室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

話題の”脳内メーカー”

2007-07-31 02:44:20 | Weblog
”脳内メーカー”というのが流行っているらしい。
名前だけで、脳内のイメージが出てくる、と友達に教えられて見てみた。私の名前で見ると、頭の中が”幸せ”でいっぱいになっており、真ん中に”休”の一文字がある。これって、自分の事を幸せだと思っているという意味? うーん、オメデタイ性格、という意味?

思いつくだけ、自分の周辺の人々の名前を入れて見てみた。「なるほど!」と思うケースもあれば、「まさか?」も有り、殆ど”食”の字の人、”秘”が”嘘”で囲まれている人・・笑ってゴメン!

”うそこ大学”? ”うそっこ”か? 中のコンテンツをすべて覗いてはいないけど、”相性”を試してみた。二人の名前を入れると、お互いにどういうイメージを持っているか出てくる。”愛””気””友”など、好意的な文字もあれば、”怒””逃””無”などのマイナスイメージもある。”抱”も有れば”H”も有る。

”犬”って何?

一時流行った”動物占い”のようなモノか? 星座や、干支や、血液型よりは、くくりが細かい、というか、根拠が分からない。けれど、そう云われると「そうか?」と思ったり、「とんでもない」と思ったり・・。それでいて、眉にツバつけながら話題にできる。

よく考えついたものだ。






国民はチョロイ・・か?

2007-07-29 00:27:45 | Weblog
明日は、参議院選挙。
そういえば、今回は、選挙カーが、町内まであまり来なかったなあ。
名前の連呼と、「宜しくお願いします」の嵐は、うるさいし、あまりに能がないけど、あんまり来なさ過ぎるのも、やや心配だ。とうとう忘れ去られた、見捨てられた”村”になったのだろうか、我が平和台町内会は?

今まで、選挙を棄権した事は・・たぶん無いと思う。選挙で政治に参加できる議会制民主主義になるまでの、永い永い歴史を思うと、第2次世界大戦の多くの犠牲を経て得た民主主義である事を思うと、もったいなくて棄権できない。しかし、当選率は高くない。当選しそうな人に入れる、という考え方(勝ち馬に乗る)はしない。かと云って、票を捨てているつもりはない。
真の民主主義というのは、”多数決”という意味ではなく、多数の意見が採用されるにせよ、反対意見があったことをきちんと受け止め、何らかの形で活かす事だ、と大学で学んだ記憶がある。(音大だけど・・)


年金問題、閣僚の事務所経費問題、失言のてんこ盛り・・。これだけ”逆風”と云われて、それで体制に影響のない結果が出たら、「マスコミがいくら騒いでも、国民はチョロイ」という事になるんじゃない?

明日が、楽しみのような、オソロシイような・・。






ちちんぷいぷい・・?

2007-07-25 14:04:37 | Weblog
私の”プリ号”(トヨタ、ハイブリッド車、プリウス。色=ダークブルー)の助手席のシートベルトが、カチッと嵌らなくなった。底まで入れる事ができず、カムが嵌らないので、おまわりさんの手前、右手で押さえっぱなしにするしかなかった。

「こういう修理って、そんなには高くないかなあ~。まるごと取り替えとなると、高いかな~」などと話しながら駅まで父に送ってもらって、その足でトヨタへ行ってもらった。

夕方、また駅まで父に迎えに来てもらって”プリ号”に乗ると、シートベルトが直っている。 
「トヨタへ行って下さったのね? いくらだった?」と聞くと、
「それがさあ・・」
以下、父の話。
トヨタで「お茶を飲んでお待ち下さい」と言われて、雑誌をぺらぺらめくっていて、まだお茶に口をつける前に「お客様」と呼ばれて車を見に行くと、技術者が「どこが壊れたんでしょう?」と聞いてきて、「ほら、このシートベルトが・・」と入らないのを見せようとしたら、カチッと嵌り、直っていた・・と。

「”ちちんぷいぷい”で直ったんだよ」と言う父。当然、修理代は無し。トヨタのディーラーに行っただけで直ってしまったというのか?

