古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

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神道と仏教の死後の世界

2017-12-29 19:17:11 | 歴史
平安時代に作成された「古事記」「日本書紀」には神話と云う形で神道の始まりが表現されています。
飛鳥時代には、朝鮮半島から仏教が伝来しており、平安時代にも奈良の大仏様など多くの寺院が建てられています。
双方での死後の世界について考えてみます。
仏教
・現在、私たちが知っている仏教の多くは鎌倉新仏教と呼ばれる宗派です。
 (浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などが出来ます)
当時の日本に伝わった仏教は小乗仏教
 (大乗仏教は、御釈迦様の教への修行を実行しよう、小乗仏教は御釈迦様の教えを広めよう)
・死後に悟りを開くための修行を行う場所が天国、悟りを得ようとしない人が地獄へ行きます。

神道
・死んでしまうと黄泉の国へ行きます。
・誰もが醜い姿になっていて、出口は大きな岩でふさがれています(イザナギの神様がふさいでくれました)
・天国(高天原)には天照大神様など神様だけが住んでいます。
・天照大神は伊勢神宮、素戔嗚の神様は出雲大社に鎮座されており我が国の平和と発展を見守ってくれています。

仏教と神道の双方とも国を加護する意味が強く、各家庭のご先祖様を供養して、ご先祖様が見守ってくれると云う意味合いは薄いようです。
しかし、古墳時代は先祖供養の時代であり、集合式ではあっても、誰もがお墓に埋葬されています。
葬儀の儀式があった事も魏志倭人伝に紹介されています。
死んだ方が蘇ってくる事は恐怖であったのでしょうか。
現在の仏教のおける死後の世界、良い行いをした人は天国へ、悪い人は地獄へ落ちると云う観念はなかったようです。
その様な時代に伝わって来た仏教も国(倭国)を災いや天災から守ってくれる教えであったようです。
一度は、仏教の中に天照大御神が組み入れたりしますが、神仏分離の形で仏教と神道が別れていたのが当時の平安時代です。

古墳時代の大きな古墳も、その国の王が権力の象徴として生前に作ります。
現在のお盆になるとご先祖様が返ってくると云う発想は、仏教、神道双方になかったのではないでしょうか。
コメント

天照大神、素戔嗚の時代は特定できます。

2017-12-23 20:05:51 | 歴史
「古事記」の記載を読む限り
初代神武天皇の神武東征が紀元前660年になります。
その4代も前の神様である天照大神、素戔嗚の物語は、数億年前のお話という事になり
神様たちの寿命には驚かされます。
作り話で年代を調整している事は間違いないのですが
神話の中に、この二人の物語の年代を特定できるお話があります。
三種の神器、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣です。
八咫鏡・八尺瓊勾玉は、照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際に
石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細く開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出した。
この鏡は銅鏡ではなく鉄製の鏡とされていますが、遺跡から発見されるのは銅鏡ばかりです。
卑弥呼が魏から贈られたのも銅鏡で、倭国で複製された鏡も銅鏡です。
弥生時代の鉄器の分布ですが、
九州北部で弥生時代中期
出雲、九州中部で弥生時代後期
近畿では古墳時代です。
八尺瓊勾玉は、玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。


・草薙剣
素戔嗚が天の岩戸の事件の後、高天原を追放され出雲の土地へ降りて、やわたの大蛇を退治
最後に尻尾を切り落とすと自分の剣が折れて、出てきたのが草薙剣
素戔嗚が持っていたのが青銅製の矛、新しく手に入れたのが鉄製の剣です。
素戔嗚が草薙剣を手に入れたのは、弥生時代後期です。(卑弥呼と同じ時代)

