室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

チュララ~

2011-03-28 01:34:28 | Weblog
明日から(正確には今日から)《タンゲロス・アルティコス・春タンゴ・ツアー》です。



月曜日は京都でリハーサル

火曜日は丹波でタンゴ~

チュラチュラチュラチュラチュラチュララ~、チュラチュラチュラチューラーラ~

水曜日は京都でリハーサル

木曜日は大阪でリハーサル

チュラチュラチュラチュラチュラチュララ~、チュラチュラチュラチューラーラ~

金曜日はエルセラ~ンでタンゴ~

土曜日はアスピアでタンゴ~

日曜日は関内サロン

チュラチュラチュラチュラチュラチュララ~、チュラチュラチュラチューラーラ~



みなさーま、これーがワタシの~、いっしゅうかんの予定です~

チュラチュラチュラチュラチュラチュララ~、チュラチュラチュラチューラーラ~(しつこい!)


   ・・という訳で、更にしつこいですが、よろしくお願いいたします。




        及び




        地図も




楽しみにしていたサクラ、まだ咲かなくて、憧れの大阪・造幣局側のお花見もできませんが、元気に行って参ります!







《タンゲロス・アルティコス》春タンゴ、やります!!

2011-03-24 14:04:28 | Weblog
皆さま!

まだこんな大震災に見舞われるとは想像もしなかった3月5日にご案内をした『春タンゴ』


迷いましたが、やります!!


4月2日(土)アスピア・ホール(京王新線・幡ヶ谷駅徒歩2分)18:00 開演(17:30 開場)

 前売り券¥3000 当日券¥3500

大変残念ながら、バンドネオニスタのヴィッレ・ヒルトゥラさんは、フィンランド政府が日本の状況を見て、日本に向けての出国を許可しないという事態となり、来日がかなわなくなってしまいました。そこで、編成を変更してお送り致します。

バイオリン・・ヤンネ舘野

バンドネオン・・北村 聡

ピアノ・・中山育美

コントラバホ・・長谷川順子

*ゲスト:バリトン・・春日保人


Janne とJunko は元より、北村さんも、春日さんも大変快く協力して下さっており、とても楽しみです。



そして、横浜もやります!!

4月3日(日)関内サロン(JR関内駅徒歩3分、市営地下鉄関内駅3番出口徒歩30秒)14:00 開演(13:40 開場)

 入場料¥2800(お茶・菓子付き)
こちらは、今のところ、バイオリン、ピアノ、コントラバホのトリオの予定です。(もしかして、来られる状況になったら北村さんも・・?)


どちらも、本格アルゼンチンタンゴ、コンチネンタル・タンゴ、そして聞き応えのあるピアソラの名曲をラインナップしております。


実は、大震災、そして節電政策で、多くの演奏会、イベントなどがキャンセルとなっています。あらゆるミュージシャンは、現在の被災された地域の方々のお気持ちを考えると、大っぴらに「楽しもう!」と言えない状況であることに想い沈んでいます。

また、続く余震、免れない計画停電、急速に心配が膨らんできた放射能懸念のみならず、これだけキャンセルになってしまって今後の自分たちの生活の不安もあります。

今現在は、まだまだ先の見えない状況ではありますが、「できれば、そろそろ少し元気が出る音楽を、こういう時だからこそ聴きたい」とおっしゃって下さるお声に押されて、「やりましょう!!」という気持ちになりました。


そうと決まれば、やります!!


「応援よろしくお願い致します」と大声では言いづらいですが、小声で、ヨロシク・オネガイ・イタシマス。

アスピア・ホールの方は柴田さんへFAXでご予約願います。03-3429-3183

関内サロンの方は、私、または小笠原さんへお願い致します。090-3864-5522


もう一度、小声で、

     よ ろ し く お ね が い し ま す う













瀬谷保育園・卒園式

2011-03-24 12:13:49 | Weblog
鳩の森愛の詩保育園の姉妹園《瀬谷保育園》の卒園式が3月20日に行われました。
今年は、3月6日の《あすなろ保育園》、3月13日の《鳩の森愛の詩保育園》に続いて、三園全部のお祝いに参列させて頂きました。

   

瀬谷保育園は鳩の森系列になって6年になりますが、初めて一人一人の歌を歌っての卒園式となりました。

子供たちと先生たちの元気な荒馬おどり、お父さんたちの勇壮なロックソーラン。

 

