市民意見広告運動事務局だより

9条の精神に立ちかえり、核のない社会を実現しよう!
5月3日の新聞に意見広告を載せよう! 

メールで寄せられたご意見などその14

2008年05月04日 14時06分38秒 | 意見広告掲載日
新聞の広告見ました。高校3年生の女です。2010年にはちょうど20歳になります。
広告を見て考えたことをお話させてください。私の学校では学習旅行というのがあり水俣病、ハンセン病、原爆について学びに現地を訪れ実際に被爆者の方やハンセン病回復者の方、水俣病患者の方にお話を聞かせていただきました。事前学習ではVTRや授業で色々なことを教えてもらいました。これらのことは昔話では決してありません。政府によって人権を侵害され、戦争によって平和な生活を侵害された過去がまた繰り返えそうとされているのではないでしょうか?過去のことをどれだけ国民は知っているでしょうか。私も全てを理解できたなんて思ってませんが学習旅行を通して今までの勘違いや自分の無知さを痛感しました。このように少しでも過去を正しく理解して未来を見つめる機会を1人でも多く持つことが大切なのではないでしょうか?正しいことは何かを見つめなおさないと同じ過ちを繰り返すことになりかねません。みなさんのこの運動は大変だと思いますが大切なことだと思います。まだ選挙権もないし無力な人間ですが何かできることを探していきたいと思います。



君たちの「崇高な理想」とは、君たちの安全と生存(命)を、諸国民の公正(正義)と信義(信頼)という存在しない仮想のものに預ける事のようだ。なんという馬鹿げたことか、なんという恥ずかしさか、自分たちのことを、自分たちで守ろうとしないという決意とは、なんという無責任達なのか。そうやって、61年間、お前たちは、自分達さえよければと言う思いで、9条に自縄自縛してきた。

9条は、その2項にある、「国の交戦権は、これを認めない」に虚偽、虚構がある。25条の「生存権」もそうだが、人権はじめ、自衛権、交戦権も皆、人類思想史が作り出した自然権という概念に過ぎない。自然権である交戦権を認めないという事は、人類思想史に対する反逆であり、冒涜である。25条の生存権も、書かれている定義的な事は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とされているが、「健康で文化的な生活」などは、国民一人一人が自分で決める事だ。不健康かつ非文化的な生活を送ってる人間は、たくさんたくさんいる。最低限度の生活は、社会保障、社会福祉、公衆衛生の向上・増進を指すだけのこと。大体、法律に自然権を、生の形で書き込むというのが、異常なのだ。

9条は、既に現実に裏切られている。形骸化している。実質的には軍隊とも言うべき武力装備を備えた自衛隊あり、更に、この日本国土に、日米安保条約により、強力なアメリカ軍隊がいる。軍隊を持たないという9条は、軍隊の存在を許してる。自衛隊は、虚言でしかない「交戦権の否認」により、軍隊ではない。結局、お前たちは、他者依存のニート達、安楽好む精神的な堕落者達だ。

メールで寄せられたご意見などその13

2008年05月04日 14時03分44秒 | 意見広告掲載日
新聞の広告に依ると 憲法第九条の尊守を願って居ますか?九条は敵対国が尊守してくれなければ 自国が守っても何にもならない訳で、日米同盟から離れ、日本は戦闘の目標になっても無抵抗で命を守る事を捨てようという事ですね。多分近い内中国やロシアがアメリカを越すでしょうが、其の時 中国にもロシアにも着かず 無防備で チベットの様に属国化せず 無抵抗で戦わず シベリア送りの様な目に逢っても平和を合唱出来るそね勇気に感動しました。まるで 虐げを受けていた初期キリスト教徒か ナチ時代の今のイスラエルの人々の様です。憲法九条尊守の為には多少の自国の犠牲は止む終えないという偉大な意見広告に古くからの日本特有の三島由紀夫に見る滅びの美学を感動さて見せて頂きました。此からも滅びの美学を極められます事を祈って止みません。。


世界は9条を選び始めた。」

何処の国がですか?
そんな事を言ってるのは日本だけ。

質問なんですが、もし中国や北朝鮮が攻めてきたらどうやって国民を守るのですか?

