:01:09 | Weblog
4/13
前日に着いたとはいえ、実質、パレルモ観光初日。
8時起き。8時半朝食。カスタード・クリーム入りクロワッサン、ハム(おいしい)ヨーグルト、缶詰のピーチ、カフェ・ラテ等。ナイフはテーブルに乗っているけど、フォークやスプーンは食べ物と一緒に置いてあるので、セルフで持ってくる。

9時半出発。エレベータの外側扉を引いて開け、内側の網の目の観音扉を中側に押し込んで開けて中に入り、地階へ降りる。1階は日本の2階。2階は3階。3階のホテルは実質4階にあることになる。やはりエレベーターが有難い。

先ずは、シルヴューの職場、”テアトロ・マッシモ劇場”へ。写真のとおり、ギリシャ神殿風のエントランスが付いており、左右にライオンが人を乗せた像がある。その下の階段は、かの”ゴッド・ファーザー”で、暗殺シーンがあった有名な階段・・との事。夜、シルヴューに会って、オペラを見せてもらう約束がしてある。

マッシモ劇場からクワトロ・カンティという、素晴らしい彫刻噴水の四つ角はすぐ近く。
犬も歩けば”教会”に当たる。何気なく入った教会はアフリカ系なのか、ミサをやっていたようだったけれど、正面ではなく、左奧のカーテンの向こうから、祈祷の声と、エレクトーンみたいなオルガンの音と低音の太鼓のアフリカを感じるリズムが聞こえているので、デジカメをムービーにして音も少し入れてみた。

プレトーリア広場の16世紀の彫刻群を見て、そこに面しているSt.ジョゼッペ・カトリーネ教会に入る。女性的な印象の教会。すぐ近くの、ノルマン風とアラブ風のベッリーニ広場に面しているマルトラーナ教会。すぐ右隣の3個の赤いお饅頭のようなドームが並んでいるのが特徴のサン・カタルド教会。マッシモ劇場前もそうだけど、至る所にパームトゥリー、フェニックスなどトロピカルな植物が植えてある。この2つの教会も、これらの植物と赤いドームが、いかにも南国の情緒を醸している。中に入ってみたが、3つの赤いドームの内部はシンプル。小さめの教会で、やはり入り口にカーテンがかかっており、中は、観光客ではなく、敬虔な信者が熱心に司祭の説教を聴いていた。若いけれど説得力のある、美しいお声が印象に残った。

ベッリーニ広場のカフェでジュースを飲み、トイレへ行く。便座なし! そういえば、フランスでも出会わなかったことも無いけれど、それにしても、結構ちゃんとしたカフェに思えたのに・・。便座が無い場合、どーするの?とりあえず、腰を浮かせて・・用足し。

海の方へ行くつもりでバスに乗り、回数券を使う。回数券などはTマークの付いたタバッキ(タバコ屋)で買わないといけない。チケットは、ガチャンとタイムカードを通して、時刻を印刷すると、2時間乗り降り自由、というシステム。しかし、バスはすぐに曲がってしまい、海の方へは行かなかったので降りて、ハーバーまで歩いて行った。クルーザーが沢山あった。レストランを探して歩いているうちにSt.ドメニコ教会前の広場に出る。中へは入れなかった。教会前のリストランテに入り、サラダ、スパゲッティ・ボロネーゼ(トマト味ミートソース)スパゲッティ・コン・リッチ(ウニ・スパ)を取る。オジ様は念願のウニ・スパに嬉しそう。ここのレストランは、地元の方向けで、人なつこいお母ちゃんのいる4人家族、年輩の女性2人連れがいて、私たちの事を「日本人か、中国人か?」と話題にしていたらしい。インテリアも素敵な狩りの絵が飾られていたり、キッチンの小窓もオシャレな内装なのだが、トイレの便座がない!それどころか、カギも無い!どーなってるの? これは研究するべきか・・?