そして一人一人お立ち台に立つと皆でその子の歌を歌います。



その歌詞が書かれた卒園証書が手渡されます。



私が曲をつけた、しゅんくん。立派な姿です。



そして「大きくなったら・・」と抱負を述べます。




在園の子供たちも元気に歌っていました。来年は自分たちの番です。




もう一人、私が曲をつけた、みらいちゃん。高々と卒園証書を四方に見せます。



堂々とした態度で立派でした。


最後はダッコリレーで退場。一週間前の《鳩の森》では、私がピアノを弾いていたので、こうやってやっていたのか・・と見られました。
 


三園とも命と平和をテーマに『共育て共育ち』のポリシーで一人一人を大事にやって来ているのに、少しずつカラーの違いがあるのが面白いです。園舎内で熱気にあふれる《あすなろ》、三園の中では老舗なだけにどこか都会っぽい雰囲気の《鳩の森》、《瀬谷》はとにかく優しさと、素朴なまとまりを感じました。


別室で来賓にお昼が用意されました。



《鳩の森》の給食の先生たちによる”プロフェッショナル” な松花堂弁当でした。




これで《瀬谷保育園》の卒園式は終わり、横浜に移動して夕方から《鳩の森愛の詩保育園》全体の歓送迎会。こちらにも参列してしまいました。


みんなの肝っ玉母さん、せぬママ




カンパ~イ!




お食事・・、美味しかったです。




瀬谷の園長、幹太さんが新入保育士さん達を紹介します。



一人ずつ隠し芸の披露。




さっきの素晴らしい松花堂弁当を作って下さった皆さん。





そして、《鳩》から巣立っていく職員の紹介。






現《あすなろ》園長で、新たに傘下に入る《宮沢》への移動で、抱負を語るかずえさん。




ご馳走になった上に花束を頂いてしまいました。まあ、余興で1曲弾かせて頂きましたが・・。




《瀬谷》の指揮者とピアニストの皆さんと。




去年退職したのにピンチヒッターとして園を助けてくれた、あよんちゃん。






最後はみんなで歌を歌ってお開きです。 




とっても《鳩の森》らしい、心温まるパーティでした。

卒園式というクライマックスに向かって、4月から一つ一つ積み重ねて来たものがパッと花開き、またすぐに4月から次のスタートです。皆さん、偉いな~。


この稀に見る”マンパワー” の集まり《鳩の森》の感動の輪の中に、参加させて頂けて幸せです。









第1グループ

2011-03-22 09:45:02 | Weblog
3日ぶりのご無沙汰でございます。

本日、また『計画停電』でございます。まさに『計画停電日和』ともいうべき、寒さでございます。
あと15分でしょうか・・。

さらに、夜の部も訪れるかも・・、という『うれしい』お知らせも届いております。

さよーなら~

世界が見ている

2011-03-19 12:11:31 | Weblog
世界中で報道されている大震災と日本。

私も海外の友人たちから、いち早く、または度々重ねて「心配している。」「無事だと言ってくれ。」「一行でいいから書いて」などとメールを頂いていて、海外からの関心の高さを私なりに実感しています。ありがたい事です。



アメリカで生活している私の友人(実家はウチの町内)のブログからの引用です。
『計画停電』の不公平さをブツブツ言っている事を恥ずかしく思います。

世界中から見られているニッポン。
今の冷静さと、前向きな精神を失わず、長期戦になりそうだけれど、助け合って前進しよう

以下、引用文です。




がんばれ日本!!
がんばれ東北!!

****************************
Subject: FW: 韓国の新聞記事

【社説】大災難より強い日本人

全世界が日本の大地震に2度の衝撃を受けている。
まずマグニチュード9.0の超強力地震がもたらした残酷な被害だ。
巨大な津波で約2000人が死亡し、1万人以上が行方不明となった。
宮城県のある村は住民の半分が行方不明になったという。
原発も心配だ。
日本政府は福島原発周辺の住民21万人を疎開させ、海水で原子炉を冷却する非常措
置に入った。
不純物の混入で原子炉を事実上廃棄する劇薬処方だ。
日本列島が連日、地震、津波、原発危機に呻吟しているのだ。

もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。
死の恐怖の中でも動揺しない。
避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、小学生も教師の引率で列を乱さず安全
な場所に移動した。
地下鉄・バスの運行が中断すると、会社員は会社から支給された緊急救護物品をかつ
いだまま静かに家に帰った。
みんな走ることもなく3-4時間ほど歩いた。
翌日はいつも通り会社に出勤した。
想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受けている。

私たちは大規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩序と混乱を目撃してき
た。
昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例だ。
「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」という声が出てきたほどだ。
ハイチが開発途上国だからというわけではない。
05年にハリケーン「カトリーナ」が襲った米国のニューオーリンズでも暴力と腐敗
が相次いだ。
こうした記憶のため、日本人の冷静さがよりいっそう引き立って見えるのかもしれな
い。
惨状を前に泣き叫ぶ日本人はほとんど見られない。
地震の混乱に紛れて強盗や殺人事件が起きたという話も聞こえてこない。
テレビの画面は、列に並んで救護食品を受け取ったり、売店の前で静かに待った後、
必要な分だけ購入していく風景ばかりだ。

ただ地震が頻発する日本の地理的特殊性だけでは、こうした現象をすべて説明するこ
とはできない。
徹底した耐震設計と速い警報システムが被害を減らしたのは事実だ。
徹底した事前教育と避難訓練も間違いなく力になっている。
一つの国の真面目も大事件を迎えてこそ表れる。
それがまさに国民性だ。
全身が凍りつくような恐怖の前で、日本人は落ち着いた国民性を遺憾なく発揮してい
る。
1995年の阪神・淡路大地震当時、意外にも20%ほど円高が進んだ。
日本の国民性を誤って判断した海外投資家は痛い目にあった。
最近の円高も国際金融市場が災難の前で団結する独特の国民性を看破したためだ。

日本人は沈着な対処で阪神・淡路大地震を乗り越えて自ら立ち上がった。
今回の大地震の傷もいつか治癒されるものと信じる。
むしろ私たちは日本を見て、韓国社会の自画像を頭に浮かべる。
災難現場でテレビカメラが向けられれば、表情を変えて激しく泣き叫ぶことはなかっ
たか。
天災地変のため飛行機が少し延着しただけで、一斉に大声で文句を言うことはなかっ
たか。
すべての責任を無条件に政府のせいにして大騒ぎしたことはなかったか。
隣国の痛みは考えず、韓国に生じる反射利益を計算したことはなかったか…。
私たちは自らに厳しく問う必要がある。
また災難と危機の際、韓国社会の節制できない思考と対応方式を見直す契機にしなけ
ればならない。
私たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138189&servcode=100§co
de=110

<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(1)

(1)待避所の譲歩
 うどん10食、50人が「お先にどうぞ」

(2)人のせいにしない
 恨んだり抗議する姿はテレビで見られず

(3)災害で手を取り合う
 議員ら政争中断、作業服着て現場へ

(4)落ち着き冷静
 日本全域で略奪報告1件もない

(5)他人をまず考える
 「自分が泣けばもっと大きな被害者に迷惑かかる」

#「お先にどうそ」「いえ、まだ大丈夫です」

マグニチュード9.0の大地震と10メートルを越える津波が東日本を襲った後の1
1日午後6時、秋田県秋田市のグランティア秋田ホテル。
停電で暗黒に変わったホテルのロビーでは奇異な場面が演出された。

ホテル側が、「電気が来るまで宿泊客を受け入れられない」と案内すると、すぐにロ
ビーに集まっていた宿泊予約客50人余りが静かに列を作り始
めた。
誰も何も言わないのに老弱者らを前に入れた。
暗黒の中に一筋の列ができた。順番を争う姿は一切なかった。
しばらくしてホテル側が、「停電で夕食を提供できない」として緊急用にうどん10
皿を持ってきた時だ。
うどんに向かって駆け寄るどころか、誰もが他の客
の空腹を心配して後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。被害が最も大き
かった宮城県・岩手県をはじめ、日本全域で人のない商店で略
奪行為があったというニュースはまだ1件もない。

