古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記と仏教 仏教伝来

2017-07-06 22:11:52 | 歴史
古事記と仏教 仏教伝来で紹介した通り
仏教伝来は
538年 百済の聖明王から仏教が伝来した。
552年 百済が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上
ですが、近畿のヤマト朝廷での出来事です。
九州や出雲にはもう少し早い時期に伝来したでしょう。
しかし、仏教を保護してくれる人材がいませんでした。
ヤマト朝廷に使える 蘇我氏が仏教を支持してくれた事が仏教の普及と百済との友好関係ができました。

当時の仏教は、私たちが知る仏教ではありません。
現代の仏教
・ご先祖様の供養
・仏陀(ブッダ)の教えによる悟り
6世紀(仏教伝来時)の仏教
・災いからの「護国、守護」の呪術的なものでした。
蘇我氏と物部氏の討論
蘇我稲目
「むこうではみんなが敬っているのですから、どうして日本だけが一人これに背くことができましょう」
物部尾輿
「我が国では、王たるもの常にあまたおります神々に一年中祭りをなすのを仕事としているのであって、いまさら蕃神(外国の神)などを礼拝したら恐らく国の神々が怒ることでしょう」
日本の神が「地域性」をもっていて「氏子」以外の者に祭られるのを喜ばない、という性格をもっていることからある意味で正当な答えでしょう。
困った天皇は、「稲目が願っているのだから、試みに礼拝させることにしよう」ということにさせました。
その後も色々と物議をかもすのですが、そこでの行動が「神仏習合」
仏教界では
如来(悟り済)>菩薩(修行中)>明王(民衆を守る)>天部(仏界を守る
その如来でも最高神であり宇宙である「大日如来」=「天照大御神」と云う発想
当時の社会の中で、もの凄い思い付き「神仏習合」です。
・既に天照信仰があった。(6世紀)
※魏志倭人伝の時代(卑弥呼の時代3世紀)は、特に天照信仰の表現はありません。卑弥呼の祈祷が紹介されています。
 4~5世紀の時代に、卑弥呼の祈祷が天照信仰にかわっていた。
 もちろん、出雲や九州など大きな古墳(前方後円墳)を作っていた国々でも信仰されていました。

近畿の大和朝廷の蘇我氏のみが仏教を受け入れ、最高神 大日如来=天皇の祖先神 天照
の発想に至ります。
共に、国を守ってくれる「護国、守護」神様です。創建された四天王寺も護国が目的です。

仏教の伝来・普及と共に伝わったのが 漢字 です。
卑弥呼に時代には、漢字が書けなかったため、倭国、奴国に加えて 卑弥呼、邪馬台国など、何とも意地悪な漢字が使われます。
ヤマト朝廷の発展は、漢字を使える、大陸の律令政治を学んだ。この事が出雲や九州の国々と違う点です。
もちろん多くの百済人を受け入れます。

この時代に、蘇我馬子、聖徳太子によって書かれた「天皇記」と「記紀」、後に焼失しますが
一体、どの様な内容だったのでしょうか。
天皇のご先祖様は、天照大神 として書かれていたのか、大日如来だったのか
ニニギの天孫降臨から神武天皇の日向出発まで179万年、神武東征の理由は乱れた国の救済
神武天皇即位が、紀元前660年 いずれも大陸の信仰、仏教の影響が見えてきます。