防衛の為の軍隊は絶対必要ですよ。

馬鹿みたいな事言うな。

メールで寄せられたご意見などその12

2008年05月04日 14時02分28秒 | 意見広告掲載日
改憲賛成です。日本人が外国で内戦や紛争に巻込まれた時に誰が助けてくれるのですか?日本の警察ですか?それとも現地の警察ですか?もし仮に隣りの国が攻めて来たら?米軍は国の主要機関を守っても、一般人を守ることは無いですよ。そんなことは無いと言えますか?先進国の中で軍事力を持っていない国はありますか?過去の過ちは過ちとして繰り返さない事こそが大切で、また軍事力を持ったからと言って同じ事を繰り返す程我々日本人は愚かでしょうか。武力で平和は作れなくとも、平和は守れると私は思います。

僕は憲法改悪には絶対反対である。と言うのは、どうも今の憲法を変えて戦争出来る国にしたがっている政治家達の後ろには戦争は儲かると 思っている財界人がいるような気がしてならないからだ。罪も無い無数の犠牲者を、ごく一部の人達が嘲笑うのかと思うと恐ろしい気がする。金儲けのために戦争をするくらいなら、他にやることがあるだろうと思っている。上手く言えないけど、これが僕の意見である。

メールで寄せられたご意見などその11

2008年05月04日 14時01分01秒 | 意見広告掲載日


私は留学によって、外から日本を眺める機会を与えられた、混血でもない列記とした日本人です。

「武力で平和はつなしくれない」「9条の実現こそ平和への道です」と言われます。

しかし、誰にも何に対しても一切の影響(犠牲)を与えずにある物事を実現するなどは絶対に不可能です。 
もし、それが可能というなら、それ単に妥協しているからです。 日本では、「出る杭は打たれる」といいます。 これを皮肉ったのに、「みんなで...すれば怖くない。」がありますね。
でもこれは、地球標準(日本以外の殆どの国の常識がこれに近い中、日本だけがその標準かずっとかけ離れたところに在る)からすれば、地球上、恥ずべきこと。 恥を知ることに重きを置く日本人がこれを恥と思わないのはそれこそが国家の恥。 また、四十七士(四十七士)も美化しますが、これは英語では “Forty-seven Terrorists” と訳され、現代社会でいうところの
テロリスト集団です。 日本はテロリストを賞賛するのでしょうか? 
日本はアメリカから、「自由」の考えを輸入しました。 しかし、先でいう地球標準では、「自由」は他人に迷惑をかけないというマナーを実行できた上で初めて与えられる権利であるはずです。 しかし日本では、他人にどんな迷惑がかかろうが構わず自分のやりたいようにすることが自由とされています。 これは自由ではなく単なる利己です。 国内の報道の自由もおかしいし、商品化の自由も地球の恥です。たとえ経済効果があろうと、社会に悪影響を及ぼすことが予測できる発明物は商品化を許可すべきではないはずです。 ニーズとは経済効果ではなく、相対的に良い影響を及ぼすものかどうかのはずです。
 
日本はアジアや太平洋の島々をいい気になって統治下にし、勢いばかりで他にどんな迷惑をかけてるかが判断できない(見えない)悪ガキ状態でした。 それにアメリカが一喝(原爆投下)をいれてくれたのです。
原爆投下はいけないことですが、ここまでしないとその悪ガキは頭を打たなかったのです。 日本だって、敵国がその気もなく気の緩んでる休日をねらって真珠湾を攻撃しました。 汚いやり方です。攻撃予告が届くのが遅れたなどは後々の言い訳に過ぎません。 もしかあしたら、そんな遅延も計算に入れていたかも知れません。

理想と現実は違います。 理想を主張するのは「逃げ」に過ぎません。 国際協力のやり方もそうです。 地球標準では、お金がなくても即行動する勇気ある国を評価します。 だから地球標準的には、日本の様な自国民を汚したくない様なそぶりでお金だけを提供する国よりも、お金などなくても即人材を派遣する国を評価します。 日本がこんだけお金を費やしてるにもかかわらず評価されないのは、国民の穢れるのを恐れてお金で解決しようとするのがありありだからです。 世界はちゃんと見てます。

地球上にいる限り、先ず地球標準にあわせ、地球全体の理解を得ることです。 平和はその基本なくして語る資格ないと思います。
 
日本が世界を判断するとき、自国の考え方に基準を置いて、自国の都合のいい解釈で理解しようとする。 しかし、他を理解しようとする場合、先ず他の文化、状況、思想、常識(地球標準)を理解した上で
判断することこそが常識でありフェアーである。

阪神大震災の折、スイスから救助隊が来てくれた時、(地球標準的な考え方として)緊急事態なのだから何よりも先ず現場へ誘導してもらいたかったにも関わらず、(日本の遠慮文化から来る考え方として)日本側は先ず歓迎パーティーに案内した。 これは世界常識的には思いやりでも何でもなく、被害者軽視であり、今何をすべきかのポイントがはずれ、スイスの救助隊の方々は怒りを越してあっけにとられたと聞きます。  日本では、間接的に関わりを持つ人間を軽視して、直接関係する人の機嫌を気にする。 間接的にどんな迷惑がかかってるかを見る能力に乏しい。 機嫌をとることよりも今そこにある危機を回避することが真の思いやりである。 自らを地球標準にシフト修正して初めて、世界を評価する資格が与えられるのである。