#宮城県北東部に位置する南三陸沿岸地域。集落の大部分が消え、火災で黒く燃えた
森の跡だけが残っている。
津波で陸地に打ち上げられた船舶は船尾を空に向け逆さまに地面に打ち込まれてい
る。
今回の地震で最大被害地域のここでは、“行方不明者1万人”といううわさまで出回
る。
しかし大声や怨みの声は聞こえない。
避難所に集まった100人余りの住民らは日本のメディアとのインタビューでも低い
声で、「早く復旧するよう願うだけ」としながら“明日”を話
す。
誰のせいにもしない。
足りない水と毛布を分け合ってお互いを慰める感動的な場面が電波に乗っている。

日本赤十字社組織推進部の白田課長は13日、「個人と企業から寄付と救護物資が殺
到している」と話した。
政府に向かっていつも吠えていた野党議員らも作業服に着替え国を救うために裸足で
出てきた。
危機の際に手を取り合う共同体意識は日本社会の底力だ。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138172&servcode=A00

<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた(2)

#韓国で災害報道をする時に犠牲者を取材するのは普通だ。
遺体が安置された葬儀室と病院の姿が時々刻々と現れる。
しかし日本の大地震報道で日本メディアは違た。
津波で家屋と車両が押し流される場面がテレビにしばしば映るが、どのチャンネルで
も津波に巻きこまれる人の姿は見られない。
“死んだ人もこの世に残る”という日本人特有の死生観のためだが、泣き叫んだりし
くしく泣く姿もなかなか画面で見るのは難しい。
テレビ朝日のある関係者は、「災害予防のための目的の他には一般市民に大きな衝撃
を与える場面は最大限控えるというのが災害報道の暗黙的ルー
ル」と話した。
11日に地震が発生した後、津波警報が解除された13日明け方まで、すべてのテレ
ビ番組の司会者はヘルメットをかぶっていた。
このように地震の規模や被害の規模とは異なり、日本は恐ろしいほどに冷静で落ち着
いていた。理由があった。

例えば東京副都心の新宿に位置した四谷交差点にある消防署。
12階建ての建物の10階の外壁には目立つ線が引かれている。
この線は地上から高さ30メートルを知らせる表示だ。
そのそばには、「この高さは1993年の北海道南西部地震で奥尻島を襲った津波の
高さ」という説明がついている。
津波というものはいつでも自分に起こりうる問題だということを認識させ、普段の準
備が必須ということを知らせるためだ。

日本人は粘り強く一貫した災害対処教育を幼稚園の時から受ける。
机の横のフックにはいつも災害に備えて頭にかぶる防災ずきんがかけられている。
地震が発生すれば「防災ずきん着用→机の下に待避→運動場に待避→秩序確保」まで
目を閉じてもできるほどだ。
徹底した災害予防教育は小学校入学後に初めての授業で習う「迷惑をかけるな」とい
う日本固有の精神価値とともに、大型災害に落ち着いて対応す
るようにする秘訣だ。
ここには自身に訪れた境遇を宿命として受け入れる日本人の特性も作用する。

災害にあった日本人が泣き叫ぶことがほとんどないのも、「自分がそうした行動をす
れば自分よりも大きな被害にあった人たちに迷惑になる」とい
う極度の配慮精神のためだ。
災害現場で見た日本の姿。それは「日本はある」だった。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138173&servcode=A00


絶望から希望を、韓国が日本の力になろう…国民みんなで応援

いま大韓民国では日本への同情と心配、応援があふれています。
光復(解放)後、日本に対してこのように温かい感情が広がるのは初めてです。
日本が大災難に直面しているのを見て悟りました。日本は私たちの最も近い隣人でし
た。

いま大韓民国の国民は日本の痛みを揶揄する人たちに対して憤り、日本を応援する心
に対しては限りない拍手を送っています。
天災で深い傷を負った方々を助け、日本の皆さまに勇気を与えられればと思う韓国人
が列をなしています。

中央日報と韓国新聞協会はこのたびの東北地方太平洋沖地震で被害を受けた日本の被
災者の皆さまの救済の一助として、大韓赤十字社・全国災害救
護協会・‘みどりの傘’子供財団などとともに共同募金活動を行います。

日本からの要請があり次第、国内の医療・救護団体とともに医療陣とボランティアも
派遣する予定です。

原典: 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138197&servcode=400§co
de=400

一日に2回

2011-03-18 01:05:36 | Weblog
13時に『計画停電』から解放され、昼食・フレンチトーストを食べて、ブログを送信したあとは、『計画停電』スタート以来初の、一日に2回の『計画停電』に備えようと、ソーラー充電器に目一杯充電しました。