バスがなかなか来ないので、徒歩で、シルヴューお勧めのカフェテリア、Mazzonaへ行く。縦に並んだ赤い看板の文字が、見たことのないデザインのフォントで印象的。ここでデザートを頂く。Zuccotta Alla Banana. お椀を伏せたドーム状のケーキがバナナの輪切りで覆われている。大変おいしい。こういうお店は、店内で食べるのと、外の屋根のない所で食べるのと値段が違うようで、どこで食べるのかを告げなくてはいけなかった。外の囲いと屋根のある場所が、どうやら一番高い場所だったらしく、あとから給仕さんにチップを払う。

ホテルに戻り、着替えて5時に”テアトロ・マッシモ劇場”へ。階段の下を目指して歩いて行ったら、ヴァイオリンを持ったシルヴューの姿が見えた。シルヴューもこっちを見ていた。思わず駆け寄り、去年6月以来の再会を果たす。「イクミ、イン・パレルモ!」と両手を広げて歓迎してくれた。ドニゼッティの”アンナ・ボレーナ”の席を2枚用意してくれていた。「何人か、どこか行っちゃってるけど、まあ何とかなるかな・・」と謎のような事を言い残してシルヴューは楽屋へ入って行った。その謎はじきに解けた・・。つづく。

グランド・ヴァカンス 其の一

2008-04-23 03:47:15 | Weblog
イタリアに行って来ました

シチリアとローマ、8泊10日の旅・・・ってパッケージツアーではありません。
昨年の6月下旬に来日したシチリアの首都、パレルモの”テアトル・マッシモ歌劇場”のコンサートマスター、シルヴューと東京で会って、少し東京案内をした時の事は、昨年7/6頃のブログに書いたと思います。

私が編曲した”リベルタンゴ”をネットを通して買ってくれて以来のつきあいで、もう8年くらい経つかしら・・。去年、シルヴューを東京案内するにあたって、「パレルモに知り合いができるといいから」と言って、ご馳走して下さったお大尽のオジ様が「来年、パレルモへシルヴューに会いに行けたらいいね」とおっしゃったのが、実現してしまったのであります。

その楽しかった旅の記憶をこれからしばらく、載せてみたいと思います。
写真は、リッチ・スパゲッティ ウニのスパゲティですが、リッチとはイタリア語でウニのこと。正確には”スパゲッティ・コン・リッチ”というのですが、まさに”リッチ”なお味。旅行中、最も印象に残った、パレルモ近郊のモンデッロの海岸そばのレストランで頂きました。この時は、生牡蠣と蛸ブツも頂いたんですけどね

4月12日成田からローマに飛んで、乗り換え、パレルモに着きました。
往きはアリタリア航空。機内でジャッキー・チェンの映画とフォレスト・ガンプを見ました。電気をつけても迷惑ではない時間は、ゲーテのイタリア旅行記を解説する本の中のシチリアの部分を、まるで”一夜漬け”状態で読んで備えました。何しろ出発前日まで、帰国後の為の編曲をやっていたので、まるで予習ができていなかったのです。

パレルモの高校生のスペイン修学旅行と一緒の便でパレルモ空港に着き、それはにぎやかでした。
高校生達の荷物が全部出てきても、まだ待っているのが、私と何組かのフランス人家族。外国人の荷物は別の所から出ていた事が分かり、扉の向こうへ受け取りに行き、やっと空港の外に出られたのはすでに夜の11時15分頃。一足先にパレルモに着いていたオジ様が、安心予約したタクシー、マルチェロの運転で迎えに来て下さっていて、市内中心街のホテルに着いたのは12時ころ。

アパートメントの1フロアだけをホテルにしている所で、外のがっしりとした扉の横に付いているボタンを押して、扉を開けてもらって入るシステム。こじんまりとしているけれど、なかなかオシャレな内装に感心していたら、ルームキーを差し込んで電気を付けても、3分で電気がダウンしてしまう。どーなってるの 「これがイタリアなんですよ」とオジ様。

結局、予備の別のキーを差し込んだら奇跡的に電気が保てるようになって、事なきを得ました。
ここで一句。『機能より デザイン優先 イタリアか・・』
出発前日も徹夜だったから、これで40時間くらい起きっぱなしだったせいか、ぐっすり眠りました。ただし、寝たのは4時頃。起きたのは8時だけど・・。