つまり
天照大神は、弥生時代中期から後期
素戔嗚は、弥生時後期の人物を物語にしています。
それは、魏志倭人伝に紹介される邪馬台国の卑弥呼の時代になります。
卑弥呼は
・鏡を使った祈祷を行う
・生涯独身の女性
・1000人の女性陣(多分、巫女)がいる。
・倭国の女王の推薦される。
卑弥呼が亡くなるが、まもなく台与が女王となる。
天岩戸の物語では
・素戔嗚のいたずらで、天照大神の下で機織をしていた女性が亡くなる。
・天照大神が天の岩戸に隠れる(卑弥呼が死亡する)
・天の岩戸から出てくる(台与が次の女王となる)
・素戔嗚が追放される。
・邪馬台国と投馬国(ズマ国)共に比定地確定せず。

イザナギが産んだ三貴神
・月読見(月夜) 黄泉の国(死者の国)を治める。
・天照(高天原に残る太陽神)
・素戔嗚(出雲に降りて国造り、戦いの神様)
は弥生時代後期から古墳時代初期
国譲りの物語
素戔嗚の子孫がアマテラスの子孫に出雲の国を譲る物語は
古墳時代後期から飛鳥時代(ヤマト朝廷初期)の物語
・魏志倭人伝に紹介される邪馬台国と卑弥呼
・鉄器の分布
・ヤマト朝廷の始まり
と歴史の事実と一致します。
蘇我氏VS物部氏(2/3) 仏教派と神道派
聖徳太子が6世紀末で、33代推古天皇(女帝)です。
わずか3000年程時代に、天照大神、素戔嗚の時代から初代神武天皇(天照~4代目)、33代推古天皇が凝縮されている事になります。
一代20年程で計算すると10人程は実在せず、或いは挿入された天皇家とは無関係の国王ではないでしょうか。
コメント

巫女 と 卑弥呼

2017-12-23 15:48:08 | 歴史
殆どの神社には
・ご神体(天照の鏡や勾玉)或いは ご神木など
・神主(宮司)
・巫女
があります。
巫女とは
巫女は神楽を舞い、祈祷を行い、占いや口寄せをするといった役割を担い、神から託されたメッセージを第三者に伝えるという立場にいました。
ですが、その読みが ヒミコ と似ている事から
卑弥呼=日巫女=神社の巫女(神子) と考えることが出来ます。
実際に
卑弥呼は
・魏の皇帝から、沢山の鏡(銅鏡)、白い絹、赤い布を贈られている。
・卑弥呼も独身で、1000人の未婚の女性達と生活をしている。
・儀式では神様のお告げや亡くなった先祖などとも会話ができる。
巫女
・白い服に赤い袴
・未婚の女性
・神に仕える仕事
現在では、アルバイトの若い女性であったり、神主が祈祷を行いますが

古代にあった卑弥呼の宮殿は、たぶん
周囲を環濠で囲まれ外部から中をのぞくことも出来ない。
沢山の若い女性陣が集まられて中で祈祷に必要な道具や織物などを行っている。
その頂点が 日巫女であり神様である。日巫女は人前に姿を出す事はなく
高い建物の中で過ごしている。
日巫女が、日本神話に登場する太陽神 天照の可能性は高いと思います。
※日巫女は、人前に出ることなく高台で生活し神を演じた女性
もし魏志倭人伝に紹介される邪馬台国の女王 卑弥呼が天照大神であれば
ヤマト国の発祥地は九州中部(有明海から瀬戸内海側)になります。
実際は、ヤマト朝廷の発祥は奈良の明日香の土地です。
「古事記」の一巻 日本神話では、天孫降臨したニニギの孫の代に
神武東征の話を盛り込み初代神武天皇の時代に移住した事になっています。

しかし、弥生時代、縄文時代など古代より
台風、大雨、、日照り、地震などの天災に対する祈祷

死者の葬儀や先祖供養など死に対する恐怖心を和らげる行事
は日本各地にあり佐保と異なるものではなかったのではないでしょうか。
邪馬台国以外の諸国でも老婆による祈祷の儀式があり、太陽神の信仰があっても不思議ではありません。