        


イケアで買ったソーラー充電式のライトです。働いて貰うには、10時間くらいは陽に当てる必要があります。

右側の小さい方は、携帯用のソーラー充電器。両方とも力強いとは言えないけれど、充分働いてくれます。


窓辺に置いて一息していたら、なんとも神々しい風景が見えてきました。


 

 富士山の天辺と太陽は雲に隠れていますが、輝きが向こう側にあって、天の岩戸を思わせる神々しさです。


 


 太陽が姿を現します。

 

 
 最後は雄大なシルエット。

 


両親としばしの間眺めていると、2回目の『計画停電』の時間が近づいて来ました。
しかし、予定の16:50を過ぎても電気が付いているので、「いくら何でも一日に2回はかわいそうだと思ったんじゃない?」と母が暢気に言うので、そうかな、と思ってピアノを弾いていると、17:20 ”ぷちっ” と来ました!

「なんだ、予告どおりやるんだ・・」


ウチは幸い石油ストーブが食堂にあり、懐中電灯をぶら下げた他、足りなければ今度はソーラー充電のLEDライトも使えます。
トランジスターラジオを聞きながらの夕食後は、ノートパソコンで『グレン・ミラー物語』のDVDを見ました。

「こんな時でもないと、なかなか見ないね」



「なんで第1グループばっかし、こんなに『計画停電』来るの?差別だ~」なんて言いながらも、家族で古い映画を楽しむことができる余裕のある状態で、避難所生活の方たちには申し訳ないと思います。

DVDを見終わる頃、電気が戻ってきました。明るくなっただけで、部屋の気温が上がった気がしました。

このところの真冬の寒さの中で、ろうそくだけの暗い、寒い体育館の方々は、想像しても想像できない、命がけの状態。大変だろうなー、と思うばかりです。一刻も早く、助けてあげてください。





 


ぷち耐乏生活

2011-03-17 15:26:16 | Weblog
『計画停電』第1グループ。

一昨日夕方に続いて、昨日は午後1時から4時までありました。
風は強かったけれど、晴天だったので、暖房なくても困らない時間帯。
昼食後はピアノを弾いていました。


一夜明けて、今朝の富士山。



くっきり見える=寒い。


避難所の方々は、どんなに大変だろう・・と思います。想像を絶する大変さなんだろうと思います。

体調を壊して亡くなられた方がけっこういらっしゃると聞きました。せっかく災害から逃れられたのに、凍てつく体育館で動けなくなってしまわれた、とか・・。被災された皆さん、本当にお気の毒です。


それを思えば、『計画停電』くらい、大した事ではありません。

・・とは言うものの、今朝は、ちょうど自衛隊のヘリコプターが原発の真上から海水を落として命中しないテレビを見ていたら『ぷちっ』と電気が切れました。ああ、また来たのね。

「詳細はインターネットでご覧下さい」と言われても、停電中はネット繋がりません。メールも出来ないし、今日は、午前中に日が当たるピアノ横の出窓で、遅れている確定申告用の領収書の仕分けをしました。10時から丸3時間。12時を過ぎると日が回って当たらなくなり、だんだん冷えて来ました。でもそのままやり続けました。

途中、なぜか現金が入った袋が出てきたり、エコポイント申請の紙が出てきたりして「計画停電のお陰?」なんて笑っちゃったりもしましたが、とにかく冷えてきて、「これは止めるべきか」と思った頃、『ぱちっ』と電気が付きました。


やっぱり、停電中は妙に緊張しますね。何も考えなくて良い『日常』以外のことだから。
そして、電気が戻ると、解放されて、むさぼるように付けたくなっちゃう。これって、かえってマイナスじゃない?


そして、ありがたいニュース。「第1グループは、今夜2度目の計画停電を実施が決まりました」
また・・ですか。


都内23区の殆どのように、どのグループにも含まれない地域、横浜市内にも免除になっているエリアがあったりもします。それを思うと、一方では「被災地の事を思えばどーって事ない」と想いながら、差別されているような、僻みたくなるような気がしなくはないです。

まあ、都会じゃないから、オットリした住民の、治安の良い地域と見なされている・・ってことでしょうか?