さあ~、異常に元気にカンコウだ~

リコラ事件

2008-04-09 21:40:28 | Weblog
2月終わり頃から始まった”花粉症の季節”まだまだ終わりなへんな~
私も人並みに”花粉症”で、それも”アレルギー性鼻炎”と世間が呼び始めた頃からのかなりのベテラン。

クシャミや目の痒みもあるけれど、一番イヤな症状は喉痛なので、のど飴は手放せません。トローチなどは、1粒舐め終わる前に口内炎ができてしまうので、必ずノン・シューガー、それもこの写真の”リコラ”を携帯並みに”携帯”しています。でも、これのお陰で薬を飲む回数が少なくて済んでいるのです。この季節を”リコラ”で凌いでいると云っても過言ではありません。

この”リコラ”は、以前は湘南薬局で売っていたのですが、日本製の似た飴が出来てからは売らなくなり、カルディで売っているのを見つけてホッとして以来、カルディに寄っては2~3個ずつ買っていました。成城石井でも売り始め、こちらの方が少し高いけれど、通り道の時は成城石井でも買うようになりました。ところが、去年からカルディでは売らなくなってしまい、今年はもっぱら新宿駅構内の成城石井で、然もルミネカードのクレジットで買うようになりました。

昨日も仕事に出掛けるのに、成城石井に寄るために、わざわざ新宿経由にして”リコラ”を買いに行くと、いつもの棚に「無い!」 キャッシャーのお兄さんに聞くと、「係りの者に聞いて下さい」と言われ、”係の者”らしい人に聞いたら「少々お待ち下さい」と引っ込んでなかなか戻って来なくて、やっと来たら「欠品になっており、いつ入るか未定だそうです」とつれない答え。私はバッグに入っていた見本を見せて、「これで花粉症を何とかやり過ごしているんです。無いと困るんで、入れておいて下さい。その為に新宿経由で来てるんです」と訴えて、サンドイッチを買って支払いました。

お店を出て、山手線方向に歩き出したら「ちょっとすみません」と見知らぬ女の人に声をかけられ、道を尋ねたいのかなと思ったら「今、買い物をしてまだ払ってない物が一つありますよね?」と言われて、もしかして”万引き”と思われたのかと気づきビックリ
一瞬、TVで見た別室でしょげている万引き犯のシーンが思い浮かび・・でも、とにかくこの人は勘違いしているのだから、この人の誤解を解いてあげようと思い、「これの事ですか?このリコラは、いつもよくここで買っている喉飴で、私は花粉症でノドが痛くなるので、今日も買うために新宿経由して来ているんですけど、棚に無くて、在庫を調べて貰っていたんですよー。ほら、開いていて、もうこんなに舐めて減っているでしょう?」

新品ではなくて、万引きした商品ではない事を説明していました。その女の人は解ったようで「そうですか、それじゃ、また入れておくように言っておきます」と言って店に戻って行きました。私は急いで山手線に乗ってから、なんで万引きと間違えられたのだろう? 見本のつもりで見せたリコラの箱をバッグに入れるところだけを見ていた店員がいたんだろうなあ・・。棚に1箱も置いてない品を万引きできる訳がないのに、ヒドい誤解だ・・。もしかして、これは怒った方がよかったのかもしれない・・。そういえば、平身低頭して謝られても当たり前の場面だったかもしれないのに、『そうですか』程度で済まされてしまった気がするな・・。

だんだん腹が立ってきたけれど、『責任者を出せ!』『この落とし前を、どーつけてくれるんだ!』という所まで行ったとしても、それは、私のセリフではなく、余計に気分が悪くなるだけ・・。”ハシタナイ”という言葉が浮かんで、止めました。