もう一人、戦いの神様 素戔嗚は高天原を追放され、出雲の土地でやわたの大蛇を退治して、尻尾から
幻の剣を手に入れます。
素戔嗚は弥生時代後期に鉄製の剣(武器)が普及して各地で戦争が起きた時代に産まれた神様でしょう。

戦争で負けた国の人々は、男性は奴隷として巨大な古墳造りなどの重労働
女性は、神に仕える(勝者の国)為に織物などの仕事を行い
生涯を事由を奪われ独身として過ごす巫女であったのではないでしょうか。
古墳時代には近畿でも沢山の巨大古墳が築造されます。
近畿でも国同士の争い(戦争)があり、沢山の男性の奴隷と巫女達がいたと思われます。
巫女は残念ですが、奴隷になった女性陣という事になります。

ちなみに、「白い小袖に赤い袴」は明治に定着した様です。
コメント

神社で唱えられている禊(みそぎ)の詩

2017-12-23 14:54:40 | 歴史
結婚式や初詣、七五三など神社でお祓いをしてもらう時に
「かけまくもかしこき?????・・・・ かしこみかしこみそうろう。」
と最後の部分だけ何となくわかるお祈りの言葉を神主さんが読み上げて頂入れいるのは
多くの人が経験しているはずですが、では何の意味があるのでしょうか。

それは 禊(みそぎ)の詩 と呼ばれています。
まずは、背景を勉強しておきましょう。
・イザナギとイザナミの夫婦が日本の国土を産む、山の神、海の神など多数の神様を産みます。
・イザナミは火の神を産む時に陰部を大やけどして亡くなり、黄泉の国(死者の国)へ行ってしまいます。
・イザナギはイザナミが恋しくなり、掟を破って黄泉の国へ行きます。
・そこには、醜い姿になったイザナミがいて、怖くなって黄泉の国から逃げていきます。
・イザナギは、黄泉の国の出入り口を大きな岩でふさぎますが、イザナミと喧嘩が続きます。
・イザナミは「毎日、1000人を殺す」と決めます。対してイザナギは「毎日、1500人を産む」と答えます。
・イザナギは黄泉の国のけがれを落とすために、日向の川で 禊(みそぎ)を行います。
・この禊で天照、月読見、素戔嗚も生れます。他にも沢山の神々を産みます。

神社のお祓いで行われる 天津祝詞(禊祓の詞)は

掛かけまくも畏かしこき伊邪那岐大神いざなぎのおほかみ筑紫つくしの日向ひむかの橘たちばなの小戸おどの阿波岐原あはぎはらに禊祓みそぎはらへ給たまひし時ときに成なりませる祓戸大神等はらへどのおほかみたち諸諸もろもろの禍事罪穢有まがごとつみけがれあらむをば祓はらへ給たまひ清きよめ給たまへと白まをす事ことを聞食きこしめせと恐かしこみ恐かしこも白まをす
と話されています。

分かりやすく紹介すると
掛かけまくも畏かしこき伊邪那岐大神いざなぎのおほか
(そのお名前を口に出してお呼び申し上げるのも畏れ多いほどにめっちゃ偉大なイザナギの大神さまが)


筑紫つくしの日向ひむかの橘たちばなの小戸おどの阿波岐原あはぎはらに禊祓みそぎはらへ給たまひし時ときに成なりませる祓戸大神等はらへどのおほかみたち
(筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原っていう、今は宮崎県のシーガイアのある一ツ葉海岸の一角にあたる場所で、ツミやケガレを取り払って心身を清めなされたときにお生まれになった祓戸大神たちよ!)