今夜の夕食時は、懐中電灯とトランジスターラジオで過ごすことになります。せめて、耳が痛くならないマシなラジカセでラジオを聞きたいと思いましたが、単2電池がありません。ドンキホーテに電話をしたら「ありますが、一家に1個です」と言われました。6個ないと鳴らないんで諦めます。



 「停電は、暗くて寒くて、不公平」
 「安全を 時報のたびに 確かめる 余震とがまんの 計画停電」
 「安心を 学んでおこう 非常時に」
 
 「また来るよ 1ぷち2ぷち 耐乏生活」








計画停電

2011-03-15 22:02:19 | Weblog
大地震による原発事故で電力が足りなくなる事への対策として、昨日から『計画停電』が、突然昨日から実施されている。

日曜日の夜、とっくに寝てしまった人も沢山いたでしょう10時を過ぎてからの発表で、流石に翌朝すぐには実施されなかったけれど、首都圏から少し遠い静岡、山梨、茨城、千葉の一部で夜になってから『計画停電』が初実施され、今日は朝から近郊でスタートしている。

電車会社が本数制限したり、運休したりで、大混乱。

そして、今日の夕方、ウチも含まれる第1グループの番が来た。15:20~19:00 の枠内で、16:02 にぷちっと電気が切れて、TVをはじめ、電灯、電話、パソコンの充電ランプ・・みんな消えた。電話の子機には「ガイセン、ケンガイ」の文字。


まあ、こういう時はピアノを弾くに限る・・と思って、ウォーミングアップのルーティン、バッハ、ショパン・エチュードなどをさらって、「この際、気分だけでも」と思って、メンデルスゾーンの”春の歌” を弾く。18~19℃ほどで、手もなかなか温まらないし、暗くなってきたので止める。


パソコンのメールを見よう、と思ってMacBookを開けると、電波が来ていない。モデムもルーターも電源が切れているからだ。そーか、停電だとメールも出来ないし、ネットも出来ないんだ。


出窓から外を見ていた父が「見てごらん、電気がついている所があるけど、あれは何処だろう」と言うので、私も見てみる。

        

        第1グループと違うエリアなんだな、きっと。


        

        自家発電を持っているのかな・・。


夜の帳が下りてくると、灯りはよりハッキリと見えてくる。小学校と思われる灯りも見える。

あと1時間で終わる・・と想いながら、バンドネオンの池田くんからのアルゼンチン土産のランプを点滅させてみた。


        

        私のように薄暗い外を眺めている人がいるかな・・。



あと1時間、という余裕と、家族と居る安心感があるから「これも一興」と思える。下では、キッチンでペンダントライトのランプシェードにひもで懐中電灯をぶら下げて母が夕食の用意をしている。母も「こういうのも面白いじゃない?」なんて暢気なことを言っているが、毎日これじゃ、きっとツライだろう。


そういえば、計画停電のグループ分けだけど、東京23区はやらないの?足立区、目黒区、大田区、荒川区、世田谷区はあるけど、それ以外の区はやらないの?不公平じゃない? 3時間は長いから、1時間ずつでも、みなでちょこちょこ”計画” して停電すれば公平だけど。

ゴミ当番も自分がやればキレイに捨てるようになるけど、皆が平等に停電に耐えた方が、皆で省エネやれるんじゃない?痛みを知らないと、ヒトの痛みは分からない。



昨日のイトーヨーカ堂。営業時間が限られるので、人が殺到して、レジに並ぶ長い行列ができていた。

        


        そして小品が無くなった棚。

        


        気味が悪かった。それでも、殺気立ってはいない。


「16日までに、再び巨大地震に襲われる確率は70%」とTVで言う学者がいたせいか、買いだめムードになっているのだ。

まだ、穏やかで冷静でいるけれど、懐中電灯用の単一電池が何処にも無い。ダイジョーブか、ニッポン!?