ただ、成城石井、もう行かないな、しばらくは・・。どーせ”リコラ”無いし。

桜が運んできた再会

2008-04-05 23:18:43 | Weblog
春爛漫
今年は、お正月が暖かくて、楽な冬だ、と思っていたら後半から寒くなり、2月はかなり寒い日が続き、このまま一生、冬が続くか・・と思うほどでいたのが、怒濤の3月を経て、気がつくと桜の開花の季節。開花してすぐ寒くなったお陰で、桜は長持ちしている。

4/2 は鎌倉へドライブ。鶴ヶ岡八幡宮隣の駐車場に車を止めて、八幡様のお池の周りの桜を愛でました。それから、若宮大路の段葛を歩き、中程で小町通りに入って、傘を買ったり、鎌倉彫の小さいお木皿を買ったり、そぞろ歩き。お豆類を沢山試食させてくれる店で、国産ピーナッツを買ったり、奧の洋品店でインドシルクのストールを買ったり、時間に縛られずに、いろいろひやかしでお店を覗いたりもして、久しぶりに家族でゆったり過ごしました。

昨日は、3月の関西ツアーで共演し、自家用車に何度も乗せてくれたコントラバスのジュンコ嬢と横浜で再会しました。明日のみなとみらいホールでの”フランス・アカデミー室内楽”に出演のために、共演者たちと、朝の新幹線でお昼に横浜着。愉しかった関西ツアーの思い出話をしながら、桜の花吹雪の中華街でランチして、荻窪のコントラバス用の弓の専門店”鶴屋弓弦堂”へくっついて行ったのでした。

へえ~、弓の専門店があるの・・?しかも、コンバス用専門とは・・と少し驚く。
弦楽器の弓は弦の長さに反比例して、バイオリン用が一番長く、コントラバス用が一番短い。
そのコントラバス用は、逆手のジャーマン弓と、チェロのようにこするフレンチ弓の2種類があるのは知っていたけれど、ジュンコ嬢は、それとはまた違うバロック用を探していたのでした。コンバス用は短いので、反りのないバロック用は、まさにノコギリのような形。よくコンバス奏者が持って来る、あの弓ケースには、とても収まらない。様々な形、大きさ、長さ、重さ、材質、バランスの弓を試してみて、ジュンコ嬢が「これイイわ~」と言ったのはペカット。バイオリン用なら400~500万は下らないブランド。コンバス用で現存するのは世界に4本しかないらしい。この日に見た中では一番短い50cmほどの弓で、弦に対しての吸い付きが良い。音もやわらかい。鶴屋弓弦堂では、これのソックリさんを作ってみたそうで、確かに、近い音はしたとか・・。

10本近く、一つ一つ説明を聞いていても、「へえ~、ふう~ん、そーですか・・」としか応えられなくて、「これだけあって、どれがどれだか分からなくならないんですか?」と素人マル出しの質問をしてみたら「そりゃあ、専門家ですからね~」と案の定の答えでした。

2時間ほど居て、みなとみらいに戻り、フランス・アカデミーの公開講座を見せて頂きました。私の好きなドビュッシーの弦楽四重奏曲を2つの弦カル・チームが2楽章ずつ公開レッスンを受けました。ドビュッシーの手書き稿から研究しつくしているフランス・アカデミーの巨匠たちの懇切丁寧な指導や、ショーソン、フランク等の影響、裏話なども面白かったし、4人の大先生がそれぞれの楽器の受講生たちにくっついてそれぞれのパートについて語るのが、それぞれお互いに否定し合ったりする事なく、全員が同じ方向を向いて指導、指摘なさっているのも面白かった。

お昼に食べきれないほど中華ランチを食べたけれど、9時過ぎて流石にお腹が空いて、ランドマーク・プラザでイタリアン。ジュンコ嬢は、体格に恵まれた、心優しく、ウィットに富んだしなやかな関西人で、大きなコントラバスを入れた18kgのケースを背負って運ぶ姿は、まさに巨大なカブトムシ。 ゆったり、おっとり、ほんわかしている。一日いろいろ面白かったなあ・・とランドマーク・プラザから外に出ると、巨大なクワガタのオブジェが・・。まさにコンバスを背中に乗せた”ジュンコ像” 愉しい再会でした。