そもそも、最初にシートベルトが故障した時というのが、恐ろしくも恥ずべき事件だった。私と母が、父を病院へ送って、父が病院玄関で降りる時に、まだドアを閉める前に、勘違いして、私がアクセルを踏み、父を転ばせてしまったのだ。助手席にいた母があわてて降りて助け起こし、父が「大丈夫だよ」と言って病院内へ入ったのを見届けて再び車に乗り込んだら、シートベルトが嵌らなくなっていた。何故父を転ばせるような事をしてしまったのか、我ながら大変ショックで、しばらく口が利けなかった。その後、母を送る場所まで、道に迷い、同じ所を回ってしまたりもした。益々あぶなかったかも・・。

初めは、母が怒っていてシートベルトを入れる事に手間取っているのかと思ったけれど、私が試してみても、入らなかった。母と私が受けたショックが”プリ号”に伝わって故障し、父がトヨタに連れて行っただけでショックが溶けて、直ったというのだろうか?
恐るべし、ハイブリッド車 まさか~

千の風に・・

2007-07-22 15:03:18 | Weblog
昨日は、千葉県の印西へ東京室内管弦楽団ストリングスで行った。
依頼書に書いてあった最寄りの駅、”木下”。電車のアナウンスで”キオロシ”と読むことが分かり、ビックリ!タクシーに分乗して、印西文化ホールへ。

新しめの綺麗なホールで、響きも良く、ピアノも良いスタインウェイが入っていた。弦楽オーケストラと、司会を兼ねたソプラノ歌手。それに私がピアノとチェンバロ。
前半は、バロック音楽。ヴィヴァルディの”四季”と日本の”四季”をミックスした”四季&四季”をやった。若手のヴァイオリニスト井戸柄里さんが、初めてソリストになった。にこにこしているのは、いつも通りだけれど、綺麗でリッチな音色で、意外なほど謙虚で、本番では、よりのびのびと素敵な演奏をした。

後半は、チェンバロとピアノの違いの説明と聴き比べなどを入れて、この日のために私が編曲した”ふるさと”と”千の風”や、ディズニー・メドレーなど、ポップスも含めて名曲を演奏した。夏休み始めのファミリーコンサートで、満席とはいかなかったけれど、大きな拍手に包まれて終わった。

終演後、昔の生徒で、印西に越していった母娘が、楽屋をたずねて来てくれた。何年か前にも、お母さんの方は、タンゴのコンサートに来て頂いていたけれど、その時は、直接は会っていなかったと思う。だとすると、本当に久しぶりの再会ということに・・。元生徒本人も、小学校の低学年だったのに、すっかりキレイな二十代。おそろしい~こっちゃ・・。
知らぬ間に、時間は、時代となって・・つながっているけれど、過ぎてゆく。

実は、4日前に、母のすぐ上の伯父が亡くなった。3日前がお通夜。2日前がお葬式。
福山という遠方で、昨日の為の準備もあり、私は行かれない状況だった。両親が新幹線に乗って駆けつけるための、交通手段や、親戚の分も含めて宿泊先の手配をインターネットで手伝うくらいしか出来なかった。

伯父は、家族思いの、心温かな人だった。小学校5年の時に、弟と、弟と同い年の従兄弟とで夏休みに1週間も泊まりに行ったことがあった。今思えば、そのために伯父は休暇を取ってくれたのかもしれない。毎日、色んな所へ連れて行ってくれた。有名な瀬戸内海の”鞆の浦”へも連れて行ってくれた。男の伯父が洗濯機に私たちの洗濯物を入れて洗濯してくれた場面を、なぜか鮮明に覚えている。あの時に、すでにグランドピアノがあったなあ。その1週間の間だけ、弟は私を「お姉ちゃま」と呼ばされ、帰って来てからは、すぐに愛称に戻った・・なんて事もあった。

10年ほど前に胃ガンが発病して、完治したと思っていたのに、2~3年前から再び入退院をし出し、今年になってからは「秋頃か・・」と医者に告知された、と聞いていた。伯父から貰ったフクロウのクリスタル時計の電池が切れて止まっていたので、「これは、いけない。電池を入れて動かすから、元気になって!」と願っていたのに・・。一切治療は受けず、痛み止めだけしてもらいに病院へ行っていたそうで、病院で容態が急変し、家族も間に合わなかったらしい。自分の運命を受け入れる潔さは、どこから来たものなのか、生きているうちに聞きに行きたいと思っていたのに、聞けずじまいになった。

クラシック音楽好きだった伯父。もう会えなくなってしまった。”風”になったのだろうか・・?








TV どーする?