諸諸もろもろの禍事罪穢有まがごとつみけがれあらむをば
(もしもいろんな禍い事や罪穢れがあるのであれば)


祓はらへ給たまひ清きよめ給たまへと白まをす事ことを聞食きこしめせと
(お祓い下さい、お清め下さい、と申し上げる事を、お聞き届けくださいと)


恐かしこみ恐かしこも白まをす
(恐れ多くも申し上げます。)

天津伸、国津伸、八百万の神々を産まれたイザナギの神様が行われた禊の様に
私(神主)も禊(みそぎ)の儀式を行います。宜しくお願いします。
とお祓いを始めるわけです。

古代信仰の神様 イザナギに幾度もお会いしていたのです。
コメント

日本神話と神社制度

2017-12-23 13:59:51 | 歴史
八百万の神様と卑弥呼の続きですが
歴史の流れでは、次に古墳時代、飛鳥時代と続けたいところですが
この時代の資料が少ないので、
逆に新しい時代(平安時代)から時代を遡って行きます。

飛鳥時代に朝鮮半島から仏教と漢字が伝わります。
そして平安時代に国の始まりと天皇家の歴史書として「古事記」が完成します。
仏教派の蘇我氏VS神道派の物部氏の争いから
聖徳太子の時代は既に漢字がありますので、勝手なことは書けません。
この時代の記述は信ぴょう性があります。
「古事記」の一巻が神様の時代から初代神武天皇の神武東征までのお話です。
お話は神様の事ですから、その背景は想像するしかできません。

そして、同じ時期に現在の神社制度が完成します。
その内容は「古事記」日本神話にぴったりと合ったものです。
意図的に制度化されたものであることは間違いありません。

現在の神社は
素戔嗚を祀る出雲大社 と 天照大神を祀る伊勢神宮 に分けられます。
天皇家の先祖は 天照大神で、こちらが 本家扱いの神宮
天照大神 と 素戔嗚は兄弟で、分家扱いで大社です。
社殿の作りも異なるので
その信仰の形も違っていたのでしょう。
天照大神、月読見(月夜)、素戔嗚は三人兄妹で、イザナギの両目と鼻から産まれています。
古代の信仰と神道の三貴神(月読、天照、素戔嗚)
 月読(死後、闇、地底の世界を治める神)
 天照(天空、生きる、生活を支える神)
 素戔嗚(争い、戦争、武力の神)
の三人は古代の神様の重要人物三人衆です。

神社の行事やしきたり、神楽などのは、今から千数百年前から続く古代の思想が延々と受け継がれています。
縄文時代、弥生時代、古墳時代を知る手掛かりがあるのです。

日本神話の中でも、天照大神 と 素戔嗚の兄弟喧嘩の場面は多く
最終的(天の岩戸の物語)には、素戔嗚は高天原を追放されます。
素戔嗚は、先に地上に降りて出雲で国造りに成功
後の子孫の時代に、出雲の国譲り と云う形で天照大神の子孫に出雲の国を譲ります。
コメント

八百万の神様と卑弥呼

2017-12-23 09:22:42 | 歴史
旧石器時代・縄文時代の遺跡でも大きな岩や大木の下で祈祷をしていたようです。
狩猟や採取、漁で食べ物を得ている時代ですので
山や海、川、森などに感謝すると同時に自然の猛威には恐怖を感じていたのでしょう。
自然崇拝は、建物の技術、農耕の知識がない人々には当然だったのです。
大陸から知られることが無く、日本独自の文化が八百万の神様たちです。

弥生時代に大陸から移住する人がいて、農耕や高床式建物など新しい技術を伝えます。
移住したわずかな人数では生活が出来ないので、原住民(縄文人)の生活の中に入っていきますが
大陸の神様を伝えるような文化ではなかった様です。
文字を伝える事も出来なかった、或いは実行しなかったのか、弥生時代には漢字はまだ使われていません。
農耕など弥生文化は
末盧国(松浦半島)かた伊都国(糸島半島)へ博多湾の奴国と玄界灘側の低地、盆地で河川の近くです。
農耕に適した場所だからです。
伊都国には、漢の役人(一大卒)が住んでいて国の名前(伊都国など)も漢民族が名付けたでしょう。
湾岸で農耕にも漁にも適していた博多湾の奴国は農耕などで大きく成長していて一大卒の国ではありませんが
大陸との交易の為にも伊都国に服従せざるを得ない(経済的な支配下)状況です。