鳩の森愛の詩保育園・卒園式

2011-03-15 12:00:26 | Weblog
大震災から2日後で、心配されましたが、横浜市泉区弥生台の《鳩の森愛の詩保育園》の卒園式、日曜日に予定通りに、近くの小学校の体育館で行われました。園長の”せぬママ” は仙台ご出身。福島に祖父母がいらっしゃる園児もいたりするのですが、今年は「何とかご無事で!」の祈りを込めた卒園式となりました。


        


先ずは、元気に子供たちの荒馬おどりの披露です。一人一人の歌の歌詞にも頻繁に出てくる「ラッセー、ラッセー、ラッセーラ!」のかけ声で登場します。

   
        


足も腰も、身体が丈夫でないと踊れないステップを見事に踊る子供たち。3歳児4歳児の可愛いかけ声。みんなが健気に一生懸命で、感動して涙をこらえるのが大変です。


        


        先生たちの、迫力のある演技。

 


最後は、手綱をぐるぐる回しながら退場します。その立派な姿に感動します。


        



        次は、お父さんたちの出番です。『ロックソーラン!』


 


 

 
すでにコンサートや運動会など、ことある毎に披露しているので、流石に踊り慣れて上手になっています。


 


リーダーの、りおぴーのお父さん。歌に歌われた通り、カッコ良かったです。



        お父さんも子供たちも急いで晴れ着に着替え、そして、いよいよ卒園児の入場です。


        


        リハビリ中のミッチャンが一人一人に握手をして迎えます。



一人一人お立ち台に立つと、みんなで歌います。指揮とピアノ、前半は田辺先生父娘チーム。後半の我がチームの写真はありません。


        


        私が曲をつけたみゆきちゃん。トップバッターでした。


 

歌詞の書かれた卒園証書を受け取って、高々と見せます。そして「大きくなったら**になりたいです。なぜかと言うと・・」


 子供たちの晴れ姿を見守るお母さん、お父さん・・。

 


所々、りえちゃんのトランペット、まなちゃんのフルート(私が伴奏の時だったので写真が無くてごめんなさい)指揮者・新井さんのマンドリンも入りました。

 


功労者としてとつぜんお立ち台で花束を受けて照れる、みゆきちゃんのお兄ちゃん、たすく君。兄弟三人、お父さんお母さん一家全員で歌ってくれました。

 


OB のお父さんで毎年、合唱団にさんかして下さる原さんもお立ち台に呼ばれて、戸惑いながらも嬉しそうでした。

 


こういう方たちが、善意の輪を広げて下さるんだなあ、といつも思います。


自分の伴奏風景はいつもながら無いんですが、最後に子供たちが抱っこリレーで退場する時に、今回は新井さんにマンドリンでメロディを弾いて頂き、無事に終了。


終了後、来賓の方々と、姉妹園のあすなろ保育園に行って、軽食打ち上げ。心のこもったチマキおこわをご馳走になりました。


        




10時半の少し前ころに、弱いながらも少々長い地震が揺れて、一瞬緊張した空気になりましたが、何の問題も無く、先生たちが急いで出入り口の確保をしただけで、すぐに再開。皆さん、気持ちよく、全21人分、21曲を歌い切りました。これから困難も来るかもしれないけど、みんなで立ち向かおう、という気迫、気概に満ちた、感動的な卒園式でした。


みんな、逞しく立派な大人になって、幸せな人生を歩んでほしいなあ。 







大地震

2011-03-11 23:40:03 | Weblog
長く、イヤな地震でした。皆さんのお宅の方は大丈夫でしたか?

縦揺れではなかったので、家が壊れるほどではない、とは思いましたが、とにかく長いので、これは震源地の方ではさぞ大きい地震になっているのかもしれない・・、そう思ってイヤ~な感じがしました。

幸いウチでは食器ひとつ割れはしなかったけれど、あいかわらず片付けていないピアノの上のお雛様の屏風とぼんぼりが倒れました。あと、私の部屋の、本棚に入りきらずに平積みにしてあった本などが崩れ落ちていました。


        

これは、まるで震度5ででもあったかのような惨状に見えますが、単に日頃の片付け状況が悪いだけです。片づけました。


夕日の輝き方が二重、三重に幕が出来ているみたいな変な空。初めて見たので撮りました。


        

地震があったせいで、ちょっと気味が悪く感じました。


夜になって、東北の被害が大きかったことが分かってきました。イヤだなー。明日になったら、きっともっとイヤなニュースが出てくるんでしょうか・・? 福島の停電の避難所の方たち、お気の毒です。

電話も、携帯も、こういう時にパンクしないだけの備えができないものなんでしょうか?こんな緊急で最も連絡が必要な時に大して役に立たないとは、存在意味がありません。

ん~、また余震だ・・。


今まで経験したことが無いような、地面がどうなっちゃうか分からないような事が、起こるんですね。これは、本気で備えないといけないですね。