2007-07-19 22:59:07 | Weblog
家の食堂のテレビが壊れた。
横線がいっぱい入っている。どこか、線が抜けたのかと思って、ジャックの入れ直しをしたけれど、変わらない。次にする事としては、誰でもやる事。そう、叩いてみた。ん?少しマシになった?いや、やっぱし、余り変わらない。

電気に関するちょっとした事を聞ける電気屋さんに電話してみた。
「'93年製? あ~、それは壊れましたね。修理したら直るかもしれませんけど、直らないかもしれない。修理も安くはないから、買った方が早いかもしれないですね~」そうか・・。 ノージンジャー、と思いながらも、何を買うべきか、決められない。

うちのエリアは、防衛施設庁(?)による”有線アンテナ”でTVを見ている。近くに米軍の通信隊があり、アンテナ群のせいでテレビの映りが悪いからNHKの受信料を払わない、と言い張る家が何軒かあって、もう20年になるだろうか・・。ケーブルテレビとは違うのだが、BS1とBS2は自動的に受信できる。それ以前にBSアンテナを付けたのがバカバカしい位だが、仕方ない。しかし、地デジに関しては、自動的には行かないらしい。コンバーターか何かが必要になるらしいが、まだハッキリしていない。ビデオデッキも壊れており、DVD&VHSのが欲しいのだけれど地デジにするかどうするかで、決断がつかない。テレビに地デジチューナーが付いていれば、ビデオデッキには要らないのだろうか?その組み合わせの相性なども有るのだろうか?

液晶TVにするべきか、プラズマにするべきかも、決まらない。こういう時の合い言葉は・・「保留」 またまたノージンジャー

アストロノーツ in 銅鑼

2007-07-14 21:37:28 | Weblog
台風の中、銅鑼ライブで演奏して参りました。
今日は、下間哲Cor.さんがリーダーの”哲楽団”と、三美女ヴォーカルチーム”スリービバリーズ”の華やかな演奏のあと、私たち”アストロノーツ”の淋しいデュオ・バージョン登場となりました。

気がつくと、シーンと静聴されてしまったようで、こちらがビックリ
タンゴ&ジャズというサブタイトルなので、今回は"Bei Mir Bist Du Scheon"(邦題、素敵なあなた)を用意して、たぶん一番長い時間をかけて練習して持っていったのですが、”スリービバリーズ”の1曲目でやられてしまいました。早いモン勝ちなので、ノージンジャー
諦めて、タンゴだけになりました。

割り当て時間が少なくなりそうだったので、40分一本にしようかとも思いましたが、曲数を減らして、結局30分弱を2本やらせて頂きました。1本目が終わった時にリクエストを頂きました。幸い持っていて、カットしようかと思っていた”コラソン・デ・オロ”だったので、カットをしないで入れる事にして、”降る星のごとく”をカットしようかと思ったら、ベースの助っ人を頼んだ田野重松さんや、”哲楽団”の面々に「やらせて~」と云われ、アンコールにお応えしてしまったので、”エル・エスキナーソ”もやってしまいました。

田野さんや、アストロでは毎回レギュラー助っ人のジャズギターの阿部寛さんにも入って頂いて、なんだか大変盛り上がってしまいました。気のせいか、皆さん興奮気味なくらいでした。ありがたい事です。

池田達則氏、ずいぶん頼もしくなりました。この写真だと、「どこかの人の良いオバサン」のように見えますけど、ホントは、癒し系の可愛い顔してるんです。いずれ良く撮れてる写真を頂けたら、差し替えましょう。




アストロノーツ(タンゴ&ジャズ)ライブ

2007-07-13 02:24:57 | Weblog
明後日、14日。正確には、もう明日なんですが、新宿三丁目、都営新宿線C6出口、地上に出て目の前のビルの地下、銅鑼でのライブに出演します。
久しぶりの出演ですが、ベース(タンゴではコントラバホと言います。ジャズではスーベですが・・)の大熊慧さんは都合がつかず、バンドネオンの池田達則氏とのデュオです。

池田くんも大学を卒業して、学生っぽさが抜けて、頼もしくなってきました。古典からモダンまで、手に入る資料は何でも、iPodと彼の頭脳に蓄積されています。別の言い方をすれば、”マニア”なんですが・・。うちでは、”オボッチャマ君”又は”バンドネオン小僧”と呼んでいます。いつもニコニコしている穏やかな性格で、感情的になったところを見たことがありません。場の空気が読めて、”体育会系”というのとは違うのですが、大人に対して気を遣うイイ奴なので、大人に可愛がられます。周り中から期待されています。今、ビリーズ・ブートキャンプのDVDでダイエットをやっているそうで、そっちも期待しています。

今回は、下間さんの”哲楽団”とご一緒の日に当たりました。そちらもお勧めです。もう一つの”スリービバリーズ”も良い演奏をするグループだったと思います。アストロノーツ”Duoバージョンは厳しいですが、バッチリやらないとね・・。
お時間おありになる方、応援よろしくお願い致します。