弥生文化は、玄界灘湾岸から
・有明海側
・山陰地方
・大分、宮崎など九州南東方向へ
更に
・瀬戸内海を通じて山陽地方、四国地方へ広がり
・近畿の大阪湾から奈良や京都、滋賀など内陸部へも広がり
ほぼ西日本全土へ
・伊勢など太平洋を通じて関東方面など
・徐々に日本全土へ(北海道、沖縄以外)へ広がります。

弥生時代後期の事件
・漢委奴国王金印で奴国の国王が倭国王(一大卒が奴国王を漢に紹介した)
・大陸で漢が滅びる(一大卒が倭国で独立する)
・倭国大乱(漢委奴国王金印に威力がなくなる)
・魏が大陸を統一(一大卒が邪馬台国の女王卑弥呼を倭国の代表として紹介する)

邪馬台国の卑弥呼は
・高台の中で生活して人前に姿を見せない。
・多くの女性陣が生活をしている。
(吉野ケ里の様な環濠集落の中で生活して、周囲から見ることが出来ない地域)
・祈祷、占いを行っていて諸国が信じている。
・魏から沢山の鏡、絹など布を贈られる。
・諸国の王は卑弥呼の祈祷を信じて贈り物などを贈る。
・唯一、南側の国 狗奴国が卑弥呼の祈祷を信じることなく争いとなる。

倭国の信仰は、八百万の神々の自然崇拝から、
自然を制御する最高神(太陽神)の卑弥呼へ
信仰が移っていきます。

卑弥呼の生活、邪馬台国の繁栄は、親魏倭王の金印を受け取る前後で大きく変わったでしょう。
・邪馬台国の祈祷師だった卑弥呼

・祈祷の専用の高い建物が建てられる。
・卑弥呼が鏡を使った祈祷を行う。
・太陽神として八百万の神々の頂点にたつ。
・黄泉の国(死後の世界、先祖)との交信ができる。
・高天原と黄泉の国の原型が出来る。

卑弥呼は弥生時代の始まりより代々続く占い師です。
伊都国が玄界灘から有明海側、中部九州へ支配を広げるために
占い師卑弥呼を女王に推薦、大陸の鏡、衣類などを与える。
占い師から自然を制御する祈祷師に卑弥呼が変わる。
太陽神の指示に八百万の神々が従ってくれる構図が出来ます。

しかし、大陸では魏が滅びて、国が乱れます。
倭国と大陸との交易は出来なくなります。
一大卒も卑弥呼もその力を失い
諸国の豪族がお互いに競い合う時代です。
これが、古墳時代です。

コメント

日本の神様をもう一度、わかりやすく。

2017-12-17 15:46:35 | 歴史
過去にも投稿しましたが、日本の神様の系図です。

まだ真っ暗闇の世界が別れて、高天原が出来て、神様が産まれます。
まだ、人の形もしていませんが、代々新しい神々が産まれて
イザナギ・イザナミの夫婦の神様から始めます。
さて、この中に魏志倭人伝に紹介される女王 卑弥呼や台与 が存在しているのでしょうか。

イザナミ・イザナギ は、ちゃんとSEXをして、日本の島々(大八島)を産みます。
その後には
・綿津見神(わたつみのかみ) 海の神様
・大山津見神(おおやまつみ) 山の神様
などを産みます。
古代の八百万の神様を物語に登場させます。
イザナミは、火の神 迦具土神(カグツチ)を産んだ時に陰部をやけどして死んでしまいます。
神様が死んでしまうのですから、何とも人間に近く感じますが、他の神様は死なない様です。
神様は、
高天原に住む神様(天照大神など)を国津神
地上に降りた神様(大国主など) を天津神
と分けています。

