古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

神道と仏教の死後の世界

2017-12-29 19:17:11 | 歴史
平安時代に作成された「古事記」「日本書紀」には神話と云う形で神道の始まりが表現されています。
飛鳥時代には、朝鮮半島から仏教が伝来しており、平安時代にも奈良の大仏様など多くの寺院が建てられています。
双方での死後の世界について考えてみます。
仏教
・現在、私たちが知っている仏教の多くは鎌倉新仏教と呼ばれる宗派です。
 (浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などが出来ます)
当時の日本に伝わった仏教は小乗仏教
 (大乗仏教は、御釈迦様の教への修行を実行しよう、小乗仏教は御釈迦様の教えを広めよう)
・死後に悟りを開くための修行を行う場所が天国、悟りを得ようとしない人が地獄へ行きます。

神道
・死んでしまうと黄泉の国へ行きます。
・誰もが醜い姿になっていて、出口は大きな岩でふさがれています(イザナギの神様がふさいでくれました)
・天国(高天原)には天照大神様など神様だけが住んでいます。
・天照大神は伊勢神宮、素戔嗚の神様は出雲大社に鎮座されており我が国の平和と発展を見守ってくれています。

仏教と神道の双方とも国を加護する意味が強く、各家庭のご先祖様を供養して、ご先祖様が見守ってくれると云う意味合いは薄いようです。
しかし、古墳時代は先祖供養の時代であり、集合式ではあっても、誰もがお墓に埋葬されています。
葬儀の儀式があった事も魏志倭人伝に紹介されています。
死んだ方が蘇ってくる事は恐怖であったのでしょうか。
現在の仏教のおける死後の世界、良い行いをした人は天国へ、悪い人は地獄へ落ちると云う観念はなかったようです。
その様な時代に伝わって来た仏教も国(倭国)を災いや天災から守ってくれる教えであったようです。
一度は、仏教の中に天照大御神が組み入れたりしますが、神仏分離の形で仏教と神道が別れていたのが当時の平安時代です。

古墳時代の大きな古墳も、その国の王が権力の象徴として生前に作ります。
現在のお盆になるとご先祖様が返ってくると云う発想は、仏教、神道双方になかったのではないでしょうか。

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