古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

邪馬台国を発見① 九州説派?近畿説派?

2018-01-01 00:01:26 | 歴史
新年あけましておめでとうございます。

新年早々ですが、邪馬台国の場所を指定いたします。
九州説
近畿説
について書いてみます。
上記サイトにそれぞれの主張があります。
皆さんは、どちらの説が有利だと感じられますでしょうか。
私は、九州説です。
邪馬台国の紹介があるのは、魏志倭人伝など大陸の史記です。
当時の倭国には、漢字がありませんでした。
邪馬台国は
・帯方郡(平壌)から、壱岐・対馬を経緯して12000里
・博多湾の奴国まで、10500里
・倭国は周囲5000里(博多湾の奴国を含む)
・倭国の東が海で、船で渡ると倭人が住んでいる。
・南に狗奴国があり、更に南に舟で渡ると歯黒国、小人国がある。
・南水行10日陸行1月は、帯方郡から末盧国まで水行10日と一致
で九州説に一致するのです。
対して、近畿説の反論は
・南は東の間違いで、博多湾の奴国から東へ水行10日(瀬戸内海)陸行1月(山陽から奈良まで)と主張
・東の倭人は、琵琶湖 或いは 伊勢湾の反対側に住んでいた倭人
という事になります。
しかし、もし東を南と間違えたとなると奈良にある邪馬台国の
南にある狗奴国は 実は、北にある狗奴国は京都
更に南にある歯黒、小人国が日本海の島々??
海の向こうの東にある倭種の国は、奈良の東にある海??
どう見ても矛盾が矛盾を広げます。

邪馬台国近畿説を主張するのであれば、邪馬台国=ヤマトと発音
後のヤマト朝廷=倭国=邪馬台国 の主張の方が力強く感じます。

次に九州説の反論です。
ヤマト朝廷が歴史に出てきたのは4世紀後半
邪馬台国が紹介されたのが2世紀末~3世紀前半
異なる国である。しかし、ここまで呼び方が似るでしょうか。

考えられる事
・奈良の倭の一族が魏志倭人伝など大陸の史記を読んだ。
・漢字が読める、理解できるレベルであった。
確かに、飛鳥時代には仏教が伝来し、より難しい仏典が伝わっています。
・飛鳥文化は、朝鮮半島の文化である。
・奈良に住んでいた一族が大陸の史記を理解した。
 自国の名前を 倭 と云う漢字を、読み方を ヤマト と名乗った。
ではないでしょうか。

もう一つ気になるのが、天皇家の正当性を主張する「古事記」「日本書紀」に登場する神々
日本神話です。
高天原に住む天照大御神の子孫、ニニギが天孫降臨した国が高千穂
日向で国を作り、初代天皇 神武天皇の神武東征
(日向を出発、北九州、瀬戸内海の安芸などを経由、大阪湾で敵に阻まれ、和歌山から奈良の土地へ移住する物語)
近畿説では、天皇家の正当性の主張で歴史の事実は関係ないと主張されていますが
もし、奈良のヤマト一族の血統を主張するのであれば
天孫降臨の土地が奈良の明日香
出雲と九州が奈良の天照大神に国譲りを行うストーリーにすべきだったはずです。

当時、明日香の一族に魏志倭人伝を伝えた朝鮮人は、邪馬台国は九州であったと教えたのです。
その話は明日香の一族以外大阪や出雲の国でも知られています。
倭(ヤマト)国と名乗る以上、九州地方へ天孫降臨、神武東征の物語を挿入せざるを得なかったのです。
もちろん、卑弥呼は、天照大神として登場させます。
「古事記」を作成する以前より、飛鳥のヤマト王(26代継体天皇位??から)は、九州の邪馬台国の女王 卑弥呼の子孫であると
主張して西日本の統一を推進したのではないでしょうか。

実際は、縄文時代から日本に住んでいた倭人は
・徐福など始皇帝から逃げて来た大陸人が新しい弥生文化を取り入れた(紀元前4世紀位から)
・そこへ漢の役人一大卒が伊都国を作り玄界灘湾岸を支配(1世紀位)
・有明海側で、一大卒の影響を受けずに邪馬台国が続いた。
・三国時代に、更に大陸から移住する人がいた(3世紀位)
・魏が滅びると高句麗が大陸との交易を出来なくして
・百済から瀬戸内海経由で大坂へ
・新羅から出雲へ朝鮮人が移住した(4世紀位)
この時に漢字と史記が伝わる。
そして、飛鳥の一族が古代から倭国に住んでいた一族
(邪馬台国、安芸、備前など奈良の明日香の一族が倭国の正当な民族であると主張した)が
正当な倭人であると主張する為に国をまとめた

飛鳥人、邪馬台国人 VS 大阪、出雲の朝鮮人 の分離です。
九州~瀬戸内海~近畿(大阪湾を除く)一族を天照の子孫(天皇家の本家)
鉄製武器で有利に立つ出雲は、スサノオ(分家、元は兄弟)
として、古くから住む倭人と
挑戦、大陸から移住民族との統合を可能にしたのです。

この事実は、平安時代まで語り継がれ「古事記」「日本書紀」になり
古くから死後の世界への信仰もありましたので
・太陽神(生きる、昼間の神)天照
・闇の神(死後の国、夜の神)月読(月夜見)
・争いの神(戦争、武力の神)素戔嗚
の三人の神様を擁立して、天皇家(倭人の祖先)は天照大神
とする日本神話が完成します。  
現在の伊勢神宮・出雲大社の神社制度なります。
天皇家か勝手に作り出した神々の神話ではなく、当時の状況、知りうる歴史を参考に
完成した物語だと思います。

天皇家の三種の神器も
・縄文時代から倭国に伝わる勾玉
・魏国から卑弥呼に贈られ、儀式に使っていた鏡
・素戔嗚が天照に渡した鉄の剣
きちんと物語になっています。

長くなりましたが、邪馬台国は九州北部で決定します。
さて、では邪馬台国は九州の何処にあったの??
次投稿で更に邪馬台国の場所を絞り込んでみましょう。

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2 コメント

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Unknown (awa)
2019-12-09 22:35:13
youtubeで
『委奴国と呼ばれた阿南』
邪馬壹国(やまとこく)研究会 会長土佐野治茂さん
を見ていただいたらすぐわかると思いますよ。
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Unknown (マニア)
2020-02-21 02:41:55
卑弥呼の伝説が残る場所は、全国に点在しますがそれらすべて本物の卑弥呼であり魏志倭人伝の邪馬台国の場所の到達点が色々な場所に辿り着くのも理由があり、気候、地名は沖縄、生活様式・文化は九州、歴史的な人口・遺跡では、奈良。ほかにも様々な場所に辿り着きますが、すべてそれらは卑弥呼がいた場所であり、邪馬台国とされる場所です。ただし、卑弥呼には共通点があり、それは大和出身の女性が卑弥呼であって、多数卑弥呼が存在し、地方の有力者と婚姻関係を結び大和が全国を支配していった点です。
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