8年目の初おめもじ

2007-07-06 15:48:56 | Weblog
以前から、私の編曲のピアソラ・シリーズを買ってくれていた、イタリアはシシリー島のシルヴュー・ディーマさんから「今度、日本に行くから、会えたら会おう」というメールがひと月前に来ました。”トリオ・シシリアーノ”というカッコいい名前のユニットのバイオリニストで、彼等の為に編曲をしてあげたこともある、という付き合いだったのです。

でも、今回は”テアトル・マッシモ”のオペラ公演で来るという話で、あらまあ、シルヴューはマッシモ歌劇場の団員だったんだ!と分かりました。そのうちに新聞で、引っ越し公演の記事が報道されて、これはイタリアでもランクの高いマッシモ歌劇場だと知りました。その後のメールで大まかなスケジュールが分かり「東京に着いたら、連絡する」という約束をしました。

オーチャード・ホールでのオペラ公演はなんと云っても高くて、行かれなかったのですが、コンサートがあることが分かり、そちらならオケがステージ上にいるから見えるし、と思って、イタリア・ファンのおじ様に付き合って頂いて、コンサートを聴きに行きました。居丈高ではなく、むしろ素朴ささえ感じる、でも質の高い、予想以上に素晴らしい演奏会でした。超有名人はいなかったけれど、充分に堪能できる実力のソリスト陣、素晴らしい合唱団、心地よく決めてくれる指揮者、そして美しい音色の優秀なオーケストラ。
前の日にインターネットで確認したシルヴューの顔を探すと、コンサートマスターの隣に座っています。しかも、燕尾服姿が群を抜いてカッコいい!

終演後、ホール正面玄関で会う約束をしたのですが、あちらは、私の顔を知っていたかしら?そういえば、個人的なことは、お互いに何ひとつ知らない・・。そう思っていたら、すぐに私を見つけて、やって来ました。ん~、感激の出会い「知ってる?8年目にして、初めて会ったんだよ!」そうか、そんなに時間が経っていたんだ!とりあえず、ドリンクを飲む場所を探しながらも、渋谷の街を興奮しながら、コンサートの事、日本に着いてからの事など話を聞きました。

そして、翌日、銀座でランチを頂きながら、ゆっくりと色んな話ができました。どんな演奏家が好きか、どんな所へ行った事があるか、どんな宗教観を持っているか・・。
シルヴューは、ルーマニア出身で、小さい時から英才教育を受けていて、16歳の時に、室内合奏団のソリストとしてイタリアに出た時に、スカラシップを貰って勉強できる事になったけれど、チャウシェスク時代だったために、お父さんは一緒に出られず、国に残った家族には、少ない物資しか供給されなかったりして、苦労をしたそうです。そしてイタリア各地で研鑽を積んで、シシリーでオケに入り、最初にいたオケで10年前にも日本に来たそうで、その時は、日本の後で北京にも行き、中国で演奏した初めての西側のオーケストラとなったそうです。今は、イタリアの中でも一番気に入っているパレルモで家族と楽しく、幸せに暮らしているけれど、ルーマニアはまだまだドサクサの社会で、資源があるので、海外資本に入り込まれ、搾取されているのと、貧富の差が大きくなっている事を憂いていました。

朝8時に子供を学校に送ると、月水金はジョギング、火木土はスイミングをして、午前中に2時間練習・・という生活をしているそうです。「そうでないと、コンサートマスターの責任を果たせないよ」そう、彼はコンサートマスター職だったのです。ちゃんと自分を律して、きちんと良い生活をしている様子がうかがえます。

「日本庭園を見たい」というので、食後に、小石川後楽園を案内して、それから浅草浅草寺へ行きました。仲見世を歩いていたら、マッシモの合唱団の女性二人組みと偶然出会い、お土産品の事を少し聞かれて、多少アドバイスをしました。本堂の中身が意外に見えたのですが、天井絵などを見て「イタリアにいるとね、世界の何を見ても感激しないんだよね」そーか! 世界最高のゴージャスな教会や、神への捧げ物がふんだんに、絢爛豪華に飾られている国ですものね。東京では、なかなかそういう物が無くて、情けない思いをしました。

「日本では、音楽家の地位はどうなの?」と聞かれ、「アウトサイドよ」と答えました。 ヨーロッパで「音楽を生業としている」と紹介されると、「ほう、それは素晴らしい。ソルフェージュなども勉強されたんですかな?」という反応をされるのに、日本では、教養がある一部の方達は、尊敬の眼差しを投げかけて下さるけれど、大多数の一般の方からは、「へえ、音楽家?へえ~」で、終わり。

私はシルヴューの中に、自分の見知らぬ世界の広がりが見え、また、勤勉な努力の尊さを学びました。貴重な出会いでした。