久しぶりの投稿です。
神武東征とは、「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)」が日向の地を出発して
近畿(橿原)の土地へたどり着き、初代天皇 神武天皇に即位するまで物語で
「古事記」の上巻(日本神話)の最後に登場します。
神武天皇も伝説上の人物で、神武東征も神話の一部と解釈する方が自然です。
・神武天皇即位の時が 紀元前660年2月1日(現在の建国記念日)
・45歳で日向を出発、52歳で即位、127歳で崩御
・八咫烏の道案内
時代背景も内容も人間業ではありませんね。
天皇家の歴史書として作成された「古事記」天照大神、素戔嗚と共に必須の登場人物であった事は間違いないでしょう。
さて、先の投稿 古代日本の遺跡の分布
古墳の分布

神武東征の移動地図

まさに一致するのです。
物語は、日向を出発した神倭伊波礼毘古命一同は、筑紫、安芸、吉備(山陽の豪族)の協力を得る
近畿では、長髄彦が反対し、戦い、苦戦の結果、八咫烏の道案内により勝利し、近畿地方をまとめる。
実際は、古墳時代(聖徳太子らの飛鳥時代の前)の出来事でしょう。
古事記で紹介されている
・「出雲の国譲り」で山陰地方は既に、天照大神の一族の国の配下へ(多分、古墳時代前期、4世紀程)
・「神武東征」山陽地方が加わる。
・近畿の長髄彦は争いに負ける。(古墳時代後期 5~6世紀頃)ではないでしょうか。
実際に、飛鳥時代(ヤマト朝廷)では、朝鮮半島から、仏教や漢字が近畿山奥の奈良(明日香)へ伝来します。
九州、中国地方、近畿地方を掌握していなければ、人材の移動が出来ません。
592年 39代推古天皇(女帝)即位
遣隋使派遣、冠位十二階や十七条憲法を定めるなどの年代は信憑性があります。
初代天皇即位が、古墳時代中期 西暦500年位
39代推古天皇即位が592年の100年程であれば
だいぶ、架空の歴代天皇が書き加えられています。
宮内庁が指定している古代天皇家のお墓(古墳)も近畿の各豪族の古墳をだいぶ使用している事になります。
魏志倭人伝に紹介される卑弥呼の邪馬台国が3世紀前半
「古事記」に紹介される
出雲の国造り(大国主ら)が古墳時代初期(3世紀後半から4世紀前半)
同じ時期に、九州、山陽(安芸、吉備)も豪族が力をつけて古墳を作る。
出雲の国譲りが4世紀後半
神武東征で山陽地方がまとまるのが5世紀
ヤマト朝廷が近畿をまとめるのが6世紀で
飛鳥時代が6世紀後半
と歴史のつながりが出来ます。
「古事記」の上巻(日本神話の部分)も正確ではありませんが
当時の歴史を伝えていると思います。
神武東征とは、「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)」が日向の地を出発して
近畿(橿原)の土地へたどり着き、初代天皇 神武天皇に即位するまで物語で
「古事記」の上巻(日本神話)の最後に登場します。
神武天皇も伝説上の人物で、神武東征も神話の一部と解釈する方が自然です。
・神武天皇即位の時が 紀元前660年2月1日(現在の建国記念日)
・45歳で日向を出発、52歳で即位、127歳で崩御
・八咫烏の道案内
時代背景も内容も人間業ではありませんね。
天皇家の歴史書として作成された「古事記」天照大神、素戔嗚と共に必須の登場人物であった事は間違いないでしょう。
さて、先の投稿 古代日本の遺跡の分布
古墳の分布

神武東征の移動地図

まさに一致するのです。
物語は、日向を出発した神倭伊波礼毘古命一同は、筑紫、安芸、吉備(山陽の豪族)の協力を得る
近畿では、長髄彦が反対し、戦い、苦戦の結果、八咫烏の道案内により勝利し、近畿地方をまとめる。
実際は、古墳時代(聖徳太子らの飛鳥時代の前)の出来事でしょう。
古事記で紹介されている
・「出雲の国譲り」で山陰地方は既に、天照大神の一族の国の配下へ(多分、古墳時代前期、4世紀程)
・「神武東征」山陽地方が加わる。
・近畿の長髄彦は争いに負ける。(古墳時代後期 5~6世紀頃)ではないでしょうか。
実際に、飛鳥時代(ヤマト朝廷)では、朝鮮半島から、仏教や漢字が近畿山奥の奈良(明日香)へ伝来します。
九州、中国地方、近畿地方を掌握していなければ、人材の移動が出来ません。
592年 39代推古天皇(女帝)即位
遣隋使派遣、冠位十二階や十七条憲法を定めるなどの年代は信憑性があります。
初代天皇即位が、古墳時代中期 西暦500年位
39代推古天皇即位が592年の100年程であれば
だいぶ、架空の歴代天皇が書き加えられています。
宮内庁が指定している古代天皇家のお墓(古墳)も近畿の各豪族の古墳をだいぶ使用している事になります。
魏志倭人伝に紹介される卑弥呼の邪馬台国が3世紀前半
「古事記」に紹介される
出雲の国造り(大国主ら)が古墳時代初期(3世紀後半から4世紀前半)
同じ時期に、九州、山陽(安芸、吉備)も豪族が力をつけて古墳を作る。
出雲の国譲りが4世紀後半
神武東征で山陽地方がまとまるのが5世紀
ヤマト朝廷が近畿をまとめるのが6世紀で
飛鳥時代が6世紀後半
と歴史のつながりが出来ます。
「古事記」の上巻(日本神話の部分)も正確ではありませんが
当時の歴史を伝えていると思います。
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