古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記と仏教 仏教伝来

2017-07-05 20:56:50 | 歴史
古事記と仏教 仏教についての続きです。
皆さんご存知通り、仏教はインドで釈迦様(ブッダ)が悟りを得て、その教えが世界に普及するわけですが
中国で広く普及したのは、三国時代の後、晋が滅び大陸が戦国の時代となった五胡十六国時代(304~439年)の様です。
国が乱れる中、民衆は救済を求めたのでしょうか。
次に、高句麗に372年、百済に384年とされています。新羅は遅れて400年代始めとされています。
この時代、倭国は朝鮮半島支配していたと云われています。
※実際は百済とは友好関係、新羅は武力支配ではないでしょうか。
高句麗は、中国大陸の支配が弱くなるので、朝鮮半島へ支配力を南下させます。
倭の五王の時代には、倭国は朝鮮半島の支配を失い、663年の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)では大敗です。
この時代に、百済から多くの一族が倭国へ移住してきます。
倭国の歴史では
538年 百済の聖明王から仏教が伝来した。
552年 百済が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上
神道派の物部氏 と 仏教派の蘇我氏の争いとなり、結果は
587年 丁未の乱、物部氏が滅びる。(蘇我馬子が物部守屋を倒す)
592年 蘇我馬子は崇峻天皇を暗殺させ,蘇我稲目の孫にあたる推古天皇を即位させます。
593年 聖徳太子が皇太子となり,推古天皇の摂政となる。(太子20歳) 四天王寺を建立する。
607年 法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町 )創建
朝鮮半島より、150年程遅れて、全てが6世紀の出来事で近畿(奈良)の歴史です。
この時代、近畿は、天照大御神を頂点とする神道信仰でした。
たぶんに、九州には、もう少し前に仏教が伝わっていてと思われますが、普及には至らなかった。
百済衰退の時代に、百済の元王族を受け入れたのが近畿のヤマト朝廷です。
同時に漢字が伝わり、大陸の政治・組織も伝わります。
これを受け入れたのが、蘇我氏で、ヤマト王権が大和朝廷へ発展する力となります。

倭国の対応
既に、天照大御神を頂点とする神道が存在しています。(古事記より前に天照大御神信仰はあった)
神仏習合と云う形を取り、何と仏教の最高伸 大日如来=天照大御神 と設定します。
620年 聖徳太子と蘇我馬子が天皇記を編集
仏教派の二人が作成した天皇記ですので、仏教色が強く大日如来=天照大御神だったでしょう。
また、大陸思想を信仰する二人は、倭国の始まりを辛酉の歳を採用し紀元前660年に設定します。

後に(645年)
蘇我入鹿暗殺(乙巳の変)
蘇我蝦夷は舘に火を放ち『天皇記』、『国記』を焼いて自殺
蘇我本宗家は滅びます。
この時代の出来事が後に作成される「古事記」「日本書紀」に大きな影響を与えます。

古事記と仏教 仏教について

2017-07-04 19:50:20 | 歴史
「古事記」「日本書紀」は天皇家の正当性を史記に盛り込んだので
中国から伝わってきた 仏教 は、全く無視している。

どうもそうでもない様です。
まずは、仏教について勉強してみます。
もうすぐ、お盆ですが、仏教と云えば、お盆に、お寺からお坊さんが来て、お経を上げてもらう。
最後に、皆で「南無阿弥陀仏8なむあみだぶつ)」と唱える。
おじいちゃん、おばあちゃんが「これで極楽へ行ける」と喜ぶ。
結婚式は神社で、お葬式はお寺で
大体こんな感じではないでしょうか。

実は、最初に日本に伝わった仏教は、そんなものではなかった様です。
インドで、御釈迦様が悟りを開き、お弟子様たちが各地で教えを広めていく。
そして、中国大陸に広まった時には、「大乗仏教」と云う形になり、朝鮮半島を経緯して日本に伝わります。

では、仏教について勉強してみましょう。
【永久保存版!やさしい仏像入門・基本知識】から
なんと
《仏像は4種類ある!》

・如来(にょらい)
悟りを得た者。ブッダともいう。服は布きれ1枚。手塚マンガの影響でブッダ=釈迦と考えている人が多い。
確かに釈迦はブッダだが、あくまでも大勢いるブッダの中の一人であり、釈迦だけがブッダではない。

・菩薩(ぼさつ)
ただいま修行中!出家前の王子時代の釈迦がモデルなので、他者を救う“行”をしている。
すぐ助けに行けるよう基本的に立ち姿で表され、瞑想には入らない。

如来(悟り済)>菩薩(修行中)>明王(民衆を守る)>天部(仏界を守る)