独りになったイザナギが黄泉の国(イザナミがいる死者の国)へ行きますが、
あまりの恐ろしさに逃げて帰り、大きな岩で出口をふさいでくれます。

その後、一人になったイザナギは更に神様を産み続けます。
その中の三人の神様が高天原に産まれます。
月読(月夜見)、天照、素戔嗚 の三貴神です。
古代より
死後の世界、夜の暗闇、恐怖などに対する信仰(黄泉の国)
明るく天国みたいな天上界の世界への信仰(高天原、天照大神)
の信仰がどこにでもあったと思います。

新たに、戦い(戦争)が繰り返されるようになり戦いの神(素戔嗚)が追加されたのではないでしょうか。

イザナギの命令で
月読(月夜見)が黄泉の国(死者の国)を治める
天照大神が高天原を治める
素戔嗚が海原を治める事になりますが
素戔嗚がいじけてしまい、天照大神 と兄弟喧嘩状態に
二人は誓約の儀式を行って八人の神様(三女神五男神)を産みますが
今度が天照大神がいじけて岩戸に隠れてしまい、世の中が真っ暗になります。
アマノウズメなどヌードダンスなどをして宴会で、天照大神を引きずり出して
素戔嗚を追放することで、一件落着します。

天照大神は孫にあたる邇邇芸命(ニニギ)に地上が乱れているので治める様に命令
高千穂の地へ天孫降臨しします。
そこで巡り会うのが、大山津見神(山の神)の娘 木花咲耶姫(このやさくや姫)と結婚します。
実は、もう一人の娘 石長比売とも結婚しますが、石長比売が醜かったため大山津見神の下へ返されます。
これに怒った大山津見神は天孫の寿命を短くします。
二人の間には、三人の神様が産まれます。
ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)です。
この山幸彦(ホオリ)は、海の神様 綿津見神の娘 豊玉姫 と結婚します。
この二人の間に産まれたのが 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
後の初代天皇 神武天皇です。

一方、追放されたスサノオは出雲の土地でやわたの大蛇を退治してクイナヒメと結婚
子宝にも恵まれて、大国主など子孫が出雲国を発展させます。
そして、又もや、天照大神ともめます。
結果は、出雲国の国譲り と事で解決します。

この神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が日向の土地を出発して各地を周り
近畿奈良の飛鳥の地まで移住する物語が神武東征

古事記の第一章(一巻)のお話はここで終了します。

コメント

古代の信仰と神道の三貴神(月読、天照、素戔嗚)

2017-12-16 16:06:25 | 歴史
弥生時代後期は、大陸から鉄製の武器が伝わって古墳時代はそれぞれの国が
大きな古墳を作って、その権力の象徴とした時代です。
この時代に出来たのが素戔嗚を神様とする出雲信仰でしょう。
天皇家の三種の神器で、勾玉と鏡は、天照が使っていたもの、
剣が素戔嗚が 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治た時に手にしました。
国が発展するにあたっては、争い(戦争)は避けられなかったのでしょう。
三貴神は、
月読(死後、闇、地底の世界を治める神)
天照(天空、生きる、生活を支える神)
素戔嗚(争い、戦争、武力の神)
の三人です。
月読 と 天照 はイザナギの両眼から産まれる一対の神様
素戔嗚は、最後に鼻から産まれます。

