古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

古事記における「神武東征」の役割

2017-07-02 17:59:14 | 歴史
古事記の上巻は、九州、出雲の神話をまとめている。
中巻からは近畿奈良地方で歴史書に変貌します。
神武東征は、上巻から中巻へ物語を進める為に挿入されて
わずかばかりの史実や記録を元にしたフィクションです。
登場人物
カムヤマトイハレビコ(後の神武天皇)、兄イツセ、イナヒ、ワカミケヌの命四名で四男

あらすじ
天祖ニニギが天降って179万2470余年になるが、遠くの地では争い事が多く、塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出た。
カムヤマトイハレビコ 45歳
筑紫国1年、阿岐国7年、吉備国8年過ごすなどして近畿へ到着
浪速国の上陸の際に兄のイツセの命はトミビコの矢の攻撃に会って亡くなります。
他の二人の兄も水難で亡くなり、カムヤマトイハレビコのみになる。
高木神の命令で遣わされた八咫烏の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀に至る。
その後、登美毘古(ナガスネヒコ)と戦い、兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)と戦った。
荒ぶる神たちを服従させ、白檮原宮で神武天皇として即位した。52歳(紀元前660年)
神武天皇127歳で崩御

九州筑紫はもとより安芸委、吉備から兵庫までみんな味方になります。
近畿に入った途端、戦争に。奈良県にはいると9国(部族)と戦争(合計12回)

国生みでは、九州島は四つの顔がある(筑紫、豊国、肥国、熊襲国) 四つの勢力があった。

西都原古墳から船形埴輪が発見(古墳時代には日向には12人漕ぎの船があった)

神武東征の謎(実際にあったのかは、別として)
・東征の理由
天祖ニニギが天降って179万年、地上は乱れているので・・・
仏教で菩薩様が地上の民を救うために・・・ と云う書き方ににています。
仏教教本を読んで真似しています。
実際は、九州が筑紫国(奴国連合)VS 豊国、肥国と別れていた。
豊国、肥国は、安芸、吉備など瀬戸内海海運連合を作っていた。

・東征の年代
辛酉の歳を採用したため、事実とは全く関係ない
邪馬台国の時代(弥生時代後期)でも大陸の船は玄界灘湾岸までです。
関門海峡を渡り、日向まで航海したのは、古墳時代に入ってからです。

・カムヤマトイハレビコ一族とは
卑弥呼・台与(邪馬台国)の一族だろうか
卑弥呼の死後、国が乱れる と 吉野ケ里など環濠集落の人々が国を捨てる時代が重なる。
玄界灘側の奴国連合が有明海側も支配するようになる。
有明海側の王が、太平洋側(東方)へ移住した。台与(トヨ)は豊国(トヨ国)の女王の事

・九州勢力が近畿勢力を倒したストーリーは
近畿勢力が九州を征服したわけではない。
大阪湾岸(淀川河川)から和歌山など湾岸に国が集中しています。
まだ小さな国であった奈良飛鳥の地方が一番征服しやすい場所でした。

新興国 ヤマト王権は、どこから来た部族なのか
氏姓制度など、政治統制・組織で先進的であり、漢字が使えています。
連・・・大伴氏、物部氏、中臣氏、忌部氏、土師氏等に官職を与えて身の回りを固める。
臣・・・葛城氏、平群氏、巨勢氏、春日氏、蘇我氏地元の一族と連合する。

後に記述、下巻では、神道派の物部氏を仏教派(百済友好派)の蘇我氏が滅ぼします。
この時に、聖徳太子らによる「天皇記」などが作成され完成しています。
乙巳の変では、蘇我氏が滅びます。
「天皇記」などが焼けてなくなります。(意図的に焼き捨てた可能性もあります)
※蘇我氏は、物部氏一族を滅ぼしますが、中大兄皇子と中臣鎌子は蘇我本宗家のみです。
時代は、大化の改新となり、「古事記」「日本書紀」が完成します。
弥生時代、古墳時代など太古の昔で知る人もいないです。
しかし、中国に史記、魏志倭人伝など記載は無視できません。
誰もが邪馬台国を九州だと判断します。
神武東征の物語が挿入されました。
神武東征を含む、神武天皇以後、9代孝元天皇までは実在しない架空の物語です。
上巻の日本神話は、各地に伝わる神話を組み合わせていますが
中巻の始まりは、全く新しい物語を都合よく作り上げました。
同じような記述が 日本武尊、神功皇后にも見受けられます。
中巻自体が事実が少なく、ヤマト朝廷に都合良くするために創られた、或いは編集された
部分です。上巻に日本神話より厄介です。

九州朝廷が勢力を伸ばし、瀬戸内海連合を作り、近畿へ支配をのばしたのであれば
都は九州にあっても良いはず。
都が奈良の飛鳥であるのは、小国ヤマト王権が徐々に周囲の国々を巻き込み
武力をつけていった歴史は間違いないでしょう。