御釈迦様(ブッダ、ゴーダマ・シッダールダ)仏教界の頂点はありません。
悟りを得た如来様は

●釈迦如来 ・・・ 悟りを得たブッダ(ゴーダマ・シッダールダ)
●阿弥陀如 ・・・ 極楽へ往生させてくれる。釈迦と同じインドの王子だが、悟ったのは釈迦以前
●薬師如来 ・・・ 身体と心の病気を癒してくれる。阿弥陀の次に悟りを得た如来。
●大日如来 ・・・ 密教(真言宗)にのみ登場する特殊な如来で最高仏。宇宙そのもの。
          すべての仏像は大日如来が時と場所を超えて変化した姿とされている。仏の中の仏。
お釈迦様は如来ですが一番の新参者で、最高神は 大日如来 となります。

南無阿弥陀仏は、阿弥陀如にお願いしています。
極楽から弟子の菩薩たち(25人)を従えてお迎えに来て下さる。

それぞれの如来様には、お弟子様がいて、菩薩と呼ばれています。
・勢至菩薩…智恵の仏
・観音菩薩…慈悲の仏 は 阿弥陀如 のお弟子様です。

更にすごい未来の如来
●弥勒(みろく)菩薩…釈迦の次に如来になることが約束されている人物で、56億7千万年後に世界を救いにやって来る。
もうめちゃくちゃすごい未来のお話です。人類はと云うより、未来の地球を超えて宇宙はどうなっているのか?
弥勒菩薩は未来の銀河を救う神様かもしれませんね。

御釈迦様(仏陀・ブッダ)の教えについては
仏陀の教えは如何でしょうか。

古事記における「神武東征」の役割

2017-07-02 17:59:14 | 歴史
古事記の上巻は、九州、出雲の神話をまとめている。
中巻からは近畿奈良地方で歴史書に変貌します。
神武東征は、上巻から中巻へ物語を進める為に挿入されて
わずかばかりの史実や記録を元にしたフィクションです。
登場人物
カムヤマトイハレビコ(後の神武天皇)、兄イツセ、イナヒ、ワカミケヌの命四名で四男

あらすじ
天祖ニニギが天降って179万2470余年になるが、遠くの地では争い事が多く、塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出た。
カムヤマトイハレビコ 45歳
筑紫国1年、阿岐国7年、吉備国8年過ごすなどして近畿へ到着
浪速国の上陸の際に兄のイツセの命はトミビコの矢の攻撃に会って亡くなります。
他の二人の兄も水難で亡くなり、カムヤマトイハレビコのみになる。
高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀に至る。
その後、登美毘古(ナガスネヒコ)と戦い、兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)と戦った。
荒ぶる神たちを服従させ、白檮原宮で神武天皇として即位した。52歳(紀元前660年)
神武天皇127歳で崩御

九州筑紫はもとより安芸委、吉備から兵庫までみんな味方になります。
近畿に入った途端、戦争に。奈良県にはいると9国(部族)と戦争(合計12回)

国生みでは、九州島は四つの顔がある(筑紫、豊国、肥国、熊襲国) 四つの勢力があった。

西都原古墳から船形埴輪が発見(古墳時代には日向には12人漕ぎの船があった)

神武東征の謎(実際にあったのかは、別として)
・東征の理由
天祖ニニギが天降って179万年、地上は乱れているので・・・
仏教で菩薩様が地上の民を救うために・・・ と云う書き方ににています。
仏教教本を読んで真似しています。
実際は、九州が筑紫国(奴国連合)VS 豊国、肥国と別れていた。
豊国、肥国は、安芸、吉備など瀬戸内海海運連合を作っていた。

・東征の年代
辛酉の歳を採用したため、事実とは全く関係ない
邪馬台国の時代(弥生時代後期)でも大陸の船は玄界灘湾岸までです。
関門海峡を渡り、日向まで航海したのは、古墳時代に入ってからです。

・カムヤマトイハレビコ一族とは
卑弥呼・台与(邪馬台国)の一族だろうか
卑弥呼の死後、国が乱れる と 吉野ケ里など環濠集落の人々が国を捨てる時代が重なる。
玄界灘側の奴国連合が有明海側も支配するようになる。
有明海側の王が、太平洋側(東方)へ移住した。台与(トヨ)は豊国(トヨ国)の女王の事

・九州勢力が近畿勢力を倒したストーリーは
近畿勢力が九州を征服したわけではない。
大阪湾岸(淀川河川)から和歌山など湾岸に国が集中しています。
まだ小さな国であった奈良飛鳥の地方が一番征服しやすい場所でした。

新興国 ヤマト王権は、どこから来た部族なのか
氏姓制度など、政治統制・組織で先進的であり、漢字が使えています。
連・・・大伴氏、物部氏、中臣氏、忌部氏、土師氏等に官職を与えて身の回りを固める。
臣・・・葛城氏、平群氏、巨勢氏、春日氏、蘇我氏地元の一族と連合する。