天空で国を守ってくれる天照大神が女性で、武力の神様素戔嗚は男性、天空で一緒いる時代は
仲が悪く喧嘩を続けていて、最終的には、素戔嗚は爪をはがされて高天原を追放される処分を受けます。
地上に降りた素戔嗚子孫、大国主らが出雲の地の大きな国を作りますが
話し合いの結果、天照の子孫の国を譲ることで和解します。
国の名前も大倭(ヤマト) から 大和(ヤマト)へ平和の 和 の漢字を使った名前に変えます。
古墳時代の後に登場する飛鳥時代(奈良、仏教、漢字伝来など)の大和朝廷は、三人の神様の中から
天照大神を自分達の先祖と云うストーリーです。
大陸や朝鮮半島では国が乱れて争いが続いている時代です。
当時、武力(鉄製武器)では圧倒的に出雲国が優勢であったはずですは
倭国が選んだのは 和 であり、天照大神が治める国造りでした。
ヤマト朝廷(天皇家)の先祖が
・天照大神=>ニニギ=>神武天皇で、九州より近畿へ移住
・元々、近畿の奈良地方(明日香)に住んでいた一族
・飛鳥時代に朝鮮半島から移住してきた大陸人、朝鮮人
などと考えられます。
古事記などを信用するのであれば
九州の高千穂に天孫降臨した天照大神の子孫が奈良へ移住
飛鳥時代に朝鮮半島から逃げて来た一族を役人として起用
しています。
そして神道となり、出雲大社に素戔嗚、伊勢神宮に天照大神を祀る事で神社の体系が完成します。
残念ですが、月読(月夜見)は、その後登場しなくなります。
古墳時代に、それぞれの国で先祖供養がされていますので、
この信仰を一つにまとめるのは出来なかったのでしょう。
(月読と諸国の先祖の頂点とする信仰)
コメント

弥生時代の二つの信仰(生と死)

2017-12-16 14:32:24 | 歴史
魏志倭人伝には
23.葬儀 戻る
その(地の)死(事)には、棺があって槨(そとばこ)がない。土を封(も)って冢(つか)をつくる。死ぬと、まず喪(なきがら)を停めること十余日、(その)当時は、肉をたべない。喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒につく。すでに葬れば、家をあげて(家じゅう)水中にいたり、澡浴(みそぎ)をする。それは(中国における)練沐(ねりぎぬをきての水ごり)のようにする。


28.ト占 戻る
その(風)俗に、挙事行来(事を行ない、行き来すること、することはなんでもあまさずすべて)云為(ものを言うこと・行うこと)するところがあれば、すなわち骨をやいてトする。そして吉凶をうらなう。まずトうところを告げる。
そのうらないのとき方は(中国の)令亀の法(亀甲に、よいうらないの結果をだすよう命令したうえで行なう亀トの方法)のごとくである。熱のために生ずるさけめをみて(前)兆をうらなうのである。

が紹介されています。
古代より、
・死者が出た時の葬儀など、死後の世界
・当時の生活で解決できない物を占いに頼る、神の世界
の二つの信仰があったようです。
当時のお墓の遺跡が幾つも発見されています。
・甕棺を使った埋葬(死者に絹などの衣装を着せて、遺体がそのまま残るように埋葬している)
・王家一族の墓群と、他の人達に集合墳がある。
・祈祷(先祖供養)の儀式を行う場所もある。
何となく、現代でも理解できますよね。仏教が伝わるよりずいぶんと前の時代です。
占いや祈祷は、王家の住む場所の近くに高倉式の建物の中で行われた様です。
・勾玉は古くよりあったようですが、弥生時代に鏡が大陸から伝わり。
・鏡に中に景色が映ったり、太陽の光が反射する原理は知りませんので、神の技に感じたのでしょう。
この二つの信仰は、縄文時代などかなり以前から各地にはあったはずです。
どちらかというと死後の世界、死者への葬儀の信仰の古いかもしれません。
弥生時代に大陸から伝わった文化は、この二つに大きな変化を与えたでしょう。

日本神話に登場する二人の神様(月読、天照)が、この二つの信仰の神様で記載されたと思います。

・黄泉の国
 月読(月夜見)が治める事になります。
 死者が見にくい姿になって住んでいる世界です。
 戻れない様に大きな岩で出入口がふさがれています。
後の仏教で紹介される地獄に似ています。

・高天原
 天照が治める事になります。
 天空にあり、神様が住んでいます。
 空を飛ぶ乗り物や大きな橋があって、神様は地上と行き来が出来ます。
 残念ながら、地上に住む人間は高天原には行けない様です。
こちらは天国に相当するものでしょう。
・生(占い、祈祷)と死(葬儀、供養)
・夜(暗闇)と昼(朝日、明るい)
・地底(お墓)、天空(祈り)
不思議と現代の仏教やキリスト教など宗教の世界観と同じになっています。
飛行機やロケットもありませんし、太陽がある天空の世界は神様が住む世界で
病気やケガに対する医療も知識もありませんので
死者を土に埋めていく地底は死者が住む闇(暗い)の世界に映ったのでしょう。
誰も死になくないと思う気持ちは今も昔も世界共通で同じですね。

コメント

卑弥呼が後の天照大神の逆の発想

2017-12-10 18:04:46 | 歴史
卑弥呼 と 天照大神
弥生時代の卑弥呼が、古事記に天照大神として取り扱われたと投稿してしまいましたが
時代を逆に考えてみると面白いです。
弥生時代に、日の神(天照)と夜の神(月読、月夜見)信仰があった。
実は、卑弥呼は太陽神(天照)の子供として地上に降りた人間
或いは、太陽神(天照)と会話ができる巫女である という立場を利用して女王となった。

古代より、昼間が明るく活動できる時間帯
夜は暗く、怖い、外へは出られない時間帯
です。
日の神(天照)と夜の神(月読、月夜見)信仰が諸国にあっても不思議ではありません。
大陸が倭と呼ぶ弥生時代、九州北部の国々がお互いに交流が出来ます。
神様が一つになりますが
日の神(天照)は、東の大分、宮崎の国に住んでいる。
夜の神(月読、月夜見)は長崎など西の国という地域分けが出来ます。
もちろん、倭国の代表になれるのは、昼の神(太陽神)です。
昼の神(太陽神=天照)を利用したのが卑弥呼
九州北部の東側に邪馬台国があり卑弥呼という女王を推薦した
当時の諸国は納得した。のではないでしょうか。

となると、卑弥呼 ≠(Not Equal)天照大神 です。
卑弥呼は既に地上にて活動していますので、
天孫降臨したニニギ? いや、ニニギは男性です。
天照大神は国津神 で
卑弥呼は、国津神 で女性である。
可能性
・天岩戸の神話に登場するアマノスズメ
 しかし、アマノウズメは美人で後に猿田彦と結婚します。
・ニニギの妻、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ) Or 石長比売(イワナガヒメ)
 二人は姉妹で、オオヤマツミ(大山津見神)の子供、イワナヒメは醜く、コノハナノサクヤヒメが美人で
 ニニギはコノハナノサクヤヒメと結婚します。
イワナヒメが卑弥呼、コノハナノサクヤヒメが台与ではないでしょうか。
 イワナヒメは独身等云う事になります。
・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)初代神武天皇の后
 しかし、媛蹈鞴五十鈴媛命は、出雲の家系ですので、これも卑弥呼ではありません。

・神功皇后(大帯比売命(おおたらしひめのみこと)) 生まれは近畿ですが、朝鮮討伐(三韓征伐)の際に九州に来ています。
 但し、既に結婚して妊娠中、仲哀天皇の妻で応神天皇の母
 三韓征伐では、新羅を支配しています。
 魏志倭人伝に紹介される卑弥呼は、朝鮮半島へは出兵していませんし、倭国の朝鮮半島の支配とは時代が100年程ずれています。
 日本書紀には「史曰く」と記載があるので、大陸の史記の誰かと否定したと思われますが、卑弥呼に結ぶにはちょっと無理です。

高齢で姿を見せなかった卑弥呼が イワナヒメ
若く美しいコノハナノサクヤヒメが 台与 ではないでしょうか。
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