後に記述、下巻では、神道派の物部氏を仏教派(百済友好派)の蘇我氏が滅ぼします。
この時に、聖徳太子らによる「天皇記」などが作成され完成しています。
乙巳の変では、蘇我氏が滅びます。
「天皇記」などが焼けてなくなります。(意図的に焼き捨てた可能性もあります)
※蘇我氏は、物部氏一族を滅ぼしますが、中大兄皇子と中臣鎌子は蘇我本宗家のみです。
時代は、大化の改新となり、「古事記」「日本書紀」が完成します。
弥生時代、古墳時代など太古の昔で知る人もいないです。
しかし、中国に史記、魏志倭人伝など記載は無視できません。
誰もが邪馬台国を九州だと判断します。
神武東征の物語が挿入されました。
神武東征を含む、神武天皇以後、9代孝元天皇までは実在しない架空の物語です。
上巻の日本神話は、各地に伝わる神話を組み合わせていますが
中巻の始まりは、全く新しい物語を都合よく作り上げました。
同じような記述が 日本武尊、神功皇后にも見受けられます。
中巻自体が事実が少なく、ヤマト朝廷に都合良くするために創られた、或いは編集された
部分です。上巻に日本神話より厄介です。

九州朝廷が勢力を伸ばし、瀬戸内海連合を作り、近畿へ支配をのばしたのであれば
都は九州にあっても良いはず。
都が奈良の飛鳥であるのは、小国ヤマト王権が徐々に周囲の国々を巻き込み
武力をつけていった歴史は間違いないでしょう。


「古事記」の真相

2017-07-01 17:43:39 | 歴史
古事記・日本書紀の成り立ちのシリーズで
詳しく述べてみましたが
その真相を書き忘れました。(すみません)
古事記は
・第40代 天武天皇(673年~686年)が編集をはじめさせた。
・712年に太安万侶が編纂し、第43代 元明天皇に献上された。
編集の始まりの年はよくわかりませんが、天皇家で4代、30年くらいかかって作成されています。

その構成は
上巻(日本神話)
 天地開闢、イザナギ、イザナミなど(天高原の話)
 アマテラス と スサノオの物語(天の岩戸の話で、スサノオは天高原から追放)
 ※アマテラスが生活する天高原が、イザナギの時代とかなり違う。
  機織の娘達がいたり、神々が桶を叩いて歌い、裸踊りする。
 八幡の大蛇は出雲の話
 邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨からは宮崎の話
 天高原(その1)、天高原(その2)、出雲、宮崎など九州と山陰です。

中巻
 神武東征で、物語が九州から近畿へ移ります。
 その後の14代仲哀天皇とその后 神功皇后
 時代設定は紀元前660年から西暦300年位です。
 神功皇后が朝鮮半島を支配(三韓征伐で終了)
 10代崇神天皇、その皇子垂仁天皇、その子供景行天皇(兄弟に倭姫命)、その子供が日本武尊
 その子供に14代 仲哀天皇と神功皇后で一つの話になりますが
 日本武尊 と 神功皇后の話は神話に近いです。
 やはり神武東征、2~9代、10代崇神天皇以後、日本武尊、神功皇后の五話の構成です。

下巻
 15代応神天皇の子、仁徳天皇から25代武烈天皇で朝鮮半島の支配を失い、
 新しく、応神天皇子孫の継体天皇(25代)へ、新しい歴史が始まる。
 大きく二話に分類できますが、中巻の様な神業の話が無くなります。
 継体天皇以降は、かなり事実に近い記述でしょう。
 蘇我馬子と聖徳太子(33代推古天皇女帝の摂政)まで西暦600年
 神武天皇即位から1260年と計算済み。(辛酉の年 1260年間で世の中が新しくなる)

太安万侶1人の作品ではありません。殆どが盗作で、それらの合体です。
最も影響色が強いのは、聖徳太子の「天皇記」ではないでしょうか。
蘇我氏、聖徳太子は新仏派ですので、天照大御神ではなくて、
大日如来として仏教界の神話になっていたかもしれません。

一番に興味があるのが
卑弥呼の邪馬台国は、九州だったのか
後のヤマト王権はどうやって誕生したのか?
・九州の邪馬台国が近畿へ移住したのか
・近畿のヤマト一族が九州を征伐したのか?
これは、神武東征の神話を信じるか、信じないかで決まります。
物語の流れは、九州から始まる天皇家の祖先が近畿へ移住する物語です。
もし、近畿の一族が九州まで勢力を伸ばして勢力拡大したのであれば
この様な物語にはしなかったはずです。
九州の邪馬台国が東征でしだいに勢力をのばしたと信じる方が正しいです。

もし、神武東征が300年代中頃であるなら、25代 継体天皇即位が507年ですので
約150年間ほど、一代15年平均とすれば、10代の天皇で成り立ちます。
15人ほどの架空の天皇が挿